第11話 消憶

あなたはいったい、何者なんですか?




 そんなこと言われても、俺は俺だとしか言いようがない。いや、待て。


 名前は向井淳。生れは1995年、現在は2018年だから23歳。


 それで?それ以外何がある。








 思い出せない。


 断片的な幼少期や学生時代の記憶はある。だが、あるところでぷっつりと途切れた記憶は、先日の渋谷の交差点で起きた事件から再開している。




 俺がいったい何者なのか、自分でも証明できない。いや、身分証明書もあるし、自分の名前も生年月日も覚えているし、出身地と実家の記憶はある。


 今住んでいるところは…?わからない。


 今の仕事は…?わからない。


 何をしていて渋谷にいた…?わからない。




 俺はいったい何者なのだろうか。




 確かに多田野さんの言った通り、俺は自分で言うのもなんだがこの状況下でもかなり冷静だ。普通なら他の避難民のように取り乱したりするだろう。自衛官でも気が立っていたり極度に緊張していたりする人たちがいるくらい、今の状況というのは芳しくない。それもそのはず、いつ終わるとも知れないこの非常事態に落ち着いていられるわけもないだろう。それに自分たちは生きていても、家族や友人たちのことも心配でたまらないはずだ。


 では、俺はどうか。今の今まで家族のことなど気にも留めていなかった。友人も今でも交友がある人物を思い出すことすらできない。薄情な奴だと思ったが、ここ数年の記憶を失っている俺には心配という感情が芽生えることはなかった。


 オヤジやオカンは元気だろうか。3人いるアニキ達はそれぞれ地方で暮らしていると記憶しているが無事なのだろうか。古い友人たちも生き残れているだろうか。




 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。目の前にいる多田野さんは怪訝な顔を隠すこともなく、俺を睨みつけている。そんなに怖い顔をしなくてもと思うが、彼の目には俺が不審者として映っているのだから致し方ない。




「俺は…何者、なんでしょうか」




 俺は彼を納得させるような言葉を思い付けず、戯言のように漏らす。


 多田野さんは怪訝な顔から呆れたような顔に表情を変えた。




「ふざけている…様子ではないですね。隠し事をしているようにも見えません」


「ええ、本当に自分が何者なのか記憶が曖昧なんです。先日から数年前までの記憶がぽっかりと抜け落ちているんです」




 多田野さんは少し考えこんでから、ゆっくりと話し始めた。




「先日…というと感染者が出始めた時から、ということですね。ショック性の記憶喪失、かもしれませんね。専門家ではないので断定はできませんが」




 そう言われてみれば、確かに俺の記憶は突然に渋谷の交差点で人が喰われている惨状から始まっている。渋谷にいたのも偶然で、自分がとてつもなく冷静でいられる理由も記憶喪失による副産物だとすれば、辻褄が合わないこともない。


 ただ気になるのは、拳銃の操作方法を知っていたことだ。記憶のある数年前までは特別にガンマニアというわけでもなかった。銃を撃つようなゲームをやったことはあったが、実際に扱ったことはないはずで、手際のよい操作などできるはずがない。




「いったい、俺は何者なんでしょうか」




 言い知れぬ恐怖を感じる。記憶にないだけで、実は自分が凶悪な犯罪者だったりするのではないか、と考えていると不安に苛まれていく。




「ふぅむ。拳銃の操作の手際が良かったことを考えると、我々と同じ公務員だった可能性はあります。ただ日本で自動拳銃を扱うことが多いのは我々自衛隊くらい。あとは警察の特殊部隊や刑事課の人とかですか。どうです、何か思い出しませんか」




 多田野さんは先ほどまでの怪訝な顔を普段の表情に戻し、親身になって考えてくれたようだ。


 ただ、何も思い出すことはできない。たぶん少なくとも自衛官や警察官ではなかった、と思う。


 俺は申し訳なさそうに首を横に振る。




「では海外で経験を積まれたとかでしょうか。米国なんかではスポーツシューティングはメジャーですし」




 確かに米国では一般人でも銃器を所持できる。州によって法律は変わるが、拳銃程度なら容易に手に入れることが可能だったはず。


 しかし、海外に行ったという記憶もない。それに自分の所持品にパスポートなども見つからなかった。まあ、パスポートを常に持ち歩いている人もそんなにいないからあまり当てにはできないが。




「たぶん、それもないです。英語が話せないので」




 そう、俺は英語が全くと言っていいほどできない。だからそもそも海外説は否定できる。




「では…その…堅気ではない、と?」




 多田野さんは少し言いにくそうにしていたが、案外はっきりと言ってくれた。


 堅気ではない、つまりは暴力団関係者や犯罪者の類なのではないかということだ。


 今のところ体に墨は入っていないし、指もしっかり全てある、見た目もそっち系ではない。


 となると、銃器犯罪に関わっていた、とか?


