第12話『キメリア=カルリ』
「……もう何日か前になるけどね。お兄さんは、この宿を引き払って、出て行ったよ。『故郷へ帰る』って言ってたけどね」
勉強を終えてタークのいる宿に帰ってきたばかりのエコは、衝撃でしばらく口が効けなかった。エコの手からハルナに貰ったお土産が滑り落ち、べしょっという音を立てて潰れる。
「うそ……タークが……?」
「あんた、落ちたよ。なんだい、よく熟れた果物じゃないか。もったいない。拾ったらどうだい? お嬢ちゃん?」
カウンターに立っていたおかみさんが、エコの落としたお土産をのぞき込むように見る。その声はすでに、エコの耳には入っていなかった。
「ターク、タークが、何もなく……何も言ってなかったですか? なにかわたしに、伝言とか……」
「特に聞いてないよ。それより、落としたもの拾ってちょうだい。食べ物を粗末にしないどくれ」
おかみさんが少しとげのある言葉で答える。
「ッ!!」
エコは走り出した。そのまま宿を出る。
「ちょっとお嬢ちゃん!」
おかみはエコを呼び止めたが、エコの耳には届かなかった。おかみが扉の外に顔を出した時には、すでにエコの姿は見えなくなっている。
「やれやれ、なんて子だろう! ……かわいそうだけどね」
おかみはそのまま、カウンターの前に落ちた果物を片づけた。育てるのに大量の肥料と水を必要とするため非常に高価な果物は、地面に落ちた衝撃で半分潰れてしまっていた。
おかみは果物を片づけながら、エコの走り去った方を見て眉尻を落とし、つぶやいた。
「きっと『キメリア=カルリ』にかかったんだねえ……。気の毒に……」
――――
(ターク!!)
全く予期していないことだった。あれほどエコを心配してくれていたタークが、何も言わずにどこかへ消えてしまうなど……。
エコは必死にタークを探した。二人で行った場所を見回り、心当たりを探し回る。
ついに手掛かりが尽き、行くあてがなくなったエコは、ハルナの家に足を向けた。
「あら、エコちゃん。こんにちは。どうしたの?」
ハルナの私邸の女中さんが玄関から出てエコを認め、驚きをあらわにした。
「あの……、タークが、急にいなくなっちゃって……。探したんだけど、いなくて……もう心当たりがないの。それで、コトホギに相談しようと思って……」
「ええ? タークって、あの背の高いお兄さん? ……実はね、コトホギ様とハルナ様はそれぞれご自分のお仕事に出られたばかりなのよ。一週間は戻らないと思う」
「コトホギも……先生も居ないの? そっか」
エコは泣きそうになる。心細くて、自分でもどうしようもない。そんなエコを見て女中さんが焦った。
「ちょっと待ってて! あたし、エコちゃんが使ってたお部屋をまた使えないか聞いてきてあげる! 魔導士様たちがお帰りになるまで、またここに泊まっていればいいのよ。ねっ、気を落とさないで」
女中さんはエコに優しい言葉をかけると、身をひるがえして屋敷に戻った。エコは礼を言う。脚の力が抜けてしまい、まともに立っていられない。
玄関の脇の壁に寄りかかった体が、そのまま下にずり落ちる。お尻が地面に着いた。
「どうしてだろう……」
目の前の庭園をぼんやりと眺めながら、エコは考える。
『勉強がんばれよ。宿で待ってるからな』
ついこの間、優しく声をかけてくれたターク。エコは安心して勉強に集中できたのは、タークが待っていてくれると思えばこそだった。
(タークが、タークがわたしを……見捨てた?)
そんな最悪の考えが首をもたげる。『師匠の時と同じだ』そう考えずにはいられなかった。
(もしかしたら……タークはわたしが迷惑だったのかもしれない。わたしは勝手に、タークの荷物を増やしただけなんだ。タークに会ってからずっと、わたしはタークの世話になりすぎていた……きっと負担だったんだ)
タークはいい人だった。タークがエコを置いていったとすれば、非があるのは自分の方に違いなかった。そうとしか考えられない。
だが、ここでふと疑問が起こる。
(……でもそうだとしたら、タークはもっと早くわたしを見捨てていたはずだ。そもそも、一緒に旅をしようなんて言うはずがない。……でも、現にこうして何の連絡もせずタークはいなくなった……。これから、どうしよう。コトホギとハルナ先生が帰るまで待たせてもらう? いつになるかも分からないのに)
エコの頭の中で、思考が渦のように回り続ける。
何度も同じことを考えてから、エコは師匠に置いて行かれた時も、同じ状態になったことを思い出した。
(この気持ち……あの時と同じだ。――こんな時、どうする? どうすればいい?)
