第六話 未だ過去は忘れられず(下)

 ―教室

 武蔵君はそのまま鍛錬を続けるという事で、私達は教室と模擬戦場で別れる。私は剣士ではない為、自習の代わりに鍛錬という時間の潰し方は出来ないからこそ今のうちに次のテスト範囲の勉強を進めていく。

 教科書に載っている問題文を見ては、ノートに回答を解いていく。

 ―カチ、カチ、カチと、デジタル時計から敢えて音がするようになっている、わずらわしい音を忘れて、黙々もくもくと問題を解いていく。

 結構進んだと思い、時計を見るが集中しすぎたのか、それともそんなに問題をそもそも解けていないのかは、わからない、がまるで時間が進んでいない事を確認し、机にだらりと突っ伏す。

 後目に武蔵君が何時も座っている席を覗き見る、すると意外や意外、ミーシャさんが問題に悪戦苦闘しているのか、頭に手を当てながらなんとか問題に立ち向かっては、問題に撃破されているのがここから見ていてでもわかる。

 少し教えに行こうかとも思ったが、もう少しだけこの姿を見ていたいと思い、私も今一度問題集に取り組む。

 問題を解きながら、過去を想いふける、いつもであればこのような事はしない、だけれども今日この暇な時間に過去を想い耽るのは間違いなく、今朝見た夢の所為であろうことは簡単にわかる。

 だからこそ思い返そうあの思い出では無く、私の過去を。

 時間を潰すにはいい塩梅な思い出だと思うから。


 ―自宅

 私は剣舞が始まって以来できた鍛冶師の家系だった、プロメテウスの扱いが人より上手いというのが一族の特徴でお抱えにしてくれる剣士も少なくはなかった。

「ママ―、また鍛冶場に行ってもいい?」

「また?よく飽きないわねぇ、全く」

 母は普通の専業主婦で鍛冶師ではない、だがだからと言って鍛冶師の父を嫌っている訳ではない、互いが互いを愛している普通の家族であった。

 家から少し歩いた所に鉄を打つ音が聞こえる。

 ―カァン、カァン―と特殊な金属プロメテウスを熱し変形させようとしている音が聞こえる。親には好きな事をすればいいと言われていた。

剣士になるのもよし、全く剣舞に関わらないのもよしとされていたが、私はこの熱したプロメテウスを打つ音が好きで、何度も何度も父が刀を鍛えている鍛冶場に向かう。

「パパ―」

 その声を聞くと父は刀を打つのを止めこちらを向きなおし、私を抱きかかえる。

「どうした?うちは」

「今日もここで見ててもいい?」

「勿論いいぞ?なんなら少し打ってみるか?」

「アナタ?」

 そう私に打たせようとする父の代わりに、危ない事はまださせないでと、言わんばかりに母が静止する。それが私の家族だった。

 日本の北の山中、友人は居ても、この山奥には私の年齢ではここに来るまでで疲れてしまうだろうと遊ぶ事はできなかったが、この両親との関わりが私にとっては掛け替えのない時間であった事は間違いない。

「そういえばもう少ししたら近くに引っ越してくるらしいぞ?」

「え?そうなの、確かにただ放置しておくには勿体ない程の家だったから、買い手が見つかったのはいい事だけれど、この山奥に引っ越してくるとは酔狂すいきょうな人も居るのね」

「すいきょう?」

「もの好きさんって事」

「もの好きさん!」

「まぁまぁいいじゃないか、この寂しい場所に話し相手が生まれるのなら、君も暇はしないだろう?」

 確かに母は家の事をしているか、買い物をするかしかやる事は無いから暇だとは言っていた、関係を築いたとしてもあの遠さでは、車を使っても一苦労だと昨年実家に帰省したからこそそう思った。

 だからこそこの引っ越し相手はとても素晴らしいものになると思っていたが、現実はそうは上手くはいかないらしい。

 引っ越してくるという知らせを始めてから、数か月もしない内に予定通りその人達は引っ越してきた、両親と私と同じ年代の子供が一人。私の家と全く同じ家族構成で少し親近感を覚えたのを覚えている。

 ただ私の家族とは全く別物な感覚をしているという事がすぐに分かった、何かムサシと言う子、つまりは武蔵君なのだが、武蔵君が何かミスをすると怒鳴り声が森一帯に木霊こだまする。

