第2話 拡大

 ピンコンピンコンと音を出しながら到着した電車の扉が開く。そこまで混みあっていないななどと考えていた思考が固まる。




「ウゥー」




 目の前の開いた扉の向こう、電車内にいたのは渋谷の交差点にいたものと同じようなゾンビの群れだった。




「...」




 ヤバい、と思い呼吸が出来ない。


 一瞬の空白、顔面が血にまみれている中年のゾンビと焦点の合っていない目が合う。


 だが、ゾンビと思わしき群れはすぐには襲い掛かっては来なかった。




「ギャアァアアーーーーー」




 だがその一瞬の静寂は俺の横にいた女の絶叫で途切れる。


 その瞬間、電車内にいたゾンビたちが一斉に動き出した。電車が止まった時の慣性で倒れた数体のゾンビがぐわっと起き上がり、俺の目の前にいた中年ゾンビは俺の横で声を上げた女へと飛び掛かった。




「イヤァアアアーーーーーー」




 女が電車から飛び出してきた中年ゾンビに押し倒されているのを見ている暇もなく、俺はホームを走り出した。


 他の車両からも同じように中からゾンビが出てきては、乗り込もうとしていた人々を一斉に襲い掛かる。やはり皆、大声を上げて驚いたためにゾンビが反応しているのだろう、飛び掛かられて押し倒されて首元を喰い千切られている。


 それを横目に見ながらホームの出口の階段へと全力で走っていく。




 騒ぎは瞬く間に広がり、隣のホームの若者たちがスマホのカメラを向けている。そんなことしてないでとっとと逃げろよと言いたいところだが、俺が言ったところで聞く耳も持たないだろう。


 階段を駆け降り、改札へと向かって走る。全力疾走している俺を見て顔を顰める人々のことなど気にせずに。








 改札を抜けて振り返ると、既にホームから降りてきた(落っこちてきた)ゾンビの群れが構内にいる人々を襲っていた。腰を抜かして動けなくなっている女性や、必死に杖を立てて逃げる老人、泣き叫んでいる小さな子どもなどが次々と喰われていく。


 肉を噛み千切られる痛みに絶叫を上げる様々な声に耳を塞ぎ目を背けたくなるが、この非現実的な光景からなぜか目を離せなかった。




 しかし、それも一瞬のこと。我に返った俺は駅の構内から出て駅前広場へと出た。さすがに首都の名のついた駅だけあって趣のある駅前広場があるわけだが、その先にある道路上でも何かが起こっている様子だった。


 タンクローリーを取り囲む複数の警察車両。警官は声を荒らげながら拳銃を運転席へと向けている。




「おいおい、今そんなことやってる場合じゃねえだろ…」




 俺は振り返って駅からあふれんばかりのゾンビの群れを見る。改札を越えようとするゾンビに対して改札の扉がガンガンと閉まり、ちょっとした時間稼ぎをしてくれている。


 駅員たちはあまりの事態にどうしたらいいのかとあたふたしているが、もうどうしようもないだろう。




 とにかく、また逃げなければと走り出そうとした瞬間。駅前広場の向こうで警官に囲まれていたタンクローリーが光った。














 いや、光ったのではなく爆発したのだと気が付いたのは目を覚ましてからだった。自分が気絶する瞬間すらわからないほどの衝撃だったのだろう。生きていることの方が不思議かもしれない。


 倒れたまま、自分の身体に異変がないかを確かめる。腕がおかしな方向に曲がっていないか、足が亡くなっていないか、どこからか大量に出血していないか、どこかに鉄の破片が突き刺さっていないか。


 痛む個所は複数あるが、運のいいことに大きな外傷はなく、何とか立ち上がることができた。




 そしてようやく周囲を見渡し、自分が気絶していたのがほんの数十秒程度だったのだと察する。


 駅構内から出てくるゾンビを目にしたからだ。それらは先ほどゾンビに襲われ、喰われていた女性や老人たちが混じっているのだから確実だろう。


 さらに周囲を見ると、爆発の影響でそこらじゅうにガラスが散乱していた。摩天楼の中心で爆発が起きたのだから当たり前だろう。


 ゾンビの混乱にまったく気が付いていなかった人々がビルから避難するように飛び出してくる。


 ビルの中にいた方が安全なのだが、彼らはそれに気が付くはずもなく、次々と建物から人が出てくる始末だ。




 俺は痛む身体に鞭打って、走り始めた。とにかく駅から離れよう。その一心でだ。


 爆心地の方にはあまり近寄らず、南へと向かう。


 ビルから出てきた人たちは、一部が怪我をしていて血まみれになっている。あれだけの爆発があれば吹き飛んだガラスなんかで怪我をするだろう。


 彼らは必死にスマホを取り出して救急車を呼ぼうとしている。しかし。




「つ、繋がらない…警察も消防も!つながらないぞ…」




 そんな人々を横目に見ながら、俺はひたすら駅から離れる。彼らに事情を話しても、どうせ混乱させるだけだろうし、信じて貰えるわけもない。


 ある程度離れると、今度は爆発を聞きつけた人たちとすれ違う。そっちは地獄だぞと思いながらも、俺は口には出さずに痛む身体を引っ張るように小走りで逃げた。








 ただ、南へ移動している中、冷静になって考えると、他の駅でも同じことが起こっている可能性があるのではと思い付いた。南には隣の駅があるため、そっちに向かうのは間違いではないかと。


 とはいえ、戻るのも危険だ。すでにゾンビたちに気が付いた人たちの悲鳴も聞こえ始めている。


 そこで、俺は進む方向を変える。


 しばらく進むと、視界が開ける。そう、首都の摩天楼の中心にある広いあの空間である。




 最初の遭遇から1時間と少し経った。


 電車にゾンビが乗っていたことから、俺が最初に遭遇したのがすべての元凶ではないと考えられる。既に都内では感染が広がっている可能性が高い。先ほど爆発があったにも関わらず緊急車両の音が聞こえないということは、既に公的機関も状況を理解しているのだろう。




