第4話 りゅうのつかい

 祭壇は音を立てて崩れ落ち、新雪を舞いあげ、辺りを白く染め上げていく。その白く舞い散る雪煙の塊を突き破るように、大きな影が雪凪の方に向かって飛び出してきた。

「雪凪! 雹矢!」

 その影は満を抱き抱えた雪轟であった。

「陛下の無事には何も変えられないが。全く、こんな立派な祭壇、なかなか建てられないと言うのに、こうもぶっ壊されては先代にも陛下にも示しがつかないな」

 雪轟は恨めしそうに一瞬リュウの死骸を睨んだが、すぐに雪凪と雹矢に向き直った。

「2人とも怪我は無さそうで何より。上等、上等」

 抱きかかえていた満を下ろしながら雪轟は嬉しそうに頷いた。

「私も怪我はない。雪轟のおかげだ。……でも、こんなにモノノ怪が都に来るなんて」

 きっと良くない予兆に違いない。そう思って満は顔を曇らせた。上空には、先ほど雪轟が仕留めたリュウと同じくらいの大きなリュウが数匹、舞っていた。

「これで全部ではないだろうな。長丁場になりそうだ、雹矢、いけるか?」

「いけるかってなんですか、行きますよ。まだ都のかわいい女の子たちを誘えてすらないんですよ。モノノ怪に俺の祭りの邪魔させるわけにはいかないでしょ」

 雹矢は足踏みしつつ、気合充分といった様子で、肩を回して白い息を吐いている。

「そうか、雹矢と雪轟は城下町の方に行ってしまうのだな」

 雪轟と雹矢が二人で話しているのを聞きながら、満は不安な気持ちをどうにか逃したくて、俯き、雪凪の大きな影を見つめていた。

「陛下は私がお守りします、父上」

 雪凪の大きな手のひらが、満の肩に置かれる。

「雪凪……」

「心配ありません、陛下。冬将軍の名にかけて、命に変えても陛下をお守りします」

 雪凪は屈んで目線を満に合わせ、まっすぐな眼で満を見つめた。満はそんな雪凪の顔を見て安心すると同時に、申し訳なく思った。

 自分はこの国の王なのだから、白蓮の、どの戦士よりも前に出て、白蓮の民たちを守るべきであるはずなのに、自分の身すら守れない自分が情けなくて、悔しかった。だが、今はそれを嘆くときではないこともわかっていた。満は顔を上げ、雪轟、雹矢、そして雪凪の顔を改めて見まわした。

「ありがとう。雪凪になら安心して私の命を預けられるよ。そして2人とも、どうか私の代わりに都の人々を守ってくれ」

「もちろんです、陛下」

 雪轟の声を合図にして、三人の戦士は一斉に走り出した。雪凪に手を引かれながら満が後ろを振り向くと、雪轟と雹矢の姿はすでにあられのように小さくなっていた。

 

 雪凪と満は、市街地とは逆、山のほうへと進んだ。

「城下町に一番近い避難所は、雪の里へ通じる地下通路の開始地点です。あの広い地下空間であれば、多くの民がモノノ怪の襲撃を逃れられるでしょう。先ずは最短経路でそこへ向かいましょう。市街地での誘導が済んだ父上たちとはその後合流します」

 雪凪は満に目線を合わせるように跪き、満の肩に手を置いた。

 都と雪の里を隔てる山々を貫通し、雪を気にせず移動できるこの地下通路は、生前、満の父が、土の国と協力して作り上げたものであった。

 地下通路は、今いる祭壇から、普段歩くには少々遠い所にあった。雪凪は上空を警戒しながら、満を抱き上げ、未だ雪が残る道を駆けた。

「式典に集まっていた人の流れとは少し外れていきましょう。いざという時、剣を振れるように」

「雪凪、空の様子はどうだ」

「増えてはいません、気配は感じますが……」

 雪凪は、相変わらず鋭い眼光で辺りを見回していたが、暫くして何かに気づいたように目を見開いた。

「いや……これは」

「どうした、雪凪」

 そう言って雪凪が見上げる方角を見上げた満は背筋がぞっとした。

 空には五体ほどのリュウが、それぞればらばらの方向を向いて飛んでいた。目や翼の数もばらばらであったが、どのような体の向きをとっていても、目だけ、首だけはこちらをじっと凝視していた。