エコは首をもたげた。師匠と離れ離れになった時、エコは何もせずただ待っていた。その結果、どうなったか?
いくら待っても師匠は帰ってこなかったではないか……。
(そうだ、こんな時はただ待ってるだけじゃダメなんだ! なんでこんなことも考えつかなかったんだろう……タークは、誰かに連れていかれたのかもしれない!)
もしかしたら、この間二人を襲った魔導士フィズン以外にもタークの追手がいたのかもしれない。
タークは“魔導士から大切なものを盗んだ”と言っていた。それを取り返しに、新しい追手が差し向けられた可能性もある。
(そうだとすれば、タークの身になにか起こったのかも……!?)
その可能性に気が付いた時、エコの頭の中で全てがひっくり返った。思考の渦が逆流し、エコの視界が鮮明になる。
エコは起き上がり、二本の脚で立つと、駆けだした。
「エコちゃん、泊まれるって! いつも使ってた部屋が空いてるから――」
先ほどの女中さんがドアを開いて再び顔を出す。
「あれ? エコちゃん。エコちゃーん! どこいったの~!?」
辺りを見回したが、エコの姿はどこにもなかった。女中さんはしばらくエコの名を呼んで探したが、返事がないので諦めて屋敷の中に戻る。
「……きっと『キメリア=カルリ』なんだろうな。教えてあげられたらいいんだけど……」
女中が悲しそうに言った。
――――
次第に日が暮れる。
(急がなきゃ!)
タークはきっとエコの知らないうちに危機に陥り、エコの助けを求めている。そうに違いなかった。
タークがいなくなった理由――、まず考えつくのは、タークの命を狙っている刺客の存在だ。
故郷の魔導士からなにか大切なものを盗んだというタークは、トレログに入ってからも常に身の回りに気を張っていた。
もちろん別の厄介ごとに巻き込まれた可能性もある。そうではなく、エコの取り越し苦労で、個人的な用事があって出かけているだけかもしれない。
ともかくタークの足取りを追うことが先決だ。そう考えたエコは市街地に足を向け、街じゅうタークを探して回った。
トレログ市は境界魔法陣の【陣形】を反映して正方形を基調とする碁盤上の街並みから成っている。
トレログ市街地の面積はおよそ100平方キロレーン。エコの足で行動できる範囲には限りがあるが、初日に歩いた箇所を中心に聞き込みをしていった。
だが、夕日が浮雲をバラ色に染める時間になっても、なんの手掛かりも見つからなかった。話しかけた人の中には、エコを煙たがり、あからさまに迷惑そうに顔をしかめる者もいる。
それでもエコは諦めなかった。宿の近くにある酒場でタークの外見の特徴を伝えるといくらかの目撃談が見つかったが、いずれも数日前のものだった。
夜が更けるにつれて道行く人の数が減り、話を聞くことも難しくなってくる。
光ある場所を辿るうち、エコは酒場が立ち並ぶトレログの繁華街に行きついた。日が沈んで一時間も経つと、街の暗がりには昼間と様子の違う人影が滲みだしてくる。
彼らは理由なく話しかけられることを嫌った。声をかけても無視されるか、蝿を手で払うように拒まれる。ようやく捕まったのは、一人の強面の男性だった。
「あの、」
「ああ?」
威圧感のある返答だった。いつものエコならおじけづいたかもしれないが、エコは疲れ果て、そんなことは考えられなくなっていた。
「わたし、タークという人を探してるんです。背の高くて浅黒い肌の、目つきの険しい男の人。知りませんか?」
「……俺は知らんよ。そんな奴」
男はあからさまにめんどくさそうな態度で、エコの前に手のひらを突き出し、追い払おうとする。
「何日か前に居なくなったんです。ずっと探しているんです」
「ガキ、他を当たりな」
エコは涙を堪え、男について歩くと、しぶとく質問を重ねた。
「最近、変なことありませんでしたか? 人が攫われたって話とか、だれかが喧嘩していたとか」
エコが話題を切り替える。
