第20話 怨嗟

 カッ 




 引き金が引かれ、撃鉄が落ちる音が聞こえた。


 だが銃口から弾丸が発射されることはなかった。








「…は?」




 突発的な衝動で頭部に突き付けた銃を目の前に戻し、確認する。なんで弾が出なかったんだ?


 スライドを引いて薬室内を見ると確かに9㎜の弾薬が入っている。つまり、なんだ、不発弾か。


 それならスライドを完全に引いて排莢し、次の弾薬を薬室内に送る。これで今度こそ…




 今度こそ…








 しかし、俺の手は震えていて動かなかった。


 衝動に駆られて自殺しようとしたが、少し冷静になると死の恐怖が体を震えさせる。




「やめときな」




 俺の目の前で成り行きを見ていた土井が、震える俺の手から拳銃を取り去り、言葉を続ける。




「もう、この世界で彼女を覚えている人間はお前だけかもしれねえんだ」




 だからなんだ、とは言えなかった。


 そうだ。悠陽という人間を覚えている者がいなくなれば、この世界で彼女が生きていた証もなくなる。俺と彼女の共有されていた記憶もともに消えてしまうのだ。


 死ねない。俺は死ねないんだ。








 記憶がフラッシュバックする。この世の誰よりも愛しい人。


 出会いは最悪だった。高校生の2年、生徒会だった彼女に悪ふざけを注意された。彼女の言うことなど聞かずに、何度か彼女を怒らせた。どんなことでも彼女は本気で怒ったものだ。そのたびに悪ふざけ仲間と一緒に低身長を揶揄したが、あまり気にしてもいなかったらしい。


 3年になると同じクラスになった。その時はどうとも思っちゃいなかったし、隣の席になった時も何となく居心地が悪かった。それでも3年になって多少は真面目になった俺は彼女からそこそこの評価がされ始めた。


 その年の秋の修学旅行では同じ班になった。秋の京都は紅葉シーズンでとにかく人が多かったのを覚えている。観光客に呑まれてはぐれそうになった彼女の手を取り、なんとか連れ戻すことができた。


 そのことから修学旅行中はお互いに意識しすぎて同じ班の奴らからも笑われる始末だった。


 修学旅行が終わると受験やら就活やらで大忙しになるが、お互い同じ進学先だとわかると、一緒に勉強なんかするようになった。というか、俺が教えてくれと頼んだんだったか?


 冬には一緒に初詣に行った。振袖姿の彼女にドキッとしたのを覚えている。お参りするときになんて願ったんだったか、恥ずかしくて思い出したくもない。


 春には同じ大学へ進学した。ようやくそこで告白したんだったな。確か桜が咲いている小川の沿道だったかで、歩きながらだったな。


 夏には海に行った。小柄だった彼女の水着姿はどこか幼さを感じさせたが、指摘しようものなら砂浜に埋められていたことだろう。山にも行ったが、登っている最中に彼女が足を滑らせて沢に落ちた時はかなり焦った。荷物を投げ捨てて俺も飛び込んだが、むしろ俺が溺れて彼女に助けられた。何を隠そう俺は金づちである。


 秋にはまた京都に行った。修学旅行では行けなかった場所で紅葉を楽しんだんだったか。


 だが、そんな幸せだった日々はそう長くは続かなかった。


 大学3年目の春。彼女の両親がヤバい宗教にハマっちまった。そこからずるずると、組織に引きずり込まれて行った。


 俺が彼女の連絡だと思って呼び出された場所で、俺は拉致された。


 そこからはさっき思い出した通りだ。奴らに協力させられ、散々使われた後で愛する人をゾンビに変えられた。












「向井。時間がねえ。手伝ってくれるな?」


「ああ」




 復讐だ。土井も建前では他の生存者のためだと言うが、本音は復讐のはずだ。目が正気じゃない。たぶん俺も同じような目をしているだろう。




 土井は俺に拳銃を返し、歩き始めた。俺は彼のあとを追う。


 そうだ、記憶が戻りつつある。俺が組織に指定された場所はこの先だ。そこで悠陽に会えると言われたんだったな。


 小銃を持つ手に力が入る。




「このビルだ。この地下に奴らがいる」




 土井が案内したビルは大通りから入ってすぐの所にある何の変哲もない雑居ビルだった。カラオケやら電気屋やらマッサージ屋やらの看板が出ている。ただし地下へ続く階段には何も表示が出ていない。




「そのライフル、89式だな。銃床を折り畳んでフルオートにしておけ」




 確かに、狭いビルの地下での戦闘ならその方が良さそうだな。言われた通りに銃床を折り畳んで、セレクターをレに切り替える。




「中には組織の人間しかいない。抵抗するようなら構わずぶっ殺せ。いいな?」


「殺していいのか?あんた公安だろ。情報聞き出したりとかしねえのか」


「どうせここにいるのは下っ端だ。情報機器とか資料とかありそうだったから、大丈夫だ」




 ありそうだった、と言われると少し不安なのだが。ともかく、土井を先頭にビルの地下へと降りて行った。








 階段の先は鉄の扉だった。ぱっと見だとメンテナンス用の扉だ。土井がゆっくりと扉を開くが、扉から少しずつ音がしている。




 1・2・3 土井がジェスチャーで合図するとともに扉から中に飛び込む。


 手が離された扉が勢い良く締まり、俺たちの後ろで大きな音を立てた。


 するとすぐに何人かの声と足音が聞こえてくる。




「構わず、撃て」




 俺たちのいる廊下と思われる場所に数人が駆けつけて来た。鼻から上を鳥の覆面のようなもので隠している集団だった。ああ、そうだ、こいつらだ。俺はこいつらに指示を受けて散々汚れ仕事をさせられたんだ。


 俺は相手が敵だとわかった瞬間に、引き金を引いた。






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