第15話『水底に集う(後編)』
「はあっ、はあっ、はあっ!!」
エコは『ウォーターシュート』を連射した後、呼吸の回復を待たずに移動を開始した。
魔導士たちによる反撃……雷や炎や氷の魔法が、次々とエコに向けて放たれる。
息切れした状態でなんとか足を動かしかろうじて第一波の魔法は回避したものの、足元の石に躓いて転んでしまった。エコはそのまま這うように移動して、岩陰に身を隠す。
飛んできた魔法の数から推測して、向こうには少なくとも十人くらいの魔導士がいる。万全の状態でも覆せるか分からない、圧倒的な数的不利だ。
しかもエコは全身が水に浸かったせいで低体温症になりかかっている。
エコが暗い水中を必死に泳ぎ切り、地下湖の岸辺にたどり着いたのはつい数分前。
人の声と明かりを頼りに生贄にされそうになっているタークの姿を見つけ、考えもせずに奇襲を仕掛けたのだ。
(タークは無事だ! それに、わたしの名前を呼んだ……! 正気に戻ったんだ!)
危機的状況に反して、エコの胸は喜びに満ちていた。どんな苦境も、タークに置いて行かれたと思った時のあの苦しみに比べれば軽いものだ。
タークに名前を呼ばれた瞬間、不安も心配もどこかへ飛んで行った。エコはただ目の前の状況に意識を集中させる。
「ふううう~~…………」
エコは目を閉じ、深く息を吐いた。魔導士たちからはかなり距離があるので、焦る必要はない……。
むしろ今のうちに呼吸を落ち着け、態勢を整えなければ。そう自分に言い聞かせる。
先ほどの攻撃で数名は仕留めた手ごたえがあったが、この暗闇ではこちらも狙いが付けられず、相手が何人いるかも分からない。
形勢は悪いが、何とかしなければならない。ここを切り抜けなければ苦労してタークを見つけた意味がなくなってしまう。
周囲を警戒しながら息を整えていると、突然、炸裂する閃光が闇を切り裂いた。一発、二発……エコの身体から二本の長い影が延びる。
「っ!!」
エコは思わず目を塞いだ。敵の魔導士が、空中に輝く光の玉を放ったのだ。
「まずいっ!」
暗さに慣れた目で眩い閃光を見てしまったエコは、一時的に視力を失った。
「目が……! 油断した!」
強烈な光が地下洞窟の中をゆっくりと降下する。その光は、闇に隠れていたエコをはっきりと照らし出していた。
魔導士たちの第二波攻撃がエコに襲い掛かってきた時には、エコの視力はまだ戻っていなかった。
それでもエコは飛来する火の玉を水弾で撃ち落とすと、襲い掛かる稲妻を躱し、雹の嵐を『フレイム・ロゼット』の爆風で吹き飛ばした。
かなり呼吸を消耗したが、一瞬間だけ姿が確認できた魔導士五人に向けて、素早く『ウォーターシュート』を放つ。その内二人に防がれたが、三人に命中した。
エコは岸辺の岩陰に身を隠して呼吸を整えると、そこから岸辺に一軒だけ建っている小屋の方へ移動した。
「……あの魔導士は誰だ!? トレログの行政魔導士はさっき岸辺にいた一人だって話だぜ!?」
「分からないが、やつも強力な魔導士だ。カナリヤ様を一発でやりやがった!」
『ウォーターシュート』をかろうじて防いだ『フスコプサロの会』の魔導士三人が、動揺しながら話し合う。
その背後に、びしょ濡れの男が幽霊のように立っていた。
「私が? 一発で? やられただって……?」
「カナリヤ様!」
その男――『フスコプサロの会』上級魔導士カナリヤ・ヴェーナ ――は「やられた」と発言した魔導士の頭を骨ばった手のひらで掴むと、ほくそ笑みながらこう言った。
「お前たち、約束通り、私の『魔法』になってもらいますよ……」
「――――!!!」
頭を掴まれた魔導士の顔が引きつった。――見えてしまったのだ。
カナリヤのもう片方の手に、ひと振りの肉切り包丁が握られているのを……。
――光の玉が水面にゆっくりと落ち、じゅう、という音と共に消えた。
洞窟が再び漆黒の闇に沈んでいく……。
――――
「ハルナ先生! 大丈夫ですか?」
「……あなた、エコ? なぜここに……」
小屋の近くで、エコは倒れているハルナを発見した。