「喧嘩? 人さらい? そんな面倒ごと、おれっちの周りじゃあ日常茶飯事よ。家に帰んな。……急にいなくなった奴は、この街では探しちゃいけねえんだ」
人相の悪い男は、エコから顔を背けながらそんなことを言う。気になる言い方だった。
「え? それってどういう……」
エコが聞きかけると、急に背後から冷たいものを感じた。
「!!」
それが何なのかもわからないまま、エコの体がとっさに反応し飛び下がる。夜風を切る音と共に、背後から何かが飛んできた。
「うがっ!」
「おじさん!」
見るとエコと話していた男の胸に、鋭い氷柱が突き刺さっていた。心臓から噴水のように血が噴き出している。即死だ。――魔法による攻撃だった。
「誰だ!」
エコが暗がりに身を隠して誰何すると、暗闇の中から不気味な笑い声が聞こえてくる。
「ヒヒヒ……ここで会ったが百年目だ……エコ!」
聞き覚えのある声。【ヒカズラ平原】でタークとエコを襲った魔導士、フィズンの声だった。
「フィズン!」
思わず返すと、エコの声を目掛けて鋭くとがった氷柱が飛んできた。エコが盾にしていた建物の壁が砕ける。
「フィズン! ……タークがどこかへ行ったんだけど、知らない? まさかフィズンが……」
エコの問いに対する返答の代わりに何本もの鋭い氷柱の魔法が闇の中から飛び出し、エコの周囲にある建物の壁に深々と突き刺さった。
エコは闇の中を素早く移動し場所を変えた。
辺りに人の気配はあるが、余計な厄介ごとに身を晒したくないのか、慣れた様子で静観している。宵闇に完全に隠れたフィズンの姿は、エコからは見えない。
エコは一日中歩き回って疲労していた。思考も鈍っている。
(長期戦は不利だ)
エコはタークのことを一旦忘れ、魔法のイメージに集中する。
「ふうー……」
深く息を吐きつつ、エコが地面に手を置く。
テンクラ・ハルナの授業には、より強力な魔法を使うための訓練も含まれていた。師匠に教わったのとはまた違う、アカデミックな方法論。
『エコ、魔法を強めるには具体的なイメージが大切です。そのため多くの魔導士は“動物”や“武器”のように自分の趣向にかなう『形』をイメージし、それを魔法で表現しようとします。それが第一の魔法次元『形の次元』です。できるだけはっきりとした形をイメージし、それを表現できるように精進しなさい。日頃の観察と研究が必要ですよ』
すでに日は落ち、石畳がぎっちりと敷かれた路面には草の生える隙間もない。しかしエコの魔法『グロウ』は、その程度で使えなくなるほど弱い魔法ではなかった。
エコは暗闇の中にいるであろうフィズンの姿を思い描き、その場所に向かって緑色の手が伸びていくイメージを作った。その手は、無数のつる植物で構成されており――。
「『グロウ』!!」
エコが気合と共に叫ぶと、石畳の隙間から深緑の波が沸き立ち、暗闇の中を広がりながら走った。
「ぐっ!」
真四角の石畳を引っぺがしながら、緑の波が押し寄せる。急成長したつる植物の塊が瞬く間にフィズンの足元を覆い、フィズンの身体に幾重にも巻き付いた。
「クソッ! こんなものっ!」
フィズンは植物を取り除くため……とっさに火の魔法を詠唱してしまった。
フィズンはこの時、しまった、とすら思えなかった。最善手を打ったつもりだった。しかし、エコの思考はその上を行っている。
フィズンの火の魔法が植物を焼き尽くし、暗闇に明るい火が灯る。――次の瞬間だった。
明かりにめがけて放たれたエコの魔法、『ウォーターシュート』がフィズンに命中する。
「げぶっ!!」
人間の頭部ほどの大きさと重さを持つ水塊を目にもとまらぬ速度で撃ちだす、エコの強力な水の魔法。
それを胴体に食らったフィズンは、飛びそうになる意識を必死の形相でつなぎ止め、追撃を防ぐため魔法で氷の壁を作った。以前エコの魔法を防いだものよりもさらに分厚い氷の壁がフィズンの眼前に立ち上がる。
だが続けざまに放たれた四発の水弾が叩きつけられると、氷壁はあえなく砕け散った。
「な、なんだと!?」
フィズンは困惑していた。――以前のエコとは違う!!
