第9話「帰還/そして……」
僕と瑠子がレンガの家から出るとそこには悠人が立っていた。「お帰りなさい。随分と長かったな」
「ただいま」
瑠子はばつが悪そうに悠人にそう言った。
悠人は笑顔を見せ、遠くに聳える駅の出入り口を指差した。「俺が渡した黒いパスさえ持っていれば、二人とも無事に現実世界に出ることができる。二人で先に行っててくれよ」
「悠人は僕達と一緒に行かないの?」
「あぁ、俺はここでまだやらなきゃいけないことがあるんだ」
瑠子は少し寂しそうな顔をする。「そっか……。じゃ、先に行っているね」
「悠人、僕達はいつでも君を待っているよ」
僕と瑠子は手を取り合い、【烏火】駅のホームへと向かった。
男は机の上に置いてある名刺をちらりと見る。『沢渡(さわたり)悠人 霊界協会 調査部 怪物駆除課』
「沢渡悠人。去年交通事故で死に、ここにやって来て、飛び級で専門家になった天才か。しかも受肉して現実世界を行き来する権利も持っている」
真っ黒な制服と制帽の位置ずれを直しながら男はそう言うと、葉巻を取り出して吸い始める。
「俺は二人に幸せになってもらいたいのです」
悠人のその答えに男は頭を抱えた。「そのために代償として優秀な君を失うのは我々としては痛いのだけどねぇ」
「でしょうね。でも、こうなる運命だったと俺は思います」
「そうか。長い死神生の中で君みたいに肝が据わっている霊は初めてだよ」
「どうせ俺は死んでいるんですし、生まれ変わる気もなかったので別に平気です。とっとと俺を消して、彼女を受肉させて下さい」
死神は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「うーん……君がそこまで言うのなら、望み通りそうしてあげよう。ただし、それは私の質問に答えてからだね」
「質問とは何です?」
「君が仕事という名目で、向井(むかい)健太郎という少年を怪物から助けたのは瑠子からの指示だよね?」
「はい。瑠子は健太郎を怪物から救い出して、そのついでに二人で話がしたいと言っていました。しかしそれは建前で、死んだ後もずっと健太郎を自分の手で殺したがっていたのがバレバレでしたよ。毒入りのポテトチップスまで用意していましたし。彼女の愛と甘えは本当に歪んでいるものでした」
「でも、君は昔からの健太郎の味方。どうして瑠子の指示に従ったのかな?」
死神の質問に悠人は答えた。
「俺は賭けてみたかったんです。瑠子の企みを逆手に取り、彼女と話をしたがっている成長した健太郎を連れてくることで、二人が分かり合う道に進めるんじゃないかって。本当に危険な賭けでしたよ」
「確かに、危険な賭けだ。でも、不思議だね。君はどうして健太郎に瑠子の企みを伝えなかったのかな?」
「考えてみて下さいよ。『瑠子は君のことを殺そうとしているよ』って健太郎に言ってしまったら、きっと行きたがらなくなると思ったので、そのことは敢えて教えませんでした。あと、これは信じてもらえるかは分かりませんが……」
「とりあえず、言ってみなよ」
「流石の俺でも危険過ぎる賭けだと思い、健太郎を瑠子の元へ連れていくべきかどうかが最後まで分かりませんでした。……途方もなく迷っていた夜、夢の中で若い象と鯨の子供が現れました。健太郎と瑠子を救えるのは君しかいない。だからよろしく頼むって。不思議とそう言われた気がしたのです。俺はこれをただの夢だとは思えませんでした」
「君がそこまで言うってことは、本当にただの夢じゃなかったみたいだね。で、その夢についてはどう考えている?」
「はっきり言って分かりません。ただ言えるのは、この世でもあの世でも説明できない不思議なことは起こり得るということです。そして、結果として二人の間に恋が実りました」
「全く、本当によくやるよ……。よし分かった。じゃあ、君を消して、瑠子を受肉できるようにしておくね」
「お願いします」
死神は悠人を暗い部屋へ連れて行った。「最後に言い残すことがあれば今の内に言っておきな。意外とすぐに消えちゃうから」
「はい。……ごめんな健太郎、瑠子。最後の最後に俺はお前達に沢山嘘をついてしまった。でも、長年解決できずにいた二人の関係をここで綺麗にすることができたんだ。俺はそれだけでも満足さ。健太郎のお母さんと瑠子のお父さんは二人が仲直りをする今日この日のために、ずっと見守っていてくれたんだよ……」
残酷にも最後の台詞を言う前に悠人はテレビの電源をプツリと切られるが如く、あっさりと消されてしまった。
「さようなら—————」
その言葉が誰に向けられたものなのか、生も死も知らない死神に分かるはずもなかった。
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