『サクシードの述懐』

 カタタン、カタン。

 そうとは知らずに、レンナは母屋の東側にある離れで窓を開いていた。

 こもった臭いが風で散っていく。

 いつも整理整頓はしているが、埃は薄く積もる。

 箒で掃き清め、軽く拭き掃除する。

 カウンターにソファーセット、暖炉、壁一面の戸棚には楽譜。そして、グランドピアノ……。

 サクシードを迎える準備のために、ここ数週間使っていなかった物たちが目を覚ます。

 ジャージを着たまま忙しなく動き回るが、全然苦にはならない。

 今日は汗ばむくらいの上天気。

 髪を額にへばりつかせて、無心で掃除に汗していると、後ろから声がかかった。

「レンナ」

 サクシードだった。

 さっぱりした顔をして、西側の勝手口の外に立っている。

「あら、いらっしゃい、サクシード」 

 レンナが布巾片手に振り返る。

「入ってもいいか?」

「もちろんよ。掃除もう少しなの。喉乾いてない?冷蔵庫に炭酸水があると思うんだけど」

 サクシードは苦笑すると言った。

「そんなことより、掃除を代わるからシャワー浴びてこいよ。そのためにここに来たんだ」

「ええっ、いいのに……せっかくさっぱりしたんだから涼んでてよ。本当にもう少しなんだから」

「そういうわけにはいかない」

と言って、サクシードは強引にレンナから布巾をヒョイと取り返すと、さっと室内に目を配って言った。

「このピアノと、あとはテーブルと暖炉の上を拭くだけでいいか?」

「うん、そう。よくわかったわね!」

「何となくな、お前に気が入ってない」

「……そういうの、わかるの?」

 思わず尋ねるレンナの方は見ないで、ピアノの蓋の上を体を伸ばして拭きながら、サクシードは答えた。

「……自立して鍛錬を重ねて、組手で相手の気配を躱すことを覚えてからかな。それまではもっと漠然としてたんだが」

「へぇ……」

「レンナはそういうのに詳しいんじゃないか?」

「えっ、どうして」

「初めて会った日に、バッソール駅から下宿に向かう途中で、ソウルメイトの話をしてただろ」

「あ、そうか。でも……今、あなたに言ってあげられることは、その感覚を磨くことによって、違う境地に立つのが可能になる、ということだけね」

「ふーん」

「入口はどこにでもあるけど……門戸を叩いてみようとは思わなかったのね?」

「ああ、余計な枝葉だと思ったんでな」

「うん、そう言ってたわね」

 必要な技術を身につける以外は、かえって心が鈍るからだ。

 レンナがサクシードに、思想『万世の秘法』の存在を伝えようととした時に、彼はそこを目指さない理由を、そう表現した。

「これも感覚なんだが、底の知れない真っ暗な穴を覗き込んだような気がした。やめておこう、と心が拒否した。目的から遠ざかる恐れがあったからな」

「テロの撲滅ね」

「そうだ。結局、そこを通らずに一人で事を進めようとしても、分厚い壁に阻まれるようになってるみたいだがな」

「……」

「ジュリアス親善大使に出会わなかったら、俺は今でも堂々巡りをしていたと思う。

……レンナはジュリアス氏とどういう関係があるんだ?」

「……ジュリアス様はパラティヌスの雲竜の滝谷の出身なの。名政治家を多く輩出している処で……知ってる?」

「いや」

「繋がりがあるのは、私じゃなくてフローラよ。北端国セライはパラティヌスの水源だけど、源流の一つが雲竜の滝谷なのよ。二人は王家として親交があって、いわば幼馴染なわけ」

「なるほどな……フローラならジュリアス氏と釣り合うか」  

「そうなの、お似合いでしょ」

「まぁな」

 二人が話し込んでいると、また勝手口から声がした。

「ちょっと、いつまで盛り上がってんの?!」

 ファイアートががなる。

「おたくらが仲良くやってる間に、ランチの準備も全部終わって、あとは運んでくるだけなんですけど」

「悪い悪い」

「ったくぅ、レンナ、十五分でシャワー浴びてきてよ。もう腹が限界なんだから!」

「わかったわ」

 レンナはサーッと、風のように離れを出ていった。

 ファイアートはサクシードに嫌味を忘れなかった。


「サクシード……」

「何だ」

「順調だね」 

「―—別にやましいことは話していない」

「あのねぇ、朝っぱらから食事の用意を手伝ったり、二人でマラソンしたり。こうやって離れで会話を楽しんだりしてさ。やましくなくったって特別には思ってるでしょ? 君みたいな硬派がかわいこちゃんに目尻下げることを、ツンデレっつうんだよ。よく覚えとけ!」

「じゃあ聞くが。俺の目的がテロの撲滅だって言ったら、あんたはどう答える?」

意外にも、ファイアートは即答だった。

「明らかに手数が足りないね、一人でどうにかできる問題じゃないよ。まさか君、臨時警備士の権限でテロリストと渡り合おうって考えてたわけ? それは認識を改めた方がいいね」

「……」

 正論だった。

 ようやくわかりかけてきただけに、ズバリ指摘されるのは不愉快である。が、そこで腹を立てるほど堅物ではなかった。

「返す言葉もないな」

 サクシードが苦笑すると、ファイアートはにんまりした。

「もっとも、レンナを口説くには有効かもね。あの子、真摯な人に滅法弱いから」

「だから……」

「いいの、いいの、好きに表現してやって。恋の花はどこにでも咲くんだから。ああ、ちなみにレンナは男と付き合ったことないから、押しが強すぎると引いちゃうんで、手加減よろしく」

「……やっぱりレンナに聞く」

「えっ、力不足? 心外だなぁ」

 ファイアートの話もなかなか面白いが、いかんせん恋愛趣向が強すぎて、相談相手には向かないのだった。 


   


  


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