今の氷壁は、以前エコと戦った時より分厚く、頑丈だったはずだ。
向こう見ずで計画性のないフィズンだが、決して頭が悪いわけではない。フィズンは復讐を果たすべく、前回エコと戦った時の経験を元に、万全の対策を打っていた。
エコの魔法の規模を予測し、射程を計算し、間合いに入らないように慎重に距離をとって戦っていたはずなのだ。
エコの『ウォーターシュート』は、距離が離れると著しく威力が落ちる。それを計算に入れれば、氷壁を打ち破るほどの威力はないはずなのに……。
フィズンのわずかな混乱は、この状況下では致命的なものだった。その間に、エコは次の行動を起こしている。
『フレイム・ロゼット』の巨大な火球が、猛然とフィズンに迫っていたのだ。
「うわ、うわあっ!!」
膨大な熱を放ちつつ迫ってきた大火球が、フィズンに命中する寸前で爆発を起こす。フィズンは命からがら回避したが、襲いかかる爆風と猛烈な熱波からは逃れることが出来ない。
熱された空気を吸い込み、喉を焼かれてしまった。喉を焼かれては、呼吸と詠唱を必要とする魔法は使えない。
エコにとって『フレイム・ロゼット』は次の魔法を確実に当てるための照明弾に過ぎなかった。爆炎によって『グロウ』で生えた草木が燃え、フィズンの姿が暗闇にはっきりと浮かび上がる。
とどめの『ウォーターシュート』が三発、寸分の狂いなくフィズンのみぞおちに叩きつけられた。
「ぐふっ、ごえっっ!!」
フィズンは悲鳴を上げて倒れた。噴出した胃液と共に、昼間食べた肉料理と酒が口から溢れ出て飛び散る。
耐えがたい痛みと不快感の中、フィズンの意識の幕がゆっくりと下りていく。
(また、負けた……!)
敗北感にまみれながら、フィズンは気を失った。
――――
「起きた?」
フィズンが目を覚ました時、視界一杯にエコの顔があった。倒れたフィズンに覆いかぶさるようにしてエコが顔を寄せている。
「フィズン、タークが何処に行ったか知らない?」
エコは悲しそうな顔をしていた。フィズンは咄嗟に顔を背ける。
「……知ったことか! オレは……オレは……」
「フィズンがタークを攫ったんじゃないの? それとも、フィズンの他にもタークの追手がいる?」
「知らないって言ってるだろう! ――殺すならさっさと殺せよ!」
「なんだぁ、なにも知らないのか……」
エコは失望し、地面にへたり込む。
そこは建物と建物の間にある裏路地だった。長い間気絶していたらしく、地平線が白み始めている。フィズンの体は、植物のつるで縛り上げられていた。
「なんなんだよ……なんでお前はそんなに強くなってやがるんだ……! あれからそう時間は経っていないのに……」
フィズンが苦渋のこもった声を上げる。思わず、涙がこみ上げる。
「……なんでフィズンが泣くの?」
エコは困ってしまった。タークの手掛かりが得られると思ったからこそ、フィズンが起きるまで待っていたのだ。泣きたいのはこっちの方なのに……。
「エコ、お前は何なんだ? 以前戦った時と違いすぎる! 前戦った時と魔法の威力が全然違う。第一、杖はどうしたんだ!」
フィズンが喚く。エコは両手を広げてみた。
「ああ、杖……。わたし、この間先生に魔法を教わって、杖が無くてもよくなったの」
エコがこともなげに言った。
「なに……!?」
フィズンは驚きで言葉を失う。『杖を必要としなくなる』というのは、魔法が達人の域に達している証拠だと言っていい。
フィズンは恐怖すら感じる。まともに修行しても、フィズンがその領域に達するにはあと二十年はかかるだろう。
(この短期間で杖が要らなくなっただと……!? 化け物か、こいつ!!)
