第22話 再別
血が通っていないかのような顔色だが、確かに悠陽だった。黒い袋から這い出し、立ち上がってこちらを見るその瞳は既に光を失っているが、俺の恋人だ。
既に歩く骸となった彼女には俺を認識できるはずもなく、だらんと下げていた手をこちらに向けて飛び掛かって来た。
ああ、本当にゾンビになってたんだな。と改めて認識することによって、強い衝撃が脳内に加わりギリギリと音を立てるように痛みに変わった。
だから、動けなかった。左手首に鋭く鈍い痛みが走り視界が点滅するまでは。
とっさに我に返った俺は噛みつかれたままの左手首を持ち上げ、右手に握られている拳銃を彼女の身体に押し付けて引き金を引いた。何度も、何度も、引き金を引いても弾が出なくなるまで。
ホールドオープンした拳銃には大量の血液がべっとりと付着し、銃口からは硝煙がふわりと零れ落ちる。その先には倒れて血まみれになった愛おしい人の遺体が横たわっていた。
「あぁ…ごめんな」
俺は彼女の遺体を目の前に跪いて許しを乞う。届かない許しを。
しばらく彼女の冥福を沈黙のまま祈り、目を開けて左手首を見る。
噛まれた。
傷口はそこまで深くはないが、だくだくと血液が流れ続け止まる気配はない。
「俺も、そっちに逝く、か」
感染してしまった以上、もう長くはないだろう。俺は脚に力を込めて立ち上がり、彼女の遺体を持ち上げる。
軽いな。元々小柄だったうえに、監禁生活によって痩せてしまった彼女は怪我をしている左腕であっても容易く抱き抱えられるほどだった。
遺体は焼いてしまおう。跡形もなく。人ではなくなってしまった彼女を。
そう思って部屋の出口へと振り返ると、扉の横に棚が置いてあったことに気が付いた。その棚には薬品瓶が並べられている。まさか、な。
俺は悠陽の遺体をもう一度地面に降ろし、地面で傷を抑えて呻き続けている生き残りの女を蹴飛ばし、再装填した拳銃を向けた。
「おい、あの薬品瓶はなんだ」
「グガァッ、あ、あれは、こ、抗生物質。感染初期状態に飲めば、ゾンビ化を抑えられる…」
それを聞いて俺は迷わず棚に置いてあった薬品瓶を開けて、中に入っていた錠剤を口に放り込んだ。何錠飲めばいいかなど知ったことではない。感染が抑えられるなら、生き残れるなら、それでいい。
がりがりと錠剤を噛み砕きながら飲み込む。そして残った薬品瓶をポケットに入れ、地面に置いた彼女の遺体を再度抱き抱え、俺は出口の扉に手を掛ける。
「殺して、コロシテ…苦、し、い…」
扉を開けた俺は、振り返って床に横たわって呻いている生き残りの女に拳銃を向けた。
が、撃つのをやめ、扉を閉めた。中からはすすり泣く声だけが聞こえてきた。
「そのまま失血死するまで、恐怖に溺れてろ」
俺はそう呟いて地下から出て、同じ建物の階段を登って屋上へと出た。
同じ建物内から取って来た灯油を彼女の遺体に掛け、火を着ける。
「ごめんな。守れなくて」
彼女の遺体が灰になるまで、俺はその場でじっとしていた。
夜になり、俺は同じビルに入っているカラオケ店に入った。そして客室に入り、そのまま椅子に倒れ込んだ。
高熱が出ていて眩暈がし、吐き気に襲われている。左手首に巻かれている包帯には血が滲み、じくじくとした痛みが続いている。
「ここで、俺もゾンビになんのか、ね」
そう呟いて、俺は意識を手放した。
1日が過ぎた。まだ、ゾンビにはならず。
2日が過ぎた。左手首の傷の周りがヤバい色になって来た。
3日が過ぎる。手首の色は戻り、眩暈、吐き気、発熱も収まって来た。
4日が過ぎ。ようやくまともに動けるようになった。
どうやら俺はゾンビ化しなかったらしい。
手持ちの食料を全て消費し、行動を起こせるようになったのは悠陽と永遠に別れてから6日後のことだった。アウトブレイクから10日が経っていた。
ビルの外に出ると、黒煙が空へと立ち上っているのがいくつも見えた。夏の高い晴れた空には、黒煙が良く映えている。
そして自衛隊の物と思われるヘリコプターが飛んでいるのが見えた。輸送ヘリだ。北へと向かって飛んでいる。
自衛隊は民間人を可能な限り避難させたのだろうか。皇居の避難所へと戻って確認したかったが、気持ちを切り替えて、俺は土井から受け取った地図を開いた。
この地図にはいくつも赤点が置かれている。この赤点の地点に組織の拠点が置いてあるとのことだ。
もっとも近くにある赤点は、秩父だ。北関東かと言われると微妙だが、土井的には北関東ということなのだろう。内陸部でもあるしな。
そして次が軽井沢、草津。保養地、というかいわゆる別荘地だな。広い土地と整備された建物を不自然にならないように用意するとなると、確かにそういった場所は適しているとも思える。
さらに日光、那須にも赤点が置かれていることから、元凶の組織が大規模な建物や土地を拠点としている可能性が高い。
しかし、どこからそんな資金が出ているのか…。不思議に思いながらも、俺は最初の目標である秩父に向けてどのように移動するかを考え始めた。
当たり前だが既に公共交通機関は壊滅。道路には立ち往生した車が放置されていて車での移動は不可能だ。つまり、歩くしかないということだ。秩父までの距離は直線で60キロと少し。ただ60キロ歩けと言われたらそれほど難しい話ではない。時速4キロで歩き続ければ15時間程度で辿り着けるわけだ。もちろんこれは直線距離の話で、道のりで言えば80キロ以上あるだろう。それでも1日歩き続ければたどり着ける。ただこれも平時であれば、だ。徘徊する感染者、暴徒化した人間、通行止めになった道路、問題は山積みだ。
それでも、行くしかない。元凶共に復讐することが俺の生きる理由だ。
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