 私は小さい頃怒られた事は殆どなかった、唯一怒られたと言えば、母も父も居ない間に鍛冶場に入って色々見ていた時、その時は凄まじく怒られたのは覚えている、でもそれ以外では怒られた事は記憶に余り残っていない。

『どうして、そこで気を抜くんだ!』

「また、やっているわね」

「そうだねぇ、ちょっと言い過ぎな気もするが、暴力を振るっている訳でもないし、特に交友を持たぬ僕達が、どうなんだと言うのも違う気がするし、うーん」

 朝早くからどこからか聞こえた声を聞いて、起きた日の事だった、両親がそうやって武蔵君の家の話をしていたのを覚えている。

「うちは、和泉さん家の武蔵君、学校では大丈夫?」

「うーん?わかんない!いつも一人だし…」

「やっぱり、そういう子になっちゃうわよね、口を出すのも違う気がするけど…、うーんどうしたものかしら?」

「ママ、パパ、もう少し寝ていていい?」

「いいよ、正し時間になったら起きるんだぞ?」

 わかっているとだけ伝え、今一度二階にあがりベッドから窓を肘を付き覗くと見える光景がある、それは武蔵君の素振りだった、延々と隣の素朴そうな父親から、ああしろ、こうしろと言われながらも嫌な顔一つせず言われた通りにこなしている、同い年とは思えない程、冷徹な瞳で刀を模した木刀を振るい続ける武蔵君を見て、私はなんて思ったのだろう?

 これ位で物思いは止めておこうと思ったが、辞め時を見失ってしまった、ならば思い出せる限り思い出してみよう、どうせテストなんて今まで通り勉強していたら点数が落ちるなんて事はないであろうから。


 家から出る時間になる前に歯磨きと着替えを終わらせ、母が運転する車に乗り込む時、同じく出発するであろう武蔵君の家の車を指差し、母と会話をする。

「ママ、今日もやってたよ」

「今日もって、あぁあの素振りの事ね」

 母は時間になっても降りてこなかった私を不思議に思い、私の部屋に上がり私が何を見ていたのかを知っている。

「どうだったの?変わっていた?」

「なんかねー、速くなってた」

「また速くなっていたの?あの子それだけ素振りをして壊れないのかしら、と言っても親が無理やりやらせているのなら、彼に拒否権は無いのだろうけど」

 母が言っている事は当時はわからなかったが、今ならわかる。武蔵君の幼少期の練習量は度が越えていた、所謂いわゆるオーバーワークと言える状態であったのだろう、だからこそ…。

「ねぇ、うちは…」

「なに?ママ」

東雲しののめさんの子供と仲良くしてあげてくれる?遊んだりとかじゃなくていいの、ただ喋るだけでも変わると思うから」

「うん、わかった」

 そうして私は、この無理難題とも言える、最難関の問題に挑み始めた。


―小学校教室

「東雲君!お話しよう?」

「………嫌だ」

 そう言い武蔵君は、一人教室の外へ出て行ってしまっていったのを、覚えているというか、しばらくはこの対応を続けられたので、嫌でも記憶に残っていると言った方が正しいか、まぁある種トラウマと言っても過言ではないのだろう、幼心おさなごころだが会話を求めてそれを拒否された事など無かったし、それに加え逃げられるなんて事は今までなかったのだから。

 ―また別の日

「東雲君?」

「っ………」

 今度はトイレに逃げ込まれる、これでは性別の違う私は入る事はできないと残念がっていると後ろから声をかけられる。

「うちは、やめときなよ」

「なんで?」

「なんかママが言ってたよ、東雲君の家とは関わっちゃダメだって」

「そうなの?私はそんな事、言われてないし…」

 保護者が見ている前でも、両親に何か怒られていたのは良く目にした光景だった、その光景を見た保護者一同は、こう思ったのかもしれない、うちの子にも被害が出るかもしれないと…。それを悪い事だとは思わない、自分の子供が他人に理不尽に怒られているのは親としては、黙っていられない事であろうから。