 待て。そういえばこの騒動はテロの可能性が高いって言ってたな。世界各地で同時多発テロが起こったのではないかと。考えたくはないが、俺がこの状況を創った元凶の仲間なのではないか?




「わかりません…ですが、あり得ない話とも言えません」


「いえ、私も口が過ぎました。最近はエアガンなんかもリアルになっているので、サバゲ―マニアだった可能性も否定できませんよ。そう悲観しないでください」




 多田野さんは明らかに狼狽し始めた俺を見て、肩を叩きながら慰めるように言ってくれた。だが、あまり気が晴れるわけもなく。








 そこで気が付いた。どうして警戒対象である俺を村雨さんと一緒に行動させたのだろうか。拳銃まで持たせているのは明らかにおかしいのでは。


 疑問に思ったら即質問していた。




「どうして俺に銃器まで渡して、村雨さんと一緒に行かせたんですか」


「ああ、それですか。村雨にはあなたが妙な真似をしたら即刻処分するように言っておいたんですよ。彼女は、まあちょっと言えない部隊の出身でしてね。身のこなし、射撃の腕、別格です」




 確かに、身体能力も射撃スキルも尋常ではない村雨さんなら、俺が拳銃を向けたとしても先に死ぬのは俺の方だっただろうな。そんなことするつもりは毛頭もないが。


 そうか、俺は処分される対象だったのか。結構クるものがある。




「まあ、そんなに落ち込まないでください。あなたが何者かは依然としてわかりませんが、危険ではないというのがわかりましたから。明日も食料の調達をお願いします」




 多田野さん…使える奴はトコトン使うタイプの人ですか、そうですか。まあ、協力して欲しいと言われれば、今は断る理由もないだろう。




「監視のための村雨も明日は生存者の救出に回します。この避難所付近は比較的感染者が少ないので、大丈夫でしょう。心配でしたら、小銃も持っていきますか?」




 俺が断る兆しを見せないことを良いことに、多田野さんはさらに詰め寄って来た。わかったわかった、どうどう。




「わかりました。小銃のほうも確認させてもらっていいですか?」


「ええ、どうぞ」


「ちなみに、その小銃は誰の物なんですか」




 多田野さんは取り出した小銃を俺に手渡してにっこりしながら。




「ああ、これは私のですよ。射撃の腕はからっきしなので、どうぞ持って行ってください」




 おい、良いのかそれで。見た目は叩き上げっぽい感じだけどな、多田野さん。




 受け取った小銃、89式から弾薬の入った弾倉を外し、チャージングハンドルを引いてチャンバー内を確認。弾薬が入っていないのを確認してから弾倉を戻し、再度チャージングハンドルを引いてチャンバー内に弾薬を送り込む。銃口を下に向けながらセレクトレバーを回してセーフティを解除する。これで射撃可能になっているはずだ。


 トリガーには触れず、セーフティを掛けなおし、弾倉を外す。チャージングハンドルを引いてチャンバー内に残っていた弾薬を取り出し、弾薬を弾倉に戻す。




「本当に何者なんですか…向井さん」




 チャージングハンドルを引いて弾薬が入っていないのを再度確認してから構えて、照準を覗く。さっきから気になっていたが、アイアンサイトに被らないようにややハイマウントで載せられている光学照準器に驚いている。最近ではしっかり光学照準器をつけるようになったんだなぁと感心した。




「ああ、それも私の私物です。結構高かったんですよ。まあ、それがあっても当たらないんですけど」


「あー、そうなんですか」




 俺はテキトウに答えながら小銃をテーブルに置いて多田野さんの方を見る。感心してるような、呆れているような、何とも言えない表情で俺を見ていた。


 そんな目で俺をm












 そんなこんなで、自分の寝床(木陰の芝生)に戻った俺は、自分で調達してきたレトルト食品をスプーンで掬って食べたあと、暑苦しさと飛来する蚊に苦戦しながら眠りについた。


アウトブレイク2日目が終わる。








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