【白銀】伝えたい気持ち(文の日)

 狩りがある日は、孤児院の門の前でいつも彼を見送るのが日課だった。


「じゃな、レティ。また後でな」

「うん、グレイル。気をつけてね。怪我しないでね」

「レティは心配性だなぁ。任せろよ、今日こそ一番でっかい獲物を捕まえてきてマザーとお前をビックリさせてやるからな!」


 そう言ってグレイルが元気よく孤児院の門から飛び出していく。先輩オオカミ達の後を追って走っていく小さな背中。揺れる黒い尻尾を見つめながら、レティリエはその後ろ姿が消えていくまでじっと見つめていた。

 彼の姿が森の奥へ消えたのを確認すると、レティリエは足元に置いた籠を手に取る。そして一人で反対側の森へ向かって静かに歩き出した。


 村の皆が狩りに出かけている時間、レティリエはいつも一人で木の実や果実を採りに行っていた。適齢期になり、狩りにでることを許されたグレイルは毎日張り切って出かけていき、泥だらけになって帰ってくる。食卓を囲みながら聞く彼の武勇伝は面白かったが、何も話すことがない自分が少しだけ恥ずかしかった。

 

(私も何かお話したいな)


 ぼんやりとそんなことを思いながら森の中で木苺を採取していく。採った木苺は後でマザーがジャムにしてくれるだろう。彼女が作ったジャムが食卓に出てくると、グレイルはいつも目をキラキラと輝かせながら食べるのだ。

 少しでもたくさん食べてもらいたい気持ちで一心不乱に木苺を採っていると、後ろでパシャンと水が跳ねる音がした。


「わぁ……!」


 見ると、背後の川にたくさんの魚が泳いでいた。日の光を受けて輝きを放つ銀色の魚が、パシャパシャと尾ひれで水面を叩きながら群れを成している。暖かい気温になって水の下から出てきたのだろうか。空中に舞う水滴が虹色に変わるさまは見たことがない程に美しかった。


(グレイルにも見せてあげたいな)


 そう思った途端、居ても立っても居られなくなった。キョロキョロと辺りを見回すと、川の近くにツユクサが咲いているのが見えた。青くてころんとした小さな花。ここいらではよく見かける馴染みのある植物だ。

 レティリエは屈んでツユクサを手折ると、弾む心を抑えながら村への道を走っていった。


 孤児院に着くと、ちょうど彼も狩りから帰ってきた所だった。顔も服も泥だらけにした彼に走りより、大きく肩で息をしながら呼吸を整える。いつもと違ったレティリエの様子にグレイルも驚いていたようだが、先程見た光景を話すと彼は金色の双眸を輝かせた。


「へぇ、よくそんな場所を見つけたな。そういやもうすぐ春か。俺も見てみたかったよ」

「うん。だからね、今度一緒にそこへ行きましょう? 私もあなたと一緒に見たいの」

「もちろん良いけど、場所はわかるのか?」

「多分わかると思うわ。この花が咲いていた場所だから」


 そう言って手に持っていたツユクサの花を渡すと、グレイルが嬉しそうに受け取った。その笑顔が眩しくて、レティリエの胸がキュッと心地良く締め付けられる。暫く手の中でツユクサの茎をくるくると回していたグレイルがふっと口角をあげた。


「そうか。俺達が狩りをしている間、レティは俺達が見られないものを見ているんだな」

「でも、私が見ているものなんていつもの森の光景だもの。そんな珍しいことなんてなにもないのよ」

「レティの目を通して見るものは、俺が見てるものとは違うんだよ」


 何気なく言われた彼の言葉がじわりと心に広がっていく。ふつふつと胸の内から湧いてくるのは喜びの感情だった。彼はレティリエの過ごした一人の時間も大事にしてくれている。そう思うと心が軽くなるようだった。


「これからは私もその日にあった出来事をお話してもいい?」


 恐る恐る聞くと、グレイルが「おう」と言ってニッと笑った。



 その日から、レティリエは一人で森に行く度に花や葉を取ってきた。そしてそれを彼に渡しながらその日一日あったことを語るようになった。シロツメクサが群生している場所がまっ白な絨毯みたいで綺麗だったこと。木にできたばかりの木苺を食べてみたら酸っぱかったこと。次第にそれはその日の思い出を語るものではなく、彼への思いがこめられるようになっていった。