フィズンはエコが魔法生物だという事実を知らない。十年しかないエコの時間の密度を知らない。
フィズンにとってはわずかな期間でも、エコにとっては違うのだ。
フィズンは戦慄した。以前、フィズンとエコの魔法の腕はほとんど同じか、フィズンが上回っていたぐらいだった。
しかし今は違う。
エコの動向を観察し時機を選んで不意打ちをかけたフィズンに対し、エコは無防備で何の準備もしておらず、しかも一日中タークを探して疲れ切っていた。
圧倒的不利を覆し、エコはあっさりとフィズンに勝った。フィズンの策は、圧倒的な力の前に踏みにじられたのだ。
「くそ……っ! エコ、オレはお前に……!」
フィズンは泣いた。悔しくて悔しくてたまらない。これまでの人生で舐めてきたどの辛酸よりも苦かった。みじめで、情けなかった。
どうあっても負けられなかった。わずかなプライドすら捨てて卑怯な手段を使い、その上で負けたのだ。しかもエコはそれに関して何も感じていない。勝敗に興味がなかった。
「ねえ、フィズン。――タークが、タークがいなくなっちゃったの。ほんとになにも知らない? わたし、ずーっとタークを探してるの。ターク、どこに行ったのかな」
エコがフィズンに尋ねた。敗者に対する憐憫もあざけりも何もないフラットな言葉は、フィズンをさらに情けない気持ちにさせる。フィズンは思わず、腕で顔を覆った。
「知るか……!」
「急に居なくなったんだよ。わたしが先生に魔法を習って、帰ってみたら、何も言わずにタークが居なくなっていたの。――フィズン、こんな時どうすればいいと思う?」
フィズンの苛立ちが頂点に達する。あれほどの力を示した魔導士が、くだらない庶民がひとり居なくなったくらいでめそめそしている。
馬鹿にするのもいい加減にしろと思った。――魔導士なら、理由は分かり切っているはずなのに。
「へっ、急に消えたって!? トレログじゃあそんなこと日常茶飯事だ。大方『キメリア=カルリ』の餌食にでもなったんだろうよ! 不用心な野郎だ!」
フィズンが吐き捨てるように言うと。エコが急にフィズンの方に振り向いた。
「『キメリア=カルリ』……? なにそれ」
エコがそのまま返すと、フィズンはむしろ驚いたように表情を崩す。
「――お前、そんなことも知らないのか?」
「フィズン、なんのことなの? ――それのおかげでタークがいなくなったっていうの?」
エコは真剣な面持ちのまま、フィズンに詰め寄った。エコが街の人に聞き込みをした中で、一度だって出てこなかった話だ。
フィズンは意外そうな顔をしていた。『キメリア=カルリ』のことは暗黙の了解とはいえ、魔導士なら知っていて当たり前の話だったからだ。
「お前、本気で言ってんのか……市民は知らないかもしれん。だが魔導士の間では常識だぞ……」
エコは頷くと、さらに真剣な顔になって身を乗り出した。
「教えてフィズン。わたしは知らないことが多すぎる。師匠とタークと先生に教わったことしか知らないの! 『キメリア=カルリ』なんて言葉は聞いたことがないんだよ。それはなんなの。生き物の名前?」
フィズンは一度辺りを見回すと、険しい視線をエコに向けた。
「……わかった、全部教えてやる。『キメリア=カルリ』とこの街の
――それからフィズンが話してくれたのは、【石の街 トレログ】の根幹にかかわる話だった。
エコは自分とタークを引き裂いた出来事の意味を知って、人の心の中にある、底知れない闇を見た。
タークがいなくなった理由を、皆知っていたのだ。優しいと思っていた人たちですら、エコに平然と嘘をついていたのだ。
(ここは石作りの街ではなく、巨大な生き物の腹の中なんだ……)
平和に見えても、街の中は外の世界と何ら変わりない弱肉強食の世界なのだ。全てを知り、エコはそう考えるに至った。
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