第2話 戴冠

「陛下、ほら出番ですぞ、さ、前へ」

 雪轟せつごの手が満の背中をぐっと押し、満は一歩を踏み出す。

 しゃんと背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を向くと、自分の視界の隅から隅までが爽やかな光に満ち溢れるように感じた。はるか北の山々の輪郭は青く、透明な水の流れに運ばれるように、くっきりと視界に像を映し出している。

 城の外は、白蓮の街は、こんなに明るかったのか。

 満は胸いっぱいに息を吸い、鼻からゆっくり息を吐き出すと、視界を少し下に移した。舞台の上に立つ満の前には、満の想像よりもはるかに多くの人々が集まっていた。

「これより戴冠たいかんの儀、及び薬酒やくしゅの儀を執り行う!」

 雪轟が布に包まれた宝剣ほうけんを両手で掲げ、声を張り上げる。雪轟はそのまま一歩後ろへ下がり、宝剣を舞台中央の台座に丁寧に置いた。舞台の後ろには既に薬酒の儀の準備として、酒や薬草が運び込まれ、爽やかな香りで舞台を包み始めていた。

 再度、姿勢を改め、呼吸を整える。

「我が敬愛する白蓮の民よ、今、私の声を聞いてくれている全ての人たちよ」

 しんとした会場に、満の声が響き渡る。

「あなたがたは皆、長く厳しい冬に打ち勝った勇敢な戦士だ。建国以来、この白蓮という国を存続させることができたのは、ここにいる国民全てが力を合わせ、支え合っていたからだ。私の使命は……『王』としての使命は、あくまでもその中の一人、王の役割をもつ一人として、皆を導き国を支えるいしずえとなることだと、私はそう考える」

 満は台座の前に立ち、辿々たどたどしい手つきで宝剣を包む布を取り去った。落ち着いた紫色の布の中からは、程なくして古びた蕨手刀わらびてがたなの丸い柄が顔を覗かせる。満はその柄を握ると、ゆっくりと鞘を抜き払った。白色に輝く刃が現れ、同時に、微かな風切り音が耳に届く。

「十六年前……私が生まれた日、雪の里にある神木しんぼくの葉がこの宝剣に共鳴するように白い光で満ちたそうだ。私が、『満』という名を授かったのにはそういう理由があると、父上は仰っていた」

 満はもう一度、北方にそびえる山々の稜線を見つめた。

 この山々を越えた先にある雪の里は、幾人もの戦士を輩出はいしゅつしてきた修練の地だ。雪の里に春が来ることはなく、決してやむことのない吹雪と氷に閉ざされ、吹雪に混じって多くの強大なモノノ怪が跋扈ばっこしているのだった。

 宝剣と共鳴したという神木は、この雪の里を吹雪から守るように枝を伸ばした巨樹であり、時折、白く輝く葉をつける不思議な力を持っている。満は幼い時、雪轟に連れられて一度だけその神木を見たことがある。自分を抱きかかえる雪轟の暖かい腕から顔を出して見上げたこの巨樹の姿は、雪凪や雪轟を始めとした白蓮の戦士たちを象徴するように、力強かった。

「そして今、宝剣は私の手にあり、私の帰る場所は王座となった。私はまだまだ弱くて、皆に守られてばかりの未熟者だ。だが、私は、いつかあの輝く神木のように、白蓮を支え、照らすことができるような王になる。そう誓おう!」

 満は宝剣を天に掲げ、声を張り上げる。ミチルの言葉に応えるように、人々は歓声をあげ、音の波が舞台を揺らす。

「では、これより春の到来を祝して薬酒の儀を執り行う!」

 雪轟が一歩踏み出し、声を張り上げて両手を天高く突き上げる。舞台上には既に大きな酒樽と薬草の数々が並べられていた。


       ◯


 祭壇前の広場は相変わらず人々で埋め尽くされていた。舞台の裏手を警備しつつ、時折舞台側に目を向けては、その中でも頭1つ分抜きでた体躯の雪凪は、集まった白蓮の民たちの白い頭をなんとなく数えていた。

「お、いたいた。探してたよ、雪凪」

 不意に隣から声がかけられ、振り向くと、自分の眼と同じ高さに赤い瞳が見えた。

「久しぶり、冬将軍の就任式ではお互い忙しくてなかなかゆっくり話せなかったね」

「ああ、誰かと思えば霞風かすみかぜではないか、久しぶりだな」

 雪凪は霞風かすみかぜに体を向け、姿勢を崩す。霞風かすみかぜは雪凪より5つ年上で、雪の里での修業時代、雪凪の面倒をよく見ていた兄のような存在であった。

 霞風かすみかぜは微笑んで雪凪の首にかかった小さな剣型の薬入れに触れた。

雪轟せつごさんの薬入れ、似合ってるじゃないか。もう立派な冬将軍だね。雪轟さんも雪凪も元気そうで良かった。僕らは山林地帯の守護をしていたからなかなか会えなかったよね。今日、息子を祭りに連れてきているんだ、後で遊んでやってくれないかな」

「勿論、私も修業時代の仲間と会えて嬉しい。霞風には後で会いに向かおうと思っていたところだった。ところで、雹矢ひょうやは一緒ではないのか?」

 雪凪は少し視線を泳がせながら尋ねた。

「おいおい冬将軍様、こんなに近いのに気づかねぇって、兄ちゃんは悲しいなぁ!」

 突然の声に驚き、雪凪は勢いよく振り返る。背後には腕を組んだ雹矢ひょうやが立っていた。雪凪や霞風かすみかぜよりも少し背が低く、雪の里に居た時と変わらず悪戯っぽい猫目でニヤニヤと笑っている。

「な、雹矢……いつの間に」

「いつの間にたぁご挨拶じゃねえか、雪凪。もはや視線が高すぎて俺みたいなチビは見えなくなっちまったか?」

 雹矢ひょうやは雪凪の腹を肘で小突いた。普段つけないような香油で髪を整え、装備も新品同様に磨き上げている所から察するに、雹矢は相当祭りに気合を入れて来たようだ。

雹矢ひょうやは雪の里では背が低いほうだけど、国全体ではチビじゃないよ。全く、そうやってすぐ雪凪に突っかかって困らせるんだから」

 霞風は眉を下げ、呆れたように笑いながら、雪の結晶の意匠が凝らされた雹矢ひょうやの胸の金具に触れる。

「祭りだからって早速女の子口説きに行ってるんでしょう。こんなにピカピカに磨いちゃって」

「おい、触るんじゃねえよ、手袋の脂が付くんだよ」

「いいひと見つかった?」

「うるせえ既婚者、10連敗中だ」

 雹矢は噛み付くように言い放つと、霞風の手を胸から払い落とした。

「ああ、そんなことより、雪凪」

「もう薬酒の儀だろ、酒の列に並ばなくていいのか? 雪轟さんも早く陛下の調合した酒が飲みたいって言ってたぜ? 一緒に貰ってきてやんなよ」

 雹矢が親指で示した先には、新たな国王の調合する薬酒を今か今かと待ち望む白蓮の民たちが長蛇の列を成していた。

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