第8話『遭遇、【ギズモゥブ・タコリ】』


 エコとタークは、周りにちらほら木の生えた草原のはずれ部分を歩いていた。日はまだ高いが、もう数時間で日が暮れる。

「ねえ、タークの故郷ってどこ?」

「ああ、……ここから見えるかな。ちょっと無理か……。エコ、あの木」

 タークがすこし離れたところにある一本の巨木を指さした。


「あれに登ろう」

「……?」

 エコと二人で、タークは木に登った。地上約10レーンの高さまで来ると、タークが笑う。


「おお、ここからなら見えるな。エコ……」

 タークが手招きして、エコを自分と同じ視点にまで登らせる。エコはタークの胸に潜り込むようにして、タークのすぐ前にひょこっと頭を出した。


「あれだ。あれが俺の故郷、【ツィーリィ・セフィーア】」

「へええ……!」


 山々の向こう、そのはるか遠く……地平線のさらに向こう側に、巨大な、本当に巨大な台形の影がそびえていた。分厚い空気の壁に隔たれて、青々とその姿を落ち着かせる大きな影……。その頂上は高い雲の天井に隠れており、視界に入らない。


「大きい山……! タークの故郷、あの麓なの?」

 エコがタークに目をやって、嬉しそうに聞いた。タークが目を伏せて答える。

「エコ、あれは山じゃない。“木”だ」

「……えええ?」


 エコが再び視線を戻し、遠くにある影に目を凝らした。徐々に傾いていく日差しがエコたちを照らす。エコは思わず目を細める。

「“木”……、本当? あれ、いったい何レーンあるの……」

「さあ、な。高さなんか誰も知らないよ。あの木は【御樹おんじゅ】といって、あの巨大な木の麓に沢山人が住んでいるんだ。俺はあの郊外で生まれた」

「あんなすごいものがあるなんて知らなかった……」

「家にあれだけ本があるのに、知らないのか?」

「うん。【御樹】……なんて見たことがない。師匠だって言わなかったよ」

「ふうん」


 タークは【御樹】をエコが知らないということに違和感を覚えたが、エコに常識が当てはまらないことはよく分かっていた。


「これから、あそこを目指すわけだ。分かりやすいだろ? その途中で、二つの街に寄ろうかと思っている。人気の多い街でなら師匠の情報が掴める可能性が高いだろうからな」


「楽しみだな~……。これからどんな事が起こるんだろう。ねえターク、街ってどんなところ?」

「人がたくさん居て、それぞれいろんな仕事をしているところ……とでもいうのかな。――まあ、歩きゃ着くよ。エコの目で見て、どんなところか確かめてみてくれ」

 タークがなんとも責任感のない答えを返す。エコは嬉しそうにうなずいた。

「ねえターク。こっちに人が来るよ。二人いるみたい」

「本当だ。どうやら行商人みたいだな」

 二人は木から降りると、人が歩いてくる方向に歩き出した。


 歩いてきたうち、一人はがっしりとした体躯の大柄の男、もう一人は笑顔を絶やさない丸顔の男性だった。

 がっしりとした大男はみたところ丸顔の男性よりも若く、多くの荷物を背負っている。武装しているところを見ると、どうやら荷物持ちを兼ねたボディガードらしい。

 行商人はエコとタークに気が付くと手を振り、お互いの表情が分かるくらいの距離まで来たところで話しかけてきた。


「こんにちはー! 旅人さんですかな?」

「こんにちは!」

 エコが大声であいさつを返すと、タークも軽く手を挙げてあいさつする。

「食料や水など、ご不足の物資はありませんか? お譲り出来ますよ」

 行商人が如才なく尋ねる。正直足りないものだらけだったが、タークはひとまず目を伏せて手を出し、『大丈夫』と伝えた。


「この道の向こうで、【ヒカズラ平原の人食い魔獣】が出ました。この先に行くのなら気を付けてください」

 タークが告げると、行商人の表情が固くなる。

「本当ですか。それはありがたい情報です。我々は隊商の斥候でして、あのような魔獣に襲われればひとたまりもありません。本当に助かります。ありがとう」

「『たいしょう』ってなに?」


 エコが聞いた。行商人がにこっと笑って答える。

「『隊商』っていうのはね。街と街の間を旅して商売する人たちの集まりのことだよ、お嬢ちゃん。失礼ですが、あなた方はご兄妹ですか? 魔物にはお気を付けなさいよ。遠くの方で山火事も発生しているようですし」