 俺はとにかく安全な場所へと思って、お堀の中心へと続くだだっ広い道を足を引きずって歩いた。先ほどまではたいして痛まなかったが、アドレナリンが切れのか痛みがじんじんと出始めた。


 1つ目のお堀を越え、とにかく広い舗装路の上を歩いて、坂下門までやって来る。そこには警戒心を露わにしている青服のおっちゃんが数人おり、俺のことを睨んでいる。


 俺はそんな視線に耐えながら、彼らの目の前に腰を下ろした。足が痛むためだ。折れてはいないようだが、両足とも痛むのはマズい。




「ちょっと、どうしたんですか。怪我、ですか?」


「ええ、さっきの爆発音、聞こえてました?」


「はい、あの、何があったんですか」


「いや、まず何から話せばいいか…」




 とそこでおかしいことに気が付く。この人たちは皇宮警察、警察なのに状況を正確に把握していない、のか。


 いや、単に爆発について聞いているのであって、ゾンビが発生している件については何かしら聞いているだろう。




「えっと、駅にいたら襲われまして、それで駅前でタンクローリーが爆発して、ここまで逃げて来たんです…」




 おっちゃんたちはわけわからん、といった感じで俺を睨む。そう睨まれても、事実を言っただけで。


 いや、もうこの際だから全部聞いてしまおう。ゾンビについて知ってるのか、今都内がどうなっているのか。




「今、警察は状況を理解しているんですか。110番も119番も繋がらないって、話、ですし…」




 そこまで言って、俺は自分が駅にいたときからスマホを見ていないことに気が付いた。そうだ、もう一回見て情報を整理しよう。




 SNSを開くと、もうそこは情報が錯綜しており、とにかく混乱しているらしい。都市部にいる人間とそれ以外の人間では状況理解に差があり、実際にゾンビを見たりした人たちは必死に現状を伝えようとしており、人々が襲われる動画がいくつも上がって来ている。


 ニュースサイトに切り替えると、一面がそのニュースを取り扱っている。情報をまとめた記事では、既に都内の複数の場所でゾンビと思わしき暴徒が確認されているとしている。




 それを見ていると、座ってスマホを見始めた俺をどうしたもんかと睨んでいたおっちゃんたちの無線が鳴る。




「―――ズズ コチラ本部 キンキュウジタイセンゲンガ発令サレタ スベテノ出入口ヲ封鎖セヨ―――」




 おっちゃんたちは全力疾走で、俺を置いて門へと向かっていく。ああ、これは追いつけねえ。やべえな締め出される。


 そんなことを呑気に考えている自分が命の危機にさらされていると気が付いた時には、門が完全に閉まり、閂か何かでもしたかのような音が響いた。












 しばらくどうしたものかと座り込んでいると、ヘリコプターが上空を飛んでいることに気が付いた。ヘリはどうやらこちらに降下しつつあるようだ。機種は…あれ、CH…のなんかあれだ、あれ。


 やがてヘリは俺からちょうど100メートル先くらいの広場に降りると、ぞろぞろと自衛隊員たちが出てくる。


 どうやら彼らは完全装備のようで、周囲を警戒しながら全員が降機するのを待っている。そんな隊員の1人と目が合った。待って、小銃を向けないでくれ、俺はゾンビじゃない。


 俺は間違って撃たれないように、こっちは人だよと示すように手を振った。銃は降ろしてくれたようだが、周囲の隊員たちに俺がいることを知らせたようで、さらに数人がこちらを向いた。




 ヘリが隊員を全て降ろし、飛び去っていく。するとすぐに次のヘリがやって来て隊員を降ろした。彼らは周囲に展開し、ヘリから降ろした装備やなんかの入った箱を運搬している。


 そんな光景を、俺は痛む足をさすりながら眺めていた。どうせ逃げ場なんぞないなら、彼らの近くにいるのが今は安全だろう。


 そう思っていると、隊員のうちの2人が俺に近付いて来る。50代くらいのベテランっぽい感じの人とたぶん最初に俺と目が合った隊員だろう。




「民間人…でよろしいですか?」




 50代くらいのベテランっぽい感じの隊員は俺に丁寧に聞いてきた。どうやら邪険に扱われることはなさそうだ。




「はい。民間人です」


「そうですか、状況を理解しているようですが、どうですか?」


「と言いますと、ゾンビ、ですか?」




 俺の言葉を聞いて、彼は渋い顔をした。お互いに現実を理解するための会話だったのかもしれない。




「ええ、我々は特定感染者、と呼称していますが。いわゆるゾンビですね。既に都内のほとんどの場所で確認されていて、避難所開設のために我々は派遣されました。皇内には既にお話を通しているので、すぐに入れるようになりますよ。運がいいですね」




 彼は俺がここに避難してきたことを理解しているようで、苦笑いしながら教えてくれた。


 それと同時に手に持っていたスマホが不快な音でけたたましく鳴く。画面を見ると緊急避難警報が発令されたとあり、今いる地点から最も近い避難所を表示している。




「では、これから民間人保護のために我々は準備がありますので」


「ああ、はい。あ、そうだ、あの名前だけでも」




 俺は彼を呼び止めて、名前を尋ねる。ちょっと偉い人っぽいし、名前を聞いておいて損はないだろう。




「私は多田野2等陸尉です」


「多田野さん、親切にありがとうございました」


「いえ、民間人保護が我々の仕事です。あ、そうだあなたの名前を伺っても?」


「え、あ、はい、俺は…






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