第6話 もう素直になるって決めたの

 後ろ姿だったため確証はなかったのだろう。俺が振り向くと、真希奈まきなはまるで絶望したかのように持っていた食材が入っているレジ袋を落とし、逃げるように走っていってしまった。


「お、おい!」


 レジ袋が道路に放置されたまま、真希奈の姿は見えなくなる。

 今までの光景を黙って見ており、先程までカフェで一緒に過ごしていた美海みうさんは唖然として立ち往生している。こちらの方を先に対処しなければならない。


 まずは真希奈が落としていったレジ袋を拾い……って、重すぎだろこれ!? いくらなんでも買いすぎだわ!!


「えっと……今の方は?」


 あからさまな作り笑いで問いかけてくる美海さん。

 美海さんには真希奈のこと、すなわち俺に幼馴染がいることを教えていない。言う必要はないと思ったし、今後2人が関わることはないと思ったからだ。


「ただの幼馴染です。まぁ、今のはちょっと様子が変でしたけど」

「そうなんですね……心配、ですね」

「はい……」


 今まであんな顔を見たことはなかった。

 いつもツンツンしているかと思えばたまにデレを見せたり、機嫌のいい時はすごく楽しそうな顔をする。

 俺は今までそんな真希奈が悲しんでいたり、絶望したような顔を見たことはない。だからこそとても心配だ。


「…………行ってあげてください」

「え?」

「今日はとても楽しかったです。ありがとうございました」


 そう言って美海さんは深々と綺麗なお辞儀を見せ、ニコッと笑って続けて口を開いた。


「私はここで大丈夫です。だから、幼馴染の子のところに行ってあげてください」

「え、でも――」

「いいんです。早く行ってあげてください」


 本当に美海さんを置いて行ってしまっていいのだろうか、という考えが頭をよぎる。

 これから俺がやることは決まっている。美海さんに行かないで、と言われていたとしても、間違いなくこれからやることに変わりはなかっただろう。


「ありがとうございます。俺も今日は楽しかったです。落ち着いたらまた連絡します。じゃあ、気を付けて帰ってください」


 美海さんは「うん」とは言わず、首を縦に振って早く行くよう促した。

 美海さんに改めてもう一度感謝を伝え、真希奈が去っていった方向に走り始めた。



***



 あの可愛い子は誰?

 どうして和樹かずきはあんな可愛い子と一緒にいたの?

 もしかして…………彼女、なの?


「…………はぁ」


 私は今までどんな時も和樹と一緒にいた。でも和樹をになってから恥ずかしくて、自分の気持ちを素直に言うことができなくて。あいつに対して何度もきつい態度を取ってしまっている。


「私は、どうすればいいの……?」


 私がきつい態度を取りすぎたせいで、あいつにはあんなにも可愛い彼女ができてしまった。

 今まで自分がしてきた事を思い返すだけで嫌になってくる。


「折角買ってきた食材も全部置いてきちゃったし……どうしよ。今日は頑張ってあいつの好きなハンバーグ作ろうと思ってたのにな……」


 彼女がいるなら私はもう必要ない気がする。

 今日には「もう作りに来なくていいよ?」とか言われそう。


「…………そんなこと言われたら、もう…………」


 想像しただけでも自然と涙が出てきた。

 頬を伝った涙はやがて道路に落ち、目尻に溜まった涙は手で拭っても止まる気配はない。


「嫌だ……嫌だよぉ……! こんなことになるくらいだったら最初から素直になっておけばよかった……っ!」


 家の近くの道端で1人でうずくまると、後ろから思い足取りで誰かが近づいてきた。

 普段なら誰かと思って振り向くけど、今はそれどころではない。


「……はぁ、やっと見つけた」


 背後から聞こえてきたそんな声はものすごく聞き覚えがあって、今1番聞きたくなかった声だった。


「え……和、樹?」

「おう」


 どうして和樹がここに?

 彼女と一緒にいたのに、彼女を置いて私を追いかけてきたの?


「なんで……彼女は……?」

「彼女? あー、美海さんのことか。美海さんなら帰ったよ。それよりお前、大丈夫か?」

「……うん。ごめんね。折角の彼女との時間を邪魔して」

「えっと……なんか勘違いしてないか?」

「え?」


 和樹の思いもよらぬ言葉にずっと俯いていた顔を上げる。

 勘違い? なんのこと?


ぞ?」

「え!?」


 あの可愛い子、彼女じゃなかったの!?

 だったらあの子は一体……。


「どんな関係かって聞かれたら答えづらいんだけどな。とりあえず彼女ではない」

「そう、だったんだ……」


 よかった。私にもまだチャンスはあったんだ。


「あの……和樹、今までごめんね」

「ん? どうしたんだよ急に」

「私、今まで和樹にきつく当たってたなって。本当にごめんね」

「別にいいよ。まぁ、多少面倒くさかったけどな」

「もう……ありがと」

「ん」


 和樹は頭をポリポリと搔いて、恥ずかしそうに私にさっと手を差し出した。優しいな……和樹は。

 前までの私なら、鼻を鳴らして素直に手を取ってなかっただろう。もう素直になるって決めた。絶対にきつく当たったりしない。


「……どうも」


 素直に和樹の手を取って立ち上がると、和樹は茶化すように口を開いた。


「お前、いつもなら絶対に手取らないのにな」

「ふんっ! 別にいいでしょ」

「まあな。じゃあ、早く帰ろうぜ。お腹空いてるし、早く真希奈の料理が食べたい」


 私が素直になったからか、和樹もいつもなら絶対に言わないような言葉を恥ずかしそうに言った。

 美味しいとはいつも言ってくれるけど、『早く真希奈の料理が食べたい』か。こっちの方が嬉しいかも。


「……うん。今日はハンバーグの予定だよ」

「まじ!? やっためっちゃ楽しみ!」

「……ピーマンも使おうかな」

「真希奈さん!?」


 和樹と一緒にいた可愛い子が彼女じゃないって分かって本当に良かった。

 だから仕方なく……本当に仕方なく、今日はピーマンを使うのは勘弁してあげよう。そう思った。

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