『レンナのぼやき』

 不思議だな、とサクシードは、バイオリンを弾きこなすレンナを見つめながら、考えていた。

 優れた音楽家の演奏には、「心を奪うような音色」とか、「別の世界に誘われるような」などと表現されることを、彼も知っていたが。レンナの演奏にはそれがない。

 感覚として近いのは、自分の好きな本を読み返した時のような。次に何が来るかわかっている、やっぱりいいなと思う、安心感。

 自分らしくここにいることを、優しく許されている。そんな肯定感があった。

 ファイアートが言うように、ナチュラルな……人を憩わせる雰囲気がある。

 初めて会った数時間で、自分の目的を話そうとした時もそうだった。

 頭がいいとか、使命感とか、ヘタをすると人を圧しかねないところに重点を置いていない。

 つまり、自分らしく生きることを、自分に完全に許している人間なのだ、と思い至って納得した。


 四~五分くらいの演奏時間だった。

 みんなから拍手されてソファーに戻ったレンナは、明らかにへばっていた。

「ああもう、疲れた! しばらくやらなくていいわ」

「これがなければスーパーウーマンなんだけどね」

 ファイアートが呆れて言った。

「なんでそんなに疲れるんだ? すごく自然だったのに」

意外そうに言ったサクシードに、レンナは理由を語った。

「……自分はこういう人間だって、延々主張している気がするのよ」

「……音楽はそういうものじゃないのか?」

 ファイアートがレンナの代わりを買って出た。

「そういうもんだよ? ただねぇ、レンナの場合、普通の演奏とは導入部が違うから」

「導入部……?」

「聞いたことない? 曲のイメージを膨らませて、感情移入して、音を奏でるって、演奏のドレミ」

「ああ」

「大概の人はその通りにやって、没個性になるか、人の気持ちを自分の世界に引き込もうって、躍起になるんだけど。もうわかったと思うけど、そういうのって人の琴線に触れないじゃない? レンナの演奏はある人に「無色透明な音楽」って言わしめるほど、感情の雑味を、透過しちゃってるわけ。心の自浄作用でね。で、まぁ、それでも人の気持ちを邪魔しないようにって、主張まではしないけど、してるわけだ。それが疲れる、と。そういうこと」

「……なるほど、主張と自然さは相容れない、ということか」

「あったりー!」

 ファイアートがパチパチと拍手を二度送った。

「演奏するたびに思うわ……私は芸術家に向いてないって」

 レンナのぼやきを受けて、ロデュスが言った。

「そんなことありませんよー! レンナさんは紛れもなく芸術家です。人の聴きたいように聴いてもらう。それは、音楽でも画家の描いた絵でも同じで自由です。確かに感情の爆発でインパクトが持ち味の絵もありますよ? でも、どれだけ多くの芸術家が、自然な見たままの世界を表現するのに、労力を注ぎ込んだか。それが何分かだけでも表現できるのは、ものすごいことなんです。謙遜するなんてもったいないですよ」

「あ、ありがとう、ロデュス」

 本物の芸術家に言われて、レンナが縮こまる。

 みんなの会話に耳を傾けていたフローラが言った。

「そうよ、レンナさん、ロデュスの言う通り。ただ、レンナさんが疲れてしまうのは、「このままでいい」という魔法を、自分にかけてしまっているからなの。魔法

が解ければ、もっと自由になりますわ」

「そ、そうなの? うーん、思い込みがあるのね。外せるかなぁ?」

「ええ、時至れば、きっと」

 フローラは目を閉じてそう言い置いた。




 

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