第6話 水底の声

 宙に投げ出される直前、満は雪凪の首にかかっている薬入れが光ったことに気がついた。

出よいでよ氷塊」

 満の頭の上の方で、満を片腕で抱きしめたまま、唱える雪凪の声がした。

 氷魔法による氷塊は二人を包むように出現し、二人が岩壁に当たるたび、身代わりに砕かれては、また雪凪の詠唱によって生成された。しかし、次第に雪凪の詠唱は聞こえなくなり、氷塊は砕かれる一方であった。

 水面に至る直前、反射的に水面から顔を逸らすと、雪凪の胸から上が満の目に映った。

 雪凪の喉には、砕けた氷塊の破片が突き刺さっていた。

 雪凪!と叫んだ満の声は、水中で連なる泡になって、消えた。

 痛い、と満は思った。水面に叩きつけられた衝撃と、雪解け水の突き刺すような冷たさが、満を襲った。しかし、感覚はすぐに無くなった。目の前はさっと帯を引いたように赤くなり、次第に暗く、暗くなっていった。


       ◯


 母よ

 あなたが望むなら

 創られた我らは従いましょう

 たとえ此の地と我らの罪が

 あなたの光に溶けようとも

 

 母よ

 眠りの底へ沈みし母よ

 あなたの言葉で戻りましょう

 まどろみ溶けあう我らは目覚め

 あなたの元へ還るでしょう


 我らが母

 風に命を乗せる者よ

 知の夜風を運ぶ者よ


       ◯


 歌が聞こえたような気がして、満は自分にまだ意識があることを悟った。しかし、今自分の周りが水なのか、乾いた空気なのか判断が付かない。冷たいのか熱いのかすら分からなかった。

 目を開けようとするが、指の先すらぴくりとも動かない。「指」というものが自分に残っているのかも、確証が持てなかった。例えるならば、自分が黒い水になって、暗闇そのものに霧散してしまったかのようであった。

「あら、もう起きたの? まだ治している途中だし、眠っていても良かったのに」

 。もっとも、今の満に耳で音を感じることができるとは言い難いので、不思議な感覚であった。

 確かに自分のそばに誰かがいる。誰だろう。そもそも、私は何をしていたんだっけ。

「あたしが今運んでるものの話なら、お答えするわ。あなたたち、川に落ちたのよ。あ、でもよく見たらあなたの身体はとても綺麗ね。あなたの従者のおかげかしら」

 まるでこちらが言いたいことを先取りしているかのように、声は続けた。

 従者、従者。雪凪の顔が浮かんだ。深い紅色の瞳と頬に浮かぶ氷の粒、自分を抱き抱える太い腕の熱、革の装備の獣臭さ。そして、弾む息と心臓の音、毒矢を受けて呪いのように腫れ上がった腕。あの瞬間、満のためだけに捧げられた雪凪の全てを、何故忘れていたのだろう。川に落ちたのは自分だけではない。雪凪もだ。雪凪はどうなったのだ。

「まるで、肉でできた盾ね。個体としては矛盾していることもできてしまうのは人間の面白い所よね」

 声は憐れむように言った。

「きっとザンはあなたたち2人を無事に国から逃したかったのね。あの子には考える時間が必要だったんでしょう。だから、あたしが運んであげるのよ」

 ザン、あの喋るリュウの名だ。あのリュウが自分と雪凪をあの場から助けようとしていたのだろうか、一体、なんのために。

「正直、ザンの気持ちは分からないわ。あたし、人間は好きだけど、尊重しようとは思わないもの。でもあの子の頼みだから、水底に落ちたあなたたちの魂を拾ってあげるの」

 魂を拾う……。

「あら、不安なの? 失礼ね、お母様ほどではないけれどちゃんと元通りにできるわよ。ほら、もうすぐ着くわ。またいつか会いましょう、小さな王様」

 声が満の側から離れていく。

「名乗るのを忘れていたわ、あたしの名前はルカ。溶ける水母くらげの姫」

 すぐに身体中が感覚の渦に包まれた。痺れるような感覚と共に、身体に激痛が走り、すぐに鈍くなった。


 満は、目を覚ました。

 

 

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