第2話 形見

 Aさんの家は、広めの築10年くらいの2LDKの賃貸マンション。

 子どものために、リビングはおもちゃがたくさん置かれていた。

 キッチンとリビングの間には柵があり、自由に行き来できないようにしていた。家にいると子供のものであふれているから、嫌でも思い出してしまう。

 初めての子供。夫と買いすぎと思うくらい、いろいろなおもちゃを揃えた。

 好きだったのはやっぱりプラレール。

 一緒にプラレールを組み立てて、走らせると、飽きずに何時間もやっている。


 トミカのミニカーも100台くらい持っていた。

 もらったモノじゃなくて、全部新品だ。

 新しいおもちゃ、服、靴、ベビー用品。何もかも買いそろえた。

 ヘルメットも買ったけど、外出の荷物が多すぎて、ついつい持っていくのを忘れてしまう。だから、気が付いたら使わなくなっていた。


 Aさんは一日中泣いて過ごした。

「ごめんね・・・ごめんね・・・ママだけ助かってごめんね・・・ヘルメットかぶせなくてごめんね・・・自転車なんか買わなきゃよかったね。痛かったよね」


 支えてくれるのは実家の親だけど、Aさんは東京で、実家は岡山県だったから親も兄弟もそんなには来れない。

 ママ友たちはAさんにかける言葉がなくて離れていった。


「もう、岡山に帰っておいで」

 実家のお母さんは言った。

「うん・・・」

 Aさんは実家に戻って引き籠ろうと思っていた。

 実家に帰ったらきっと近所の噂になる。

「東京で結婚して子供いたのに・・・離婚したんだ」と、みな笑うだろう。

 田舎の人というのは、口さがない。

 どこにいても同じだが。

 ママ友たちだってきっと自分のことを批判しているだろう。

 ヘルメットを被せなかったせいだと。

 みんなかぶせてないくせに。


 Aさんは、子どもを失い、夫を失い、世間からの干渉や心無い言葉にも耐えなくてはならなかった。


 マンションは夫名義で借りていた。早く出なくてはいけない・・・もう半年経ったけどそこに住んでいる理由が何もないから。

 夫は今は別の所に住んでいる。まるで独身のように暮らしているから、女を連れ込んでいるかもしれない・・・。学生が暮らすような小さな1DK。Aさんから逃げるためにそこを選んだんだ。

 Aさんの旦那はイケメンで、優しくて、理想的な結婚相手だった。子供もかわいがってくれるし、すべて順風満帆だった。

 でも、アサト君を亡くして、A子さんがおかしくなってからは支えようという気持ちがなくなっていた。旦那の方は子供ができてからは、覚めていたんだろうと思う。


 Aさんのいるマンションに夫の荷物はもうほとんど残っていない・・・自分が岡山に行っている間に、夫に荷物を取りに来てもらおう。顔を合わせるのが辛い。


 それに、アサトが使っていたおもちゃや服などは全部捨ててしまおう。

 写真も・・・見ることに耐えられなかった。

 存在を忘れよう・・・この苦しみから逃げるにはそれしかなかった。 

 アサトのことは心の中だけで覚えておこう・・・。

 Aさんは子供の物は何もかも捨ててしまった。

 クレヨンで描いた絵も、服も、写真も。何もかも。

 

 夫はアサトの遺品が家にあると思って、何も持ち出さないでマンションを出てしまっていた。そして、後で奥さんが遺品を処分したことを知った時は激怒した。電話をかけて来たから、心配してくれたのかと思ったらいきなり怒鳴られた。

「アサトの物を捨てたって本当?君は人の心がないのか!どうして捨てる前に僕に言ってくれなかったんだよ。二度と手に入らないのに・・・よくそんなことができるね」

 Aさんは人の気も知らないで・・・とますます憂鬱になった。

「だって、見てると辛くて・・・」

「君は親じゃない。それに、位牌は置いて行ったけど、僕が持って行っていいんだね?」

「うん。そうして」

 Aさんの手元に、アサト君の形見は何一つなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る