第6話「レンガの家」

僕はルコがいる霊界へ出るまでに驚いたことがある。

ホームから出口にかけて改札らしきものが一切見当たらない。悠人が言った通り、霊界に行く分には本当に何も払う必要がないみたいだった。

 僕は出口の向こうに広がっていた大海原のような草原を見渡した。涼しい風も吹いており、まるで4月の景色である。そう言えば霊界について悠人が『物理法則が無茶苦茶な場所』だと言っていた。となるとここの季節が現実の季節と大きく異なる理由がよく分かる。

向こうを見てみると、二階建てのレンガでできた家がポツンと建っていた。きっとルコはあの中にいるのだろう。

僕は草原を掻き分けながら辿り着くと、レンガの家の開き戸の扉を開けようとする。しかし、頑丈な鍵がかかっているかのように扉は1ミリたりともびくともしない。

ここは霊界なので、僕の中の何かが足りないからルコに会うことが出来ないのだろうか、という勝手な想像をする僕。

 「もういいかい?」

 と、突然扉の向こうから子供の声が聞こえてきた。

 「もういいよ」と返事をする別の子供の声。

 何か核心に迫れるかもしれない気がした僕は落ち葉に食らい付くイワナのように必死に扉を叩いた。どんなに拳が痛くなろうが構わない。どんなに血が流れたってこの頑固な扉を絶対に開けてやる。

 何度も本気で扉を叩き続け、やっと五ミリほどの隙間が開く。

 隙間を覗いてみると、小さな少年が洗面所で蹲(うずくま)っている光景が見えた。

 僕は息を呑む。

 少年がいるあの場所。少年が着ている修復された形跡のあるオーバーオール。やはりそうだ。間違いない。彼は—————。

 「おい僕……いや、健太郎!」

 僕は反射的にかつての自分に向かって叫んだ。声が聞こえにくいのか反応は全く無い。

 六年前のルコが死んだあの日、ルコと一緒に僕の家で隠れん坊をした。隠れる側を選んだ僕はあの洗面所の鏡の前でどこに隠れようか悩み、最終的に適当に蹲るという不器用な隠れ方をした。この間に僕を探していたルコは何者かによって殺されたのである。

ここで過去の自分にルコの危機を知らせることができれば、運命を変えられる。そう思い、僕は扉を叩いては、ひたすら叫び続けたものの、どこか感じる違和感。僕は隙間から見える景色に目を凝らす。

 ん?待てよ?

 僕は何度も、何度も強く扉に突進してみる。やがて少しずつ見えてきた景色を形作る無数のドットのようなものと、それを一括りに四角く囲んでいる枠線。

 「何年経っても悪戯好きは変わらないよな」

 「あ、ばれちゃった?」と、扉を開けるルコ。服装こそは違うものの、薄い眉毛にやや大きい目、整った鼻とセミロングヘアが特徴の顔、そしてほっそりとした背格好は鏡に現れた幻影そのものである。その後ろには事件当日の僕が映し出された巨大なテレビが置いてあった。

 僕はルコに迎え入れられながら訝しげに過去の僕が映し出されたテレビを見る。「これは?」

 「あぁ、これね」

ルコはテレビをリビングへ力強く移動させた。「これは、私が健太郎とやった人生最後の隠れん坊の映像。この日に私は殺されたの」

「ふぅん」

ルコとソファへ腰を下ろした僕は、テレビで流れている映像をしばらく視聴することにした。

 画面がかつての僕からかつてのルコに切り替わる。どうやら隠れん坊で隠れている僕を探し始めているらしい。箪笥の中や物置きの中など家の家具あちこちを覗いている。手にはフェイスタオルで包まれた何かを持っていた。

 「この次のシーンで私は殺される」

 「……そうなんだ……」と、僕は頭の中で女の子にかけてあげる丁度いい言葉を必死に探し続けるが、女性との接点が少ない僕にそんな台詞なんて思い付かなかった。勘違いして欲しくはないのだが、この時の僕が彼女にかけようとしたのは慰めの言葉ではない。

 次の瞬間、僕がよく知っている女性が画面の端から出てきて、ルコと鉢合わせになる。

 ここでルコはリモコンでテレビの電源を切った。

 僕はそっとルコを見る。

 「……もしかして……次の瞬間で?……」

 「殺された。……ポテチあるけど食べる?」

 「よくこの雰囲気でポテチを勧められるね」

 「そう?」

 ルコはそう言うと、ソファの下からポテトチップスの袋を取り出す。見たことがない会社のポテトチップスだった。

 僕はポテトチップスの袋を開けようとするが、扉を素手で何度も叩いたさっきの痛みで指がうまく機能しない。見てみると小指から人差し指にかけて内出血で真っ青になっていた。とりあえず、これをつまむのは後だ。

 僕はふと見ると、ルコがいつの間にか無表情になっていたことに気が付いた。

 「えっと……あの先のシーンは見せてくれないの?」

 「私は、もう健太郎に辛い想いをしてほしくはないの。だから見せない」

 「『だから見せない』?」

 僕は顔をしかめた。

 かつてならここでルコの見え透いた嘘に悠人が的確なツッコミを入れていた。でも、彼がいない今、僕はどんな痛みすらも覚悟して漬物石から一歩前進しなければならない。

 「ルコ、君は嘘をついているよ」

 僕がきっぱりとそう言った瞬間、豪華なリビングは一瞬で無数の絵が飾られた不気味な部屋に変わり、僕とルコの物理的な距離は大幅に伸びて行った。

 ルコは怯えるように僕を見て、逃げていくがすぐに突き当たりにぶつかり、逃げ場を失う。周囲の絵に描かれている顔全てがルコを嘲笑っていた。

 「ルコ、どうして逃げるの?」

 「お願いだから来ないで……」

 ルコが子猫のように怯えた様子を見せると、無数の蛾が僕の全身を覆い尽くした。

 正直言って世界中にミサイルの雨が降り注ぐような絶望感が僕の脳内に響き渡る。でも、僕はちゃんと彼女と話をしなければならない。きっとこの蛾は本物じゃなくてルコが僕を脅すために使っている偽物なのだろう。

 僕にはそれが事実か妄想かはどうでもよく、本当にそうだと自分に認識させる必要があった。そうと決まればなるべく平常心を保とうと努力しながら、全身に苔のように張り付いた蛾達を振り払っていく。服に残った鱗粉も丁寧に落としていった。

 ルコは幼馴染が元来の虫嫌いを克服した瞬間を目撃すると更に怯え、背後にある黒く塗り潰された絵の中に飛び込んで行く。

 僕は迷わず彼女を追った。

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