 

 疲れている時はラベンダーを。

 怪我をした時はドクダミを。

 大きな獲物を獲ってきた次の日には彼の好きなヤマモモを。


 恋心を自覚してからは、それは言葉にして伝えない秘めたメッセージとなっていた。よく眠れますように、早く怪我が治りますように。自分の気持ちを言葉にすることができなかったレティリエは、そうやって手渡す草花に自分の思いを託していた。




 ある時、レティリエがいつものように森の中で木の実や果実を採っていると、カサッと草を踏む音と共に誰かの話し声が聞こえた。反射的に影の草むらに飛び込み、ドキドキと大きな鼓動を打つ胸を抑えながら顔を出す。目の前にいたのは見知らぬ男女の狼達だった。

 大きな木の幹により掛かるようにして肩を寄せ合う二人の様子は睦まじく、それだけでも二人の仲が親密であることが手に取るようにわかった。少し離れた所で見ていると、灰色の耳をした男の狼が女の狼の耳元に口を寄せて何事か囁く。次の瞬間には男が後ろから白いクチナシの花を取り出し、女性の頭にそっと飾った。女は一瞬驚いた表情をしたがすぐに破顔し、嬉しそうな表情で頭の花に手を添える。漆黒の艷やかな髪に咲く純白のクチナシの花は息を飲むほどに美しかった。


 一連の様子をレティリエは息を止めながらずっと見ていた。好いた相手に花を贈られる彼女の姿が酷く眩しく見えて、レティリエは羨望の眼差しと共にそこに立ち尽くしていた。

 ふと濃厚な甘い香りを感じて振り返ると、視界いっぱいに白い花が飛び込んできた。緑の葉を背景に可憐に咲き誇っている純白の花は今しがた見たばかりのクチナシだ。

 思わず手を伸ばして一本手折り、鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。彼を想いながらそっと花弁に唇を落とすと、ぷっくりと膨らんだ瑞々しい花弁が唇を掠めた。この感触が彼のものであれば良いのにという考えが脳裏をよぎるが、その望みを振り払うように頭を振ると、レティリエは静かに村へと戻って行った。


 孤児院に帰宅し、先程手折ったクチナシをグレイルに渡す。一点の汚れもない純白のクチナシを見てグレイルの顔が綻んだ。


「随分といい匂いがする花だな。今日はどこに行ってきたんだ?」

「北の方の森に行っていたの。そうしたら……あの、その花を見つけて、綺麗だなって思ったから」

「へえ、こんな花が咲いているなんて知らなかったよ。俺達からすると森は狩り場だからなあ。レティが教えてくれなかったら知らなかった植物だらけだ」


 言いながらグレイルがそっと花弁に鼻を近づける。ほんの一瞬だけ――その仕草が先程見た光景とかぶって、レティリエの心臓がどきりと鳴った。だがすぐに身の丈に合わない願望を抱いてしまった自分に気付き、レティリエは悲しみと共に目を伏せた。


(だめね私ったら……こんなことを望んだってしょうがないのに)


 だけどほんの戯れでもいい。例え遊びでもいいからこの花を自分の髪に飾ってもらいたかった。例え実らなくてもいいから、自分の気持ちを彼に知ってもらいたかった。


「レティ?」


 頭上から気づかわしげな彼の声が降ってくる。不思議そうな彼の声にハッとして、レティリエは慌てて笑顔を取り繕った。


「あっ、ううん、何でもないの。あなたに気に入ってもらえて良かったわ。たくさん咲いている所はもっと綺麗だから、今度教えてあげるわね」


 努めて明るく言うと、グレイルが「おう」と軽く返事をする。なんとなく彼の顔を見ていられなくて視線を落とすと、密かに想いを込めたクチナシの花が、彼の手の中で花弁を震わせていた。

 