「でもママは、喋ってあげてって言ってたから」

「ふーん、変なの、でも気を付けてね」

「うん、ありがとう」

 ―更に別の日

 何日も話しかけていると、関係にも変化は出てくるものだ、それがいい方向に変わっているのか、それとも悪い方向に変わったのかはわからないが…。

「東雲君!」

「………なに?」

「呼んでみただけー」

「あっそ」

 これが私と武蔵君の初めてできた距離だった、凄い近い訳では無い、けれど凄い遠い訳でもないそんな微妙な距離。

 だけれど、こんな遠くても逃げられなくなったというのは嬉しかったのだ、そこから仲が進展する事は無かったけれど、この距離は私にとって特別な距離と言う事には変わりは無かった。

 翌日、いつもより早い時間に目が覚めたので、またベッドから膝を立て、窓から外を覗く、するとそこにはいつもの武蔵君の父親は居らず、武蔵君が一人で木刀を振るっていた、小学生が振るには少し大きすぎる、身の丈に合っていない木刀をずっと振るっている、その姿は何処か勇ましく、それでいて悲しげだ、無理をしている様な感じがすると言えばいいのだろうか、辛い、苦しいと声が聞こえるような気がする。

「うちは?」

「あ、ママ、もう時間?」

「いいえ、もう起きているんだなって思っただけよ、うちははまた東雲君を見ているの?」

「うん、でも今日は一人みたい」

 そうなの?と口にだし母も窓を覗き見る、その時だった木刀がすっぽ抜けて私の家に飛んできたのは。

「あっ」

 それを見て私は何を思ったのか、それとも関係が深まると思ったのか急いで一階に降り外に出て木刀を取り東雲君の家に向かうと。

「何をやっているんだ!武蔵!剣は剣士の魂!それを投げ飛ばすなんて!」

「いや、あの手が滑っただけで」

「言い訳はいい、早く取ってこい!」

「はい」

 そう小走りで家から出てくる武蔵君とぶつかり木刀を落としてしまう。

「キャッ」

「おわっと、ごめん大丈夫?って和泉さん?」

「ははは、バレちゃった」

「おい、武蔵!どうし…た?」

 その時ママも、いきなり外に出た私を追って外に出てくる、こう言っては何だがこれが初めての出会いだったと言っても過言では無いのだろう。

「東雲さんですよね?和泉です、つまらないモノですが…これを」

 そう言って母は菓子折りを渡し、武蔵君の両親もすいませんと言って一度家の中に入る、恐らく菓子折りを探しにいったのであろう、これが初めての家族付き合い、そして初めて私は彼の名前を知ったのだ。

「ほら、うちは一度ちゃんとした挨拶」

「うん、わかった、私の名前は和泉うちは。よろしくね?」

「あ、うん、東雲武蔵。よろ、よろしく」

 大切になる人の名前を知ったこの日を私は一生忘れる事がないだろう、さてこの続きを想い耽ってもいいのだがそれは、ミーシャさんが許してくれなさそうだ。


「うちはぁー助けてぇー」

 半泣きになりながら、こちらに助けを懇願こんがんする、剣舞に置いては完璧超人と言っても過言では無いだろう彼女にも弱点の一つはあるらしい、問題集を抱えてこちらに助けを求めている、この時点で私に何をして欲しいのかは分かっているが、しかし少し悪戯いたずらをしてみたい気分になった、だから少し何をして欲しいのか聞いてみよう。

「私に何をして欲しいんですか?泣いてばかりじゃわかりませんよ?」

「うぐっ、でも背に腹は代えられないのよ、ミーシャ」

 やはり、同級生に勉強が難しくて解けないというのは、かなりの屈辱くつじょくらしい事は、その言動から見て取れる、だが少し疑問に思った事があった、確か彼女は特別留学と言う事で勉学は免除らしいと武蔵君が言っていた気がするのだが、それはどうしたのだろうか。

「勉学は免除って、開花が言っていたのに、剣聖は文武両道するべしなんていうから補習がこんなに!だから助けてぇ」

 そう言って大量の問題集を見せつけてくるが、成程そういう事か、学園長も酷な事をするものだ。

「わかりました、順番に教えていきますね?」

「本当?ありがとぉぉおおお」

 そう言われながら抱き着かれるが、勉強を教えるとは言ったが、解くとは言っていないのだがそれを勘違いしてなかろうか?まぁそれでも暫くは時間に暇はしなさそうだ。

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