 その山火事を起こしたのが自分たちだとはとても言えず、その話題には触れないようにしてタークが返答する。

「ええ、そのようなものです。事情があって二人旅をすることになったのですが……実はほとんど必要なものを持っていなくて。もし可能なら、水と、何か食べ物を分けていただけると助かるのですが」

 タークがダメ元で頼むと、行商人は笑顔になった。

「そうでしたか。ええ、ここで会いましたのも何かの縁です。どうです、今夜はあなた方も野宿でしょう? この先に件の魔獣がいるというなら私たちは本隊に伝令するため道を引き返しますから、食事と野営を一緒にどうですか? 見張りを分担できますと、こちらも楽ですし」

「ありがたい。それは助かります」


 タークと行商人が握手をした。エコは事情がよくわからず、きょとんとしていた。


 日が落ち、夜になった。

 四人は、魔物の多い【ヒカズラ平原】で夜を明かすことになる。昼間行動するように定められている人間という生き物にとって、夜は危険な時間帯だ。

 凶暴な肉食性の魔物には夜行性のものが多く、無抵抗な人間は彼らにとって格好の餌食となる。

 行商人が焚き木を星形に組んで火を起こし、寝るための天幕を張った。タークは自分用の寝袋一つしか持っていないのでそれをエコに渡し、自分は黒い外套に身をくるんだ。幸いまだそれほど寒くはない。

 行商人は手持ちの食料をエコとタークに気前よく分けてくれたが、タークも直前で見つけた数匹のネズミとイタチの肉を提供出来た。エコが興味深そうにその調理を見つめる。

 タークが手早くイタチの皮を剥いでゆく。山刀を皮と肉の境目に差し込んで結合組織を切りつつ、ある程度開いたところで、靴下を脱がすように皮を裏返す。茶色い毛皮の中から、ピンク色の肉が現れた。

「きれーい。皮はどうするの?」

「なめして使ってもいいんだが、別に要らないしな。穴を掘って埋める」

「なんで埋めるの?」

「匂いを嗅ぎつけて、魔物が寄ってくる可能性があるからだ」

 タークの作業を一通り見た後、エコは行商人の料理を見学に行った。


 行商人は、持っていた携帯食料にいくつかの調味料を加えて粥を作っていた。エコが料理についてあれこれ質問すると、愛想よく答えてくれる。

「これは“メッセブブリン”、発酵調味料の一種で、マメと灰、塩を混ぜて作る。こっちはレッドペッパー。殺菌作用があって保存の役に立つし、軽くて持ち運びに便利だ。これは知っているかい?」

「あ、知ってる知ってる。ゲッケイジュの葉っぱだね。それは、コリアンダー?」

「私の家の方では、バクティと呼んでいる。こっちじゃコリアンダーっていうんだね」


 一方、タークが肉を焼くためにその辺の木の枝を削って串を作っていると、それを見ていた用心棒が突然タークを制止した。

「まて、ちょっとその枝見せろ」

「ん? ああ」

 タークが枝を渡すと、用心棒がそれを調べてタークに注意した。

「おい……この枝はキョウチクトウだぞ。食事用の串には使っちゃまずい」

「……毒のあるやつか?」

「ああ。これで串焼きを作ったら死んじまうぜ。この辺り、この木が多いんでまさかと思ってな。串作りは俺に任せろ。これで、肉に味付けでもしておいてくれ。おやっさんに借りてきた」