エコにはここにハルナがいる理由がさっぱり分からなかったが、おそらく屋敷の召使いが言っていた“仕事”の関係だろうと予想はつく。
頭の怪我を手で抑えながら、ハルナが起き上がった。
「……エコ、怪我をしてますよ」
ハルナが、エコの素肌に出来た火傷や切り傷を見る。
「ハルナ先生も……頭に怪我が」
エコは心配そうにハルナの頭を見た。
「ああこれ。私はもう大丈夫です」
ハルナが上に視線を寄せて言った。そして、お互い簡潔に事情を説明し合う。
「やけに静かですね……それで、タークさんは?」
「タークは湖に落ちて、それからのことは……たぶん、どっかの岸辺に上がってるはず。タークは体力あるから」
ハルナは、タークにしたことをエコには伝えていなかった。職務上仕方がなかったとはいえ、さすがに言いたくない。
「その魔導士たちの目的は何なのかしらね? それが分からない限りは、どうするか決められませんよ」
辺りは静まり返っていた。攻撃の気配がないまま、数分の時が過ぎただろうか。
「ハルナ先生、洞窟の中を照らす魔法、使える?」
エコがハルナに尋ねると、「もちろん」と少しむっとしたハルナの返答。
「打ってみる? その前に、防御用の魔法陣を作っておきましょう。……はい、これで不意打ちが来ても大丈夫……。いくわよ」
短い詠唱。ハルナの短い杖の先から、先ほどより大きく、やわらかい輝きの光の玉が発射された。湖面の天井付近に着弾したそれは、湖の岸辺全体を照らし出す。
「……あれは!?」
エコは明るくなった湖面の上に、異物を認めた。……見えない糸で吊られているかのようにぎこちなく浮遊する物体。一見すると人間のようだったが、それにしては小さすぎた。
それが三つ……。エコは目を凝らしたが、正体がよく分からない。だが背筋に無数の芋虫が這うかのような、とてつもないおぞけを感じた。
「……なに……?」
「まずい!!」
ハルナが叫び、反射的にエコの手を引いて後ろへ下がった。
その瞬間、湖面の上に浮遊しているものから放たれた熱線が、エコとハルナを襲った。
「くうっ!!」
ハルナは咄嗟に魔法による防御――岩盤を隆起させる魔法――を使って胴回り4レーンほどの岩の壁を作ったが、凄まじい熱量によって岩壁が溶けてしまった。
数秒の間続いた熱線による攻撃は、始まった時と同じく唐突に終わった。
辺りに濃密な霧が立ち込めていた……。先ほどの熱線で、湖の水が蒸発したのだ。
続いてぼちゃっ、という音がした。見ると湖面に浮遊しているものが一つ、無くなっている。
エコはそれを見て安心すると同時に、どこか不安な気持ちになる。 ――死んだ? あれが何なのかは、分からないけど……。
“――殺した”
ふと、そんな言葉がエコの頭をよぎった。表現しようのない罪悪感が、エコの中にこもる。
だがエコ自身にもなぜそんな罪悪感を抱いたのかが分からない。
あの人間離れしたシルエット――そう、どう考えても、あれは人間ではないのだ。そのはずだった。ありえない。だがいくら頭で否定しても、心はなぜか“人間”だと認識していた。
「『フレイム・ロゼット』!!」
エコが、湖の上の浮遊物体に向けて燃え盛る炎の塊を放った。
すると浮遊物体の手前で激しい風が巻き起こり、エコの『フレイム・ロゼット』を巻き込んで吹き散らす。
炎に映し出されて、やっとそのもののディティールが見えた。しかし、エコにはまだその正体が掴めない。いや――うすうす察しはついている、だが……。
「魔法を……使ってるって、ことは……あれ……人だよね……」
そのはずだが、人間にしては……どう考えても小さすぎる。――確かに頭や腕のようなものはあるが、下半身にあたる部分が存在しない……。そんな人間がいるはずは……。
言いよどむエコの疑問を、ハルナの言葉が切り裂いた。
「【忌み落とし】だわ……! なんてことを……あれじゃあ、もう助からない!」
ハルナが悲しそうに言い、同時に詠唱を始めた。
「え!? ……あれが……っ!?」
エコは驚愕した。
ぼちゃん。大きな水音と共に、先ほど風を起こした一体が湖中に没した。
(ひとりにつき魔法一回分の命しか無いんだ……!!)