 ひ、と満の喉の奥から息が漏れる。

「地下通路は無しだ、逃げよう雪凪! 民たちを巻き込む前に!」

「……承知、モノノ怪の巨体が通れない森へ逃れます」

 

 雪凪は道を西に反れ、王宮の裏にある森へと走った。満は時折、恐る恐る後ろを振り向いたが、先程のリュウは満たちに近づきつつも二人を襲う気配は無かった。

「何だか不気味ですね。普段、我々が撃退しているモノノ怪と挙動が違って、すぐに襲ってこない」

 雪凪は、王城の陰で足を止め、後方の空を見上げた。リュウたちは相変わらず遠くから満たちを見つめていた。雪凪は背負った剣に時々手をかけていたが、下手に攻撃するのは躊躇っている様子であった。

 森の中まではリュウたちは追ってこなかった。満は深く雪の積もる地面に降り、雪凪に向き直った。雪凪は息を整えながら森の奥を指差した。

「この先の川の流れを沿って行けば、朱の国へ通じております。国境付近には私の旧友、朱雀もおります。いざとなればそちらへ向かいましょう。人家の少ない地帯ですので、モノノ怪は興味を無くすでしょう」

「国の外に出るのは初めてだ。朱の国は火山があって温暖であると聞く。……これは長い旅になるな」

 雪凪は満の歩む速さに合わせてゆっくり歩いてくれているようであったが、満と雪凪の体格の差は、距離として如実に現れていた。満はもたもたと重い足どりで雪凪の背中を追った。雪に足を取られるのは勿論、都から離れる後ろめたさがより一層、満の歩みを遅らせた。

 春が来ても日の短い白蓮の空は既に薄く茜色になりかけていた。相当歩いた筈だが、雪で足元が悪いせいか、ここに来てようやく川のせせらぎが聞こえるくらいまで川に近づいたようだった。

 

「はは、はよ」

 満は立ち止まった。

「雪凪、何か言ったか」

「私ではありません。ですが」

 雪凪が弓を手に持つ。

「何かが、追ってきます。陛下は私の後ろに」

 矢を構え、引き絞る。

 木々がざっと鳴り、「何か」は林道の間をすり抜け、一直線に二人の元に向かってきていた。

「リュウか!!」

 二、三矢を放つが、断末魔は聞こえず、しかし、確実に木々のざわめきは近くなっている。「何か」は風を引き連れるように木々を揺らして向かってくる。

「人の子ある、母の贄」

「陛下! 来ます!」

 雪凪が弓を引き絞り、狙ったやじりから僅か一寸の距離で、「何か」は止まった。

 2人の前には、雪のように眩く輝く鱗をもったリュウが立ち塞がっていた。リュウは皿のような単眼で2人を順番に眺めると首を引き、距離を取るような仕草を見せた。

にえの子、救いの子。私の言葉は分かる、人間。私はおそわぬ、食わぬ、満腹」

 単眼のリュウはそう言って2人に頭を下げた。

「ど……どういうことだ、リュウが喋るだと?」

 雪凪は矢を引き絞り、リュウに向けながら後退りした。満もそれに合わせて、半ば押される形で後退りをする。雪凪の装備越しに見るそのリュウは頭を垂れたまま微動だにせず、満はその姿に、なぜか愛おしさに似た不思議な親しみを持てるような気がした。