 そういって、用心棒はタークに味付け用の塩と香辛料をくれた。タークは調味料を何も持っていなかったので、礼を言って受け取る。

「俺には狩りは出来ん。新鮮な肉とは、何カ月ぶりかね……」

 用心棒はごつい顔に笑みを浮かべて言った。仕事で隊商についていては、なかなかちゃんとした食事を摂ることは難しいのだという。

「たっぷり、とはいかなくて悪いが」

「量の問題じゃないさ」

 そう言って、用心棒は明るく笑った。



 携帯用の小鍋に、行商人特製のお粥が出来た。

 用心棒が削ってくれた串に刺した肉を、タークがこんがり焼き上げた。

 量は決して多くはないが、旅の途中ということを考えればしっかりした夕食だ。


「あれ? エコを……俺の“妹”を知らないか?」

 行商人と用心棒が首を振る。

「えっ、どこかへ行ったんですか? もう暗いのに危ないな」

「その辺で用を足してるんじゃないのか?」

 タークが心配して探しに行こうとした瞬間、エコが姿を現す。

「どこ行ってたんだ?」

「ごめんごめん、なにか野菜が欲しいと思って。暗いから時間がかかっちゃった」


 エコが、手で後頭部を掻きながら謝る。エプロンのように垂れた服の裾を大きなポケットのようにして、そこに何かを入れていた。

 エコはしゃがむと、服のポケットからよく熟れた果実をいくつも取り出した。

「これはすごい。よく見つけましたね。……こんなものが成ってたんですか?」

 行商人が驚く。

「うん。あと葉物もとってきたから、サラダにしよう」

 エコはこともなげに頷いた。メニューにサラダとフルーツが追加される。一同、いろいろ情報交換をしながら食事をした。

 タークは人里にあまり近づかなかったし、春から三か月ほどエコの家にいたので、知らない話も多い。ただし、それで支障が出ることは特にない。街で何が流行っていようと、タークには関係ないことだ。


「あなたたちはどこへ行くんですか?」

 行商人がタークに尋ねる。

「まずは【トレログ】へ。我々は人を探しているんです。この子の師匠なんですが」

「ほお。どういった人物なんです?」

 行商人は興味深そうに聞いた。エコとタークが答える。

「そうですか。込み入った事情がありそうですね。私も、あいにくその人物は知らないと思いますが……」

「静かに。なにかいます」

 会話を遮り、用心棒が辺りを伺った。手で、エコたちに『動くな』と合図する。エコも辺りを見回した。暗闇の中、二つセットの光点がちらちらと映る。焚火の光を映す、イヌのような生物の目。十数匹は居るだろうか。


「【ギズモゥブ・タコリ】か……?」

「いるか……」

「困りましたね……」

 タークも警戒を強めた。緊張しつつ、四人は急いで食事を平らげた。【ギズモゥブ・タコリ】はこちらの様子を伺いながら、辺りを取り囲んでいる。

 悪いことに、少しずつ頭数が増えていた。


【ギズモゥブ・タコリ】はイヌに似た外見を持つ肉食獣だ。

 高度な社会性をもち、集団で狩りをする。肉なら何でも食べ、人を襲うことも珍しくない。なにより、一度においを覚えた獲物をしつこく追うことで有名だった。



「追い払う?」

「難しいな。何頭いるか分からないし、焚火から離れたら集団で襲われるかもしれない……」

 用心棒が慎重に言う。


「……魔法で、追い払えるか?」

 タークがエコに聞いてみると、エコはうなずいた。

「うん。やってみていい?」

「ええ?」

 行商人が驚いてエコを見る。エコはすでに立ち上がって杖を構え、詠唱を始めていた。

「ま、魔導士さまで?」

 行商人がタークに尋ねた。

「ああ、そうなんです。魔法が使えるんですよ」

「まさか……。確かに杖は持っているけれど……」

 行商人の驚きは、もっともなものだった。魔導士の多くは普通の人間とは隔絶された社会に生き、幼少期に表に出ることはない。支配階級として働く年齢になってから、ようやく人々の前に姿を見せる。つまり、一般的に言って【魔導士】といえば全員大人なのだ。

