『電車内のアクシデント』
何事もなく行きつきたいところだが、彼の目前で事件は起こった。
「うっ……!」
突然、側に立っていた老婦人が、胸を押さえてしゃがみこんだ。
「きゃあ!」
「大丈夫ですか?!」
周囲の人たちが騒ぎ出す。
サクシードは進み出ると、それらの人々に指示する。
「そこのお三方、彼女に席を譲ってください」
「お、おおっ……」
「はいっ!」
慌てて前に座っていた中年の男性と女性が、席を立ってよける。
サクシードはあっという間に老婦人を抱え上げて、椅子に座らせると、脈拍を測った。
老婦人の顔が青ざめ、額に汗が浮かぶ。苦しそうだ。
「ご婦人、聞こえますか。狭心症ですね、お薬を持っていますか?」
老婦人の前に屈みこんだサクシードが尋ねる。
「……はい……カバンの中……茶色のポーチ」
荒い息をつきながら、絶え絶えに老婦人が答える。
「探してください」
席を譲った女性に頼む。
「は、はいっ!」
「どなたか、車内にある電話で、車掌に知らせてください」
「わ、わかった」
「おい、電話はここにあるぞ」
ざわざわとざわめく車内。
「お、お薬ありました!」
「ください」
女性から受け取って、確認してから、老婦人に飲むように促す。
「飲めますか?」
老婦人は何とか薬を口に運んだ。
それからサクシードは、老婦人の隣に腰かけ、背中から第二胸椎と第四胸椎の左側を交互に速く、拇指頭で突いた。
周囲から嘆息が漏れた。
サクシードの的確な処置から、大事に至らないだろう、と言うことを感じ取ったのである。
老婦人は薬を飲んで安心したらしかった。段々、荒い呼吸も収まってきた。
事態を聞きつけた車掌がやってきたので、サクシードは詳しく状況を語った。
すぐに到着した水甕湖駅で老婦人は救急搬送され、車内に安堵した空気が流れた。車掌がサクシードに何度も礼を言い、周囲からは温かい拍手が送られた。
「君は看護師かね?」
背広を着た中年男性が感心したように聞いた。
「いえ、警備士です」
サクシードが答えると、男性は驚いた。
「警備士だって? すごいねぇ、そんなに若いのに見事な手際だった。この国で若年層の警備士の質がよく問題になるのが嘘のようだよ」
すると、側にいた別の中年男性も口を挟んだ。
「こんな優れた若者がいるなら、おいそれと批判もできないですな」
「まったくですよ。君、名前を教えてくれないかね。私はこういう者なんだが」
初めに質問してきた男性が、名刺を差し出した。
サクシードが困惑しながら名刺を受け取ると、そこには「公共誌ヒューマニズム記者 ラルフ・ドーマン」と印字されていた。
反射的にサクシードはまずいと思った。
POAに所属する以上、名前が公表されるのはいかがなものか。
「記事になるのは困るんですが」
率直に言うと、ラルフは心得たように言った。
「もちろん、匿名の警備士ということにするよ。同世代の警備士たちに喝を入れる意味で是非、記事にしたい。いいかな?」
先週、パラティヌスに来たばかりの自分が、引き合いに出されるのはどうかと思ったが、とりあえずサクシードは了承した。
この一部始終をつぶさに観察している目があった。
ラファルガーだった。
サクシードの混乱時における冷静さと物怖じのなさは只事ではない。
自分だったら、どうするかわかっていても、遠巻きに見ていただけだろうが、サクシードは事態の先頭に立って収めたのだ。
これが自分とサクシードの決定的な違いだった。
自信と自負。バランスよくこれらを両立させて、サクシードは大道を進む。
人々もそんな彼に尊敬と称賛を送る。
羨ましいとは思わないが。
ラファルガーは改めて思う。
それは混迷する世の中に必要な光だ。
帰ったらレンナたちに教えてやろう。どんなに喜ぶかしれない。
そう考えて、ラファルガーは仕事に気持ちを切り替えた。
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