最後の一体が、急速にこちらに近づいてくる。エコの体は凍り付いたように動かないい。ハルナも同じだった。
(――【忌み落とし】って、あの……!!)
エコは、以前戦った魔導士の【忌み落とし】を思い出していた。
手に持ったナイフで自らの手首に深い傷を作り、魔力を増大させた魔導士のことを。真っ赤な鮮血を。
そして、傷ついた魔導士の恐ろしくなるほど強力な魔法を……。
浮遊する魔導士が接近するにつれて、エコの鼓動が早くなる。
恐怖。怒り。動揺。
それらがない交ぜになり、エコは今まで味わったことのない感情を抱いていた。
下半身だ。人間の下半身そのものを取り去って、……そこまでして魔力を増大させようとしたその意味とは――?
それは、殺意だ。なんとしてもエコとハルナを討とうというその殺意が、生きた人間の下半身を切り取り、刺客として放たせているのだ。
エコは息を呑み、胸を詰まらせて、こちらに向かってくる半分だけの人影を注視した。
だんだんと、その魔導士の姿が見えてくる……その表情まで、くっきりと。もはや、その魔導士からは敵意を感じない。苦悶の表情を浮かべたその魔導士は、両の目からとめどなく涙を流していた。よく見ると下半身の他に、左腕の肘から先の部分も無くなっていた。
ハルナは警戒を解こうとはしなかったが、その魔導士に戦意がないことはもはや明白だった。辺りは急に静かになった。男のすすり泣く声だけが聞こえる。
魔導士の上半身は岸辺の陸地の上にたどり着くと、ゆっくりと降下した。一本だけ残った腕で体重を支えようとして失敗し、バランスを崩して岸辺にごろりと転がる。体勢を立て直す力は、もう残ってはいなかった。
「うう……!! うぅうぅ~~……!!」
魔導士の上半身が痛みで唸る。エコは思わず駆け寄った。ハルナも、悲しそうな顔をしてついてくる。
「大丈夫……?」
そんなわけはないと思いつつ、エコは声をかけた。魔導士の身体をよく見てみると、想像した以上に酷い有様だった。
荒々しい体の断面は、溶接されたように塞がれていた。だが完全には塞がっておらず、流血が続いている。そこから焦げた肉の匂いと蒸れた血の匂いがする。
(……【忌み落とし】をして、一気に決着を付けようとしたんだ。申し訳程度に出血は抑えてるけど、この人は――決して助からないようにしてある。この人を【忌み落とし】させた者は最初から……使い捨てるつもりだったんだ)
エコの感情が、怒りが、体を突き破りそうなほど激しく、エコの中で暴れている。エコは魔導士の横にしゃがみ、顔を覗き込んだ。魔導士は息を切らし、苦しそうに喘いでいる。そして小さな声で、エコに向かってはっきりとこう言った。
「殺してくれ」
エコは反射的に身を引いた。魔導士の目が、エコをまっすぐ見つめている。焦点の合わない、ギラギラと冷え切った瞳で……。
「っ……!」
エコの体が熱くなる。心臓が激しく鼓動していた。全身が震え、興奮が痛みとなってエコを襲っていた。
エコは抉られるように痛む胸を両手で無理やり抑えつけようとする。
彼の嘆願を聞き入れられないまま、エコは再びその魔導士の身体に視線を移した。あまりにもひどい、その体を……。
(なんだ!? これは!!? これが人のやることか!? ――仲間の、仲間の体を引きちぎって……!!)
「ウゥッ……!」
エコはえずき、胃の中身を吐き出しそうになるのを必死でこらえた。
(一体! なんで!? どうやって!? どうしてこんなことを……!!?)
「殺してくれ……早く……」
下半身のない魔導士は、泣きながらしきりにそう呻いた。エコが思わず首を振る。
「エコ、下がりなさい」
ハルナは感情を抑えた声でそう言うと、エコの肩を掴んで無理やり後ろに下がらせた。
「なにか言っておきたいことはある?」
「……あいつを殺してくれ。おれにこんなことをしたあいつを……あいつの名は“カナリヤ・ヴェーナ”……呪ってやる……呪ってやる……!!」
「分かった。目をつぶりなさい……。呼吸をゆっくりね……」
「殺してくれ。頼む、殺して……」
ハルナはそうわめき続ける魔導士の額に杖を当てると電撃の魔法を唱え、魔導士を一瞬で絶命させた。
エコは、膝を抱えて泣き出していた。
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