※※※


「グレイル? どうしたの? 何かあったの?」


 キッチンを覗くと、珍しくグレイルが机の上に何かを広げて眺めていた。あの頃と違って倍以上も大きく、広くなった背中の下で黒い尻尾がゆらゆらと揺れている。

 レティリエの声に顔をあげた彼は、こちらを向いて嬉しそうに微笑んだ。


「懐かしいものが出てきたんだ。これ、覚えてるか?」

「懐かしいもの? 何かしら」


 持っていたりんごの籠を置いて彼の元へと駆け寄る。彼の背後からぴょこりと顔を出してテーブルの上を見ると、そこには白いレースの生地が広げてあった。レースの上に広がるのは色とりどりの押し花だ。長い年月を経て少し色褪せているものの、それでも当時の鮮やかな色合いをその花弁に閉じ込めている。


「わぁ、とても綺麗ね。でも懐かしいっていうのはどういうことかしら。こんな素敵な生地、私は見た覚えがないのだけど」

「この花はお前がくれたものだよ。昔、出かける度に色々と摘んできてくれただろ? 勿体ないからマザーに頼んで押し花にしてもらっていたんだ」


 意外な言葉に驚いて彼の顔を仰ぎ見る。グレイルは口元に笑みを称えながら広げられた花の一つを指さした。


「ほら、これは魚をいっぱい見つけたって言いながらくれた花だ。これは美味しいりんごがとれた時にくれた花。これは俺が怪我した時に取ってきてくれた花。それからこれは」


 言いながらグレイルの指が純白の花を撫でる。


「お前が泣きそうになりながらくれた花だ」


 彼が指差した場所には、白い大きなクチナシの花が広げられていた。花びらが破けないようにそっと手に持ち、指で優しく花弁を撫でる。口づけと共に秘密の想いを託したそれは、今もなおあの時と同じ輝くような白さを保っていた。


「俺は草花に詳しくないから、何の花か逐一マザーに聞いていたんだ。疲れてる時にはちょうど良くハーブや薬草をくれたし、大きい獲物を獲って喜んでいるとヤマモモを贈ってくれたし、お前がなんとなく手渡すものにメッセージをこめてくれていたのは知っていたよ」

「やだ、そうなの? なんだか恥ずかしいわ……」

「でもこのクチナシは何の意味が込められているのかはわからなかった。この花をくれた時に……なんだか悲しそうな顔をしていた気がするんだが、その時はお前が何を思っていたのかわからなかったんだ。気がついてやれなくて、悪かった」


 言いながらグレイルが片手をあげる。その手には瑞々しくふっくらとした花弁を持つクチナシの花が握られていた。押し花ではないそれは、先程彼が外に出た時に摘んできたものなのだろう。


「あの時の言葉を聞かせてくれないか?」


 言いながらグレイルがゆっくりと手を伸ばしてレティリエの髪に触れる。甘い香りと共に、純白の花が銀の髪に美しく咲き誇った。

 震える手でそっと花を触ると、喜びの感情が胸に流れてくる。感極まってグレイルに抱きつくと、あの時より遥かに逞しくなった腕が優しく抱きとめてくれた。


「好きよ、グレイル。大好き」

「なんだ、いきなりどうした。それがあの時言いたかったことなのか?」

「ううん、違うわ。でももう言う必要はないもの。だって今は直接伝えられるから」


 言いながら手を伸ばして彼の首に抱きつき、うんと背伸びをして自分から唇を重ねる。柔らかさと共に感じる甘い温もりは、あの時焦がれていた感触だ。

 唇を離して見つめると、大きく開いた金色の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。驚いた彼の表情に、今更ながら恥ずかしさが込み上げてくる。もじもじとしながらうつむくと、頭上から楽しげな笑い声が降ってきた。


「間接的な言葉も良いが、やっぱり直接受け取るのが一番だな。返事もすぐに返せる」


 次の瞬間にはぐっと腰を引き寄せられて唇に熱を感じた。自分のよりももう少し熱くて力強いそれはレティリエの胸にまた幸せの花を一つ咲かせる。口先に感じる熱は、クチナシの香りより遥かに甘くて濃厚だ。

 優しい温もりに全身を委ねながら彼の背中に手を回す。世界で一番安心できる腕に抱かれながら、レティリエは静かに目を伏せた。

 

 お互いに想いを交わし合えることの幸せを噛み締めながら。


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