「こちらの言葉も分かるのか、分かるなら貴方が何者かを教えてほしい」

 満はリュウに声を投げかけた。リュウは首を持ち上げ、眼を開いて満をまた凝視した。満は鳥肌を擦りながら、きっとリュウに目を合わせた。

 リュウは一呼吸おいて口を開いた。

「母より授かりし名はザン、風統べる者。言葉解するが新しき言葉、その発音は学びの最中にて。他の者は新しき言葉、母の言葉、思考もままならぬ。ただ飢えたる子」

「ええと……ザンという名前があるのだな。他のモノノ怪は喋れないけど、貴方は人の言葉が分かるということか」

「左様」

「それなら……モノノ怪が沢山白蓮を襲いにきたのは何故だ。貴方なら分かるだろう」

 満は雪凪の静止する手を振り切ってザンの前に出た。ザンはゆっくり眼を閉じて、髭をくゆらせた。

「理由は私のみにあらず。私のみの為にあらず。複雑。複雑。複雑。私すら、今すべきことままならぬ。母のため、救いのため、飢えたる弟のため、人間らのためのこと、ままならぬ。だが」

 ザンの髭がぴたりと止まる。

「今は急ぐべきでないと考える。飢えたる弟は母にすぐ手を伸ばしたがるが、急いでは母のためにならぬと、私はそう考える。それゆえ、逃げよ、ここから離れよ、救いの子、にえの子よ。じきに追手が来る。子の求める理由が追って来る」

 満はごくりと唾を飲み込んだ。

 ザンはもう一度首を地面へ伏せた。

「誠に申し訳ない。許さなくてもよい。我らの過ちを止めるため、生き残られよ」

 そう言うと、ザンは翼をはためかせ、森の上空へと羽ばたいていった。満は呆然と立ち尽くしていた。

「陛下、あのリュウがどれほど信用できるかは分かりかねますが、1つの場所に留まっている以上モノノ怪が追ってくる可能性は高いです。上空に注意して進みましょう」

 雪凪は弓を手に持ったまま、満の手を引いて歩き出した。川の水音は次第に大きくなっていた。

 

 不意に雪の奥から金属の擦れる音がした。

 その音の正体を網膜に映すや否や雪凪は満を抱えて駆け出した。

「……モノノ怪が追ってきたか! リュウか? ツノか?」

 満は後方を見ようと首を伸ばしたが、雪凪の腕に阻まれた。雪凪の顔もよく見えないが、耳に押し当てられた雪凪の心拍は次第に早くなっていった。

 雪凪はひどく動揺しているようであった。

「何故だ……何故ここに? 何故いるのだ!」

「王は殺すなよ」

 知らない男の声だ。

 次の瞬間であった。

「あゔっ……」

 苦しそうな雪凪の声と共に満は地面に放り出された。背中に走る痛みに顔をしかめながら顔を上げると、雪凪が見た追手の正体が目の前に立っていた。

「黒の国の騎士……何故……」

 全身を漆黒に塗られた鎧に身を包んだ男が数人、満と雪凪を既に囲んでいた。

 雪凪は肩を上下に震えさせながら立ち上がり、背負った大剣に手をかけていた。

「ほう、猛毒を塗ってボウガンで撃たせてみたが、まだ立つか。やはり白蓮の戦士は化け物だな。それとも……その瞳の力によるものなのかね」

 騎士のうちの1人が兜を外す。若干頬がやつれた、狡猾そうな目つきの男であった。金髪金眼の顔立ちに、こめかみから生えた黒い角。話には聞いていたが、実際に対面するのは初めてであった。満は力の入らない足で後退りをする。

