『生物研究の仕事』
「すごい部屋だな」
改めてサクシードが感想を言った。
「ああ、維持費が別途必要だがな」
「ハハハ、やっぱり職業意識から、こういう部屋に?」
「そうだ。もう少ししたら熱帯魚は同僚に譲ることにしている。ここから三分もしない西側に、サンドプッセ川というところがあったろう?」
「ああ、あの小さな川だな」
レンナと湖岸一周マラソンのコースを下見した時、彼女が川の名前と、そこにかかる小さな橋の謂れを教えてくれた。
だが、サクシードは聞き流してしまっていた。
「俺はサンドプッセ川の生態を主に研究している。首都の水甕湖と、東のストルメント山脈からの支流が合流してる川なんだ。小さな川なんだが、淡水魚が豊富に生息してる。ウグイ・アブラハヤ・メダカ・コイ、ドジョウ……。もちろん餌になる水生昆虫も研究の対象だ。それから周辺地域の樹木・土壌・流域の水質も調査してる」
「へぇ……」
「下宿に来てから四年……だいぶデータが揃ったんでな。川の淡水魚をここで飼ってみようと思ってる。なるべく自然に近い形にしたいから、水は川の水、水草も壁に這わせる蔦も現地調達するつもりだ」
「ということは……餌もか?」
「——これはいずれわかることなんだが、レンナがあまり昆虫類が得意でなくてな」
「? 万世の秘法は、環境修復技術が主な仕事なんだよな……」
「言いたいことはわかる。昆虫が苦手だからと逃げ回っていたら、仕事にならないだろう、ってことだな」
「ああ」
「修法者の最終試験場『
「俺がレンナに一瞬で間合いを詰められた、あれか……」
「山でのアクシデントへの対応力を問われるわけだが……。それこそ昆虫がわんさか生息する山で、レンナがどうしていたかというと。
「十二歳……」
その頃、自分は自立もしていない、とサクシードは思った。
「ここから先はレンナに直接聞いてくれ。扉は開いたばかりだ、不備があっては申し訳ないからな」
「ありがとう。思いがけず深い話が聞けてよかった」
「いや、訓練初日、頑張ってくれ」
それを潮に、サクシードはラファルガーの部屋を出た。
廊下を曲がったところで、洗濯カゴを手にしたレンナと鉢合わせた。
「あら、サクシード。新聞は読めた?」
「ああ」
そう言えば忘れてきた、とサクシードは気づいた。
「すごかったでしょ? ラファルガーの部屋」
「そうだな……レンナがラファルガーと会ったのは、生物学の学会でだったな」
「あ、覚えてた? そうなの、私が講堂の後ろの方で、学会の内容をタイピングしていたら、ラファルガーが後ろの席でそれを見ててね。「ご迷惑でしたか」って挨拶して。……あの通りだから、二言三言しか返してくれないんだけど、その時に下宿に住みませんか、って誘っちゃったの」
「一見で?」
「なんでかな……あの時のラファルガーって、必死にもがいてて、全然余裕がないように見えたの。四年前にパラティヌスに来た時は、どこにも伝手がなかったみたいで。いつまでもホテル暮らしはできないしで、いろいろ焦ってたんじゃないかな。それで、私もファイアートに手を焼いていたから、よく抑えてくれそうだと思って。それは後付けだけど、本当に助かったの」
「……」
「浅はかだと思う?」
サクシードは黙ってレンナの髪をクシャッと撫でた。
「いや……何よりも彼のためになったさ」
「……」
自分が同じ立場だったら、そんなことができるかどうか。
レンナの人を見る目は確かだ。
ラファルガーのように、容姿や言動で誤解されやすい人間を、引き取るのはこちらも構えてしまう。
まず相手ありきなところが素晴らしい。
万世の秘法の修法者ともなれば、こういう人となりが要求されるのだろう。
それはサクシードにとって、最上段の人間の在り方だった。
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