狼と獅子 ―獅子の傍系 2―

風城国子智

狼、獅子に出会う

 微睡んでいた意識に侵入した、冷たく胸に突き刺さるような殺気に、心を落ち着かせる為に小さく息を吐いてから瞼を上げる。大木の根元に横になっていた自分の鼻先に突き付けられた剣先に宿る、夕日を反射した赤い閃光に、ラウドは沸き上がる気持ちを誰にも気付かれないように、再び小さく息を吐いた。ラウドに対してこんなことをする輩は、一人しか思い当たらない。


 自身の予測を確かめるように、突き付けられた剣の峰に沿って視線を上に向ける。予想通り、剣の先には、金色の髪を夕日に曝した堂々たる体躯の男が立っていた。この男は。舌打ちを、何とか堪える。この男は何故、こんなにしつこく自分に付き纏うのだろうか? 舌打ちの代わりに、ラウドは横たわったまま、目の前に立ちはだかる男をじっと睨み、静かな声で言った。


「何の御用ですか、獅子王レーヴェ」


 この言葉は、失礼過ぎたかもしれない。歪むレーヴェの顔に、少しだけ反省する。本当は、ラウドの方が侵入者なのだから。ラウドは、かつてこの大陸を支配していた古き国の騎士の一人。目の前に居るレーヴェは、その古き国を滅ぼした新しき国の若き王。そしてこの場所は、新しき国の都の近く。


 獅子王レーヴェが治める新しき国が、ラウドが所属する古き国を滅ぼしてから、半年余りが経っている。古き国の女王は行方不明となり、女王が所持していた三つの宝物はレーヴェが大衆の面前で粉々に打ち砕いた。新しき国の下で、大陸は戦乱の疲れから解放されつつある。しかし古き国は完全に滅びたわけではない。女王と、彼女に従う大多数の騎士達は地下に隠れた。古き国の騎士達にしか封じることができない、この大陸の人々を混乱させ悲しませている『悪しきモノ』から人々を守る為に。今のラウドも、探索を主たる任務とする古き国の『狼』騎士団の団長として、悪しきモノが人々を困らせていないかを確かめる為に、新しき国の領内深くに入り込んでいたところだった。


 レーヴェに出会うかもしれない。その覚悟はしていたつもりだ。しかしこんなにすぐ、こいつに行き会うとは。自分の不運を、ラウドは呪った。しかし古き国と女王のことは隠さなければならない。「古き国の女王が新しき国を滅ぼす」。この予言が為に、新しき国は古き国を滅ぼし、女王の宝物を粉々にしたのだから。それはそれとして。悪しきモノを封じるには、古き国の騎士達の血と力が必要だ。先程まで悪しきモノと戦っていたラウドは、実はかなり疲れていた。だから今は、構わずに眠らせて欲しい。それが、ラウドの本音。


「生きて、いたか」


 そのラウドの思考には構わず、レーヴェの剣の切っ先はラウドの鼻先から首筋へと向かう。レーヴェの剣が発したカチャリという音に、ラウドは溜息をついた。留め具が緩んでいる。ちゃんとした武器職人に見せた方が良い。


 そして。


「私のものになれ」


 首筋に剣を突きつけて言う言葉じゃないだろう。これまで何度も聞いた、レーヴェの言葉に、ラウドの苛立ちは最高点にまで達した。こいつは何故、俺なんかを自分の配下に加えたがる? 一見で騎士だと判断されたことの無い華奢な見かけで、なおかつ他人より秀でた能力など何一つ持っていない人間なのに。だが、感情を隠すのは、慣れている。返答の代わりに、ラウドは大儀そうに首を横に振った。


 ラウドには、レーヴェに仕えたくない理由があった。ラウドの母は、かつて、レーヴェの父である先代の獅子王に武人として仕えていた。そして先代獅子王の愛を受けて、ラウドを宿した。しかしそのことが、正妻であるレーヴェの母、すなわち先代獅子王の王妃の怒りを買ったらしい。正妻はラウドと、妹であるリディアを身ごもっていた母を王宮から追い出した。それから、古き国の辺境伯の一人である義父が拾ってくれるまで、ラウド達は苦労に苦労を重ねた。母の苦労を知っているから、新しき国と、その支配者であるレーヴェは、どうしても許すことができない。だからラウドは、地面に横たわったまま、レーヴェをじっと睨みつけた。


 と。


「ラウド様!」


 甲高い声に、はっと身動ぐ。このタイミングで周囲の探索を頼んでいた従者が戻ってくるとは。予想外の展開にラウドは臍を噛んだ。ラウドの新しい、まだ若い従者が、短槍を構えてレーヴェに突進してくるのがはっきりと見える。このままでは、従者がレーヴェに殺される。


「来るな!」


 レーヴェの剣が従者の方に向いたのを幸い、叫びつつ跳ね起き従者とレーヴェの間に割って入る。しかし即座にラウドの方に戻ってきたレーヴェの剣に阻まれている間に、レーヴェは従者の短槍を軽く避けるなり空いていた左手で従者の喉を強く掴んで持ち上げた。


「ぐっ……」


 レーヴェの剣の下で尻餅をついた格好になったラウドの前で、首を絞められた従者が急速に静かになる。


「私のものになれ」


 再び剣を突きつけられたラウドの答えは、一つしか無かった。


「分かった。従者を放せ」


 レーヴェを睨み付けて、それだけ言う。ラウドの言葉にレーヴェは満足そうに頷くと、左手の従者を放るように地面に横たえた。


 青白い顔の従者に、まだ息が有ることを確かめる。ほっと息を吐くラウドに、レーヴェの傲岸な言葉が降ってきた。


「約束は、違えるな」


「分かっている」


 そんなことは、しない。ラウドは自分の黒いマントを従者の身体に着せかけると、覚悟を決めて立ち上がった。

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