「『フレイム・ロゼット』!」


 エコの杖の先に、この前よりは小さめの火球が作られる。魔物のおびえる気配が、伝わってくるような気がした。


「はっ!!」

 エコが杖を振り下ろし、魔物の方に火球を放り投げた。


 着弾点で火力が解放され、爆炎が広がる。魔物たちはパニックを起こして、クモの子を散らすように方々へ逃げて行った。爆心地でさらに猛烈な炎柱が上がり、辺りが昼のように明るくなる。


「強すぎだ! 燃え広がるぞ!」

 タークがエコを諫める。

「ああー、しまったぁ!『ウォーターシュート』!!!」

 エコが、今度は水の球を連射する。その度すさまじい水しぶきが起こり、激しい音と共に水が大量の蒸気に変わった。一発撃つごとに、目に見えて火勢が収まる。エコの息が上がる頃には火事は収まり、魔物は影も形もなくなっていた。

「ぜい、ぜい、ぜい……はーー、よかった」

 行商人と用心棒は絶句していた。魔法を見たこともない二人にとっては、水しぶきで顔が濡れていなければ夢かと疑ってしまいそうな出来事だった。



 翌朝。


「昨夜はありがとうございました。これ、お礼も兼ねてというと、なんですが――。魔導士様に使っていただければ幸いでございます」

 エコとタークが起きると、行商人が頭を下げて物資を捧げるように持ち、エコに差し出した。

「ありがとう!」

 エコが、あけすけに礼を言って受け取る。

「いえいえ、少しでも旅の助けになれればうれしい限りです。お二人の旅のご無事をお祈りしております。さようなら」


 昨夜の親近感に溢れた食事とは裏腹に、別れはあっさりしたものだった。昨夜の出来事がよほど驚かれたらしい。

 と同時に、あの後……タークは行商人がこちらから一定の距離をおいたことを感じとっていた。ふと、目を横にやる。

 そこにはエコが燃やしてエコが火を治めた、焼け焦げた草原の姿があった。昨日は暗くてよく見えなかったが、かなりの広範囲が焼け焦げ、魔物の焼死体がいくつも転がっている。


 魔導士は気まぐれで他者を振り回せる力を持った生き物だ。それは昨日の出来事から分かるように、個人として行使できる力の強さがケタ違いだからだ。

 ふつう【ギズモゥブ・タコリ】に目を付けらてしまうと、その対応は命がけになる。


 時には一週間以上もかけて追い払う必要があり、その間に体力が尽きれば一人ずつ食い殺される。

 追跡してくる習性は厄介極まりなく、追われている間に他の魔物に襲われる危険もつきまとう。大きな群れに狙われた隊商が壊滅した……という話もよく耳にするほどだ。

 その危険性を考えれば、四人そろって【ギズモゥブ・タコリ】の腹の中に納まっていてもおかしくはなかった。


 ――しかしエコはその事態を、何でもないことのように解決してしまえる。たった一発の魔法によって……。


 言い換えると、あの行商人にとって【魔物】と同じように【魔導士】もまた危険な存在なのだ。

 エコはそれに気が付いていないし、生まれつき魔法が使えるので特別それをひけらかしもしない。

 だが、この先魔導士と普通の人間との間に横たわる格差を知った時、エコは何を思い、どう行動するのだろうか?


「しょうがない、とはいえ。これから大変なのかもな」

タークが呟くと、エコがのんきそうな顔をしてこちらを向いた。

「んん? どーかした、ターク」

「いや、貰った物資に食料も水もあったよ。何日かはこれでもつ。ありがたいことに、新品の寝袋までくれた。ありがたく使わせてもらおう。エコは今日からこれで寝るといい。なかなかいいもんだぞ」

「ええ~、わたしタークの寝袋がいいな。タークのいい匂いがするのに」

「はっ」

 エコが変な事を言うので、タークは笑ってしまった。

 空は快晴、遠くには【御樹】の巨大な樹影が見える。


 西の空に雲があるが、雨が降り始める前には木の生い茂る森林地帯に入れそうだった。

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