「陛下、私の側へ」

 雪凪は立ち上がり、肩に深く刺さった弩の矢に手をかけ、一息に抜いた。

「凍りつけ」

 首にかけられた薬入れの中に込められた魔法薬と雪凪の詠唱が呼応し白く光る。

 雪凪はそのまま手に持った矢を地面に投げつけ、矢の先端が雪に達する間際、弾き出されるように駆け出した。

「氷魔法の拘束か、あくまでこちらとは戦わず逃げるつもりだな」

 黒の騎士は身動きが取れずにじたばたともがく部下を横目に、懐から薬瓶アンプルを取り出し、鎧に打ち付けて割った。

「貴様らはそこで固まっていろ。どうせ貴様らじゃ敵わん相手だ」

 瞬時に発生した炎により、脆くなった氷を騎士は蹴り崩し、走り出した。


 満を抱える雪凪の息が苦しそうに乱れていることを、満は分かっていた。雪凪は時折脚をもつれさせながら、今出せる全速力で木々の間を駆けていた。

「雪凪……! 毒が回ってしまう、木や岩陰に隠れて休もう、お願いだから!」

 満は喉の奥が締め付けられそうになりながら雪凪にしがみついた。川の流れる音が大きくなっていく。せせらぎではなく、轟音が満の腹の底を揺らす。

「この先は滝だ。毒で視覚と聴覚が鈍ったな、冬将軍!」

 雪凪の足が止まる。満の視線の先には、先程の黒の騎士が薄笑いを浮かべて立っていた。

「陛下……げほっ……申し訳ございません」

 雪凪は地面に膝をつき、満の前に倒れ込んだ。口からは血を吐き、頻繁に瞬きする眼の周りの氷の粒は消えかけている。

「我々は王の命が欲しいのではない。むしろ死なれたら困る、貴人として丁重にお連れするつもりなのだが」

 騎士は満に向き直り、ゆっくりと近づいてくる。

「く……来るな!」

 腰の蕨刀に手をかけた。後退りするが、崖が背後すぐに迫り、落ちた雪が水の流れに消えていった。

 雪凪は毒で倍近く腫れ上がった片腕をもう片方の腕で押さえながら、騎士から満を阻むように身を乗り出していた。

「あぁ……辛そうだな、その腕、切り落としたら楽になるぞ」

 騎士は腰に差した剣を抜き、雪凪の首に当てた。

「冗談だ。首の方が早く楽になる」

 騎士が笑う。雪凪は歯を食い縛り、首に当てられた剣の切先を掌でつかみ返した。革の手袋から黒く血が滲み、雪凪の腕を伝って、地面の雪を溶かしていく。

 逃げなくては、と満は思った。雪凪が騎士の注意を引いている今なら、自分一人だけは逃げられるだろう。しかし、足が動かない。私だけ逃げてしまったら雪凪はどうなる? 私一人で、これからどうやってモノノ怪から逃げればいい?

「従者を見捨てないとは意外だな、国は捨てて逃げ出す卑怯さは持ち合わせているのに。……お気に入りか?」

 騎士は雪凪に剣を向けたまま満を一瞥した。その冷え切った瞳に、満は何も言い返せなかった。

 毒に侵された雪凪の傷ましい姿をこれ以上見るのも辛かった。自分がこの騎士に身を差し出したら、雪凪を見逃してくれるだろうか。少なくとも、ここではない場所へ逃れられるのではないか。

 先程のリュウは私に何を伝えに来たのだろう。モノノ怪が白蓮を襲った理由が、黒の国にあるというのだろうか。なぜ、私に逃げてほしかったのだろうか。

 ふと、雪凪の腰に下げられた小さな酒瓶が目に入る。今日の儀式で満が調合した薬酒だ。分からない。祭りを一緒に回ろうと約束した雪凪はなぜ、私の目の前で。

「たすけて……」

 満の震える喉からほとんど無意識に声が漏れた。

 滝の音を打ち消すほどの地響きと轟音があたりに響く。騎士は何かを察知したように顔を上げ、咄嗟に背後へ飛び退いた。

 満のいた所から、崖が轟音を立て、崩れ始めた。ぐらりと、視界が揺れる。

「陛下!」

 雪凪が満のほうを振り向いた。雪凪は一切の迷いなく崖へ身を投げ、辛うじて動くほうの片腕で満を抱きしめた。

 

 

 

 


 

 

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