色彩の英雄

郭照三郎

白蓮編

第1話 目覚めの朝

 母よ

 あなたが望むなら

 創られた我らは従いましょう

 たとえ此の地と我らの罪が

 あなたの光に溶けようとも

 

 母よ

 眠りの底へ沈みし母よ

 あなたの言葉で戻りましょう

 まどろみ溶けあう我らは目覚め

 あなたの元へ還るでしょう


 我らが母

 風に命を乗せる者よ

 知の夜風を運ぶ者よ

 

       ○


 雪解けの澄み渡った水が側溝を駆け抜け、未だ雪が残る街道を縫いながら、我先へと街中に春の訪れを知らせていく。

 白蓮びゃくれんの都は祭囃子で賑わっていた。新しい王が即位してから初めて、公に行われる戴冠式たいかんしきである。白蓮の民たちは待ち侘びた王の姿を一目見ようと、厳しい冬を耐え忍び、この日に備えてきたのであった。

 王宮から真っ直ぐに敷かれた大通りには露店が立ち並び、道行く子供たちは側溝の澄んだ水に手を突っ込んでは、その冷たさにはしゃいでいる。大人たちは大人たちでその様子をいさめつつも、店先できらきらと光る肉の脂や、鼻をくすぐるような菓子の香りに心を弾ませていた。

 楽しげな街の様子は、都の街道の先にそびえる王宮の中からも容易に察することができた。

「こんなに元気な街は見たことがないよ」

 着付けをされながら窓を見ていたみちるは、自分の左に立てられた衝立ついたてに向かって話しかけた。 

「はっはっは、そうでしょうとも、みな、満陛下を待ち侘びていたのですから。白蓮の国中の民が、今この都に集まっているのです。それはそれは活気に満ち満ちていることでしょう」

 衝立の向こうから壮年そうねんの男の声が答える。

「まあ……本来なら、各国の来賓を招いて盛大にお祝いしたかったのですが。白蓮と友好的な翡翠ひすいの集落と、土の国……土羅ドーラへは、ひと月前、私が馬を走らせて招待をしに行ったのですがね、彼らは国境付近のモノノ怪の増加を心配していましてな。連れては来られませんでした」

「いや、ありがとう。雪轟せつご、私のためにそこまでしてくれて。危険な旅路で、いくらモノノ怪をものともしない冬将軍のあなたでも疲れているでしょう」

 満は衝立に向かって笑いかける。雪轟せつごはとんでもない、と笑いながら手をひらひらと振った。雪轟の大きな手のひらが衝立の向こうでちらちらと見切れた。

「冬将軍の役目もせがれに継がせて、この雪轟せつごも、ようやっと悠々自適の隠居生活ができます。いやあ長かった、長い冬の時代でしたな」

 衝立の向こうからぎし、と軋んだ音がした。おそらく、雪轟せつごつる編みの腰掛けに寄りかかったのだろう。雪轟の長く、太い足が衝立の向こうからはみ出して床に投げ出されていた。

「お召し替えはこれで以上です。満陛下」

 満の髪を編んでいた使用人が、満の髪から手を離す。

 満は正面に置かれた鏡を見た。満の長い髪は綺麗に結えられ、雪のように白い髪の隙間から赤い瞳が覗いている。満はもう十六になるが、雪轟のような勇壮ゆうそうな戦士たちに比べると、少女のように華奢きゃしゃないでたちをしていた。

「私は頼りないなぁ」

 満は自分の手のひらを閉じたり開いたりしながら、細くて白い指先が僅かに紅くなるのを眺めて呟いた。

 先代の王夫妻…満の両親が没してから、十度目の冬が明けたことになる。

 白蓮では、毎年、厳しく長い冬を耐え忍ばなくてはならない。雪の溶けることのない、辺境の「雪の里」で訓練した戦士でなくとも、ある程度の強さがなくては白蓮の冬を越すことは難しいのである。満は両親が没してからずっと、父親代わりの雪轟に育てられてきた。しかし、今まで大切に守られてきたからこそ、満には王として国を守り、導いていく自信がなかった。

 

 満はしばらくぼうっと鏡を眺めていたが、だんだんと近づいてくる足音にふと、我に帰った。

 がらりと部屋の戸が開く。

 満が衝立から少し顔を出して覗くと、部屋の入口に立っていたのは雪凪せつなだった。雪凪は入り口に頭を打たないよう、少し屈んで部屋に入り、衝立から覗いた満の顔にひざまずき深々と礼をした。

「ご準備は出来ましたか、陛下。と……父上もいらしたんですね、お久しぶりです」

 雪凪は、跪いたまま顔をあげ、満と雪轟に笑いかけた。

 雪凪の風貌は国の守護を司る「冬将軍」の名にふさわしく、厚い装備の上からでもはっきりと分かる鍛えられた筋肉は、鋭く澄んだ真紅の瞳と共に、見るものを圧倒する覇気を放っている。

 また、雪凪の眼は、満のそれとは違って、頬の周りに氷の結晶を浮遊させ、キラキラと光を反射させていた。

 この眼は代々冬将軍を努める一族の血に見られる特徴で、満は雪凪と雪轟以外でこのような眼を持つ者を知らない。雪轟によれば、昔は雪の里に住む親戚は、ほとんどがこういう眼をしていたが、雪轟の上の代あたりからめっきり減ってしまったらしい。

 見た目以外は、常人とは眼の周りが少しひんやりするかしないかという差しかないのだが、冬将軍の威厳が出ると言って、雪轟はいつも自慢げであった。

「おお、雪凪。相変わらずでっかいなあ! 俺が土の国に行ってる間にまた背伸びたんじゃないか?」

 雪轟は笑いながら、荷物を置くために立ちあがろうとした雪凪の太ももを足で小突く。

「またそうやって子供扱いして……、もう幾つだと思っているんですか。流石に背は伸びませんよ。父上もこれから挨拶があるのですから、準備なさってください」

 雪凪は呆れたように首を掻きながら、雪轟が座る椅子の背もたれを、急かすように二、三度叩いた。

「ああそうだ、立派な大人の雪凪にまた、縁談の話が来ているぞ。此度は……なんと五件だ。暇を縫って一人くらい会ってみたらどうだ?」

 雪凪に急かされるまま起き上がると、雪轟は懐から手紙を取り出して扇子のように広げ、ニヤリと笑ってみせた。

「雪轟は最近、雪凪と顔を合わせるといつも縁談の話を持ってくるな」

 満は雪凪と雪轟の方へ歩み寄り、2人を見上げる。

「そりゃあそうです。雪凪には次の冬将軍を考えて貰わねばなりませんからな。なーに、もう十年したら陛下の元にも山のように縁談の知らせが届きますよ」

「そうだよな……私もそれまでに立派な強い王にならなくては」

「その意気ですぞ、満陛下。今ではこんなに大きくて強ーい雪凪も、昔は泣き虫で弱虫で……」

「父上」

 若干語気を強め、雪凪が雪轟の話を遮る。

「おっと、この話は酒の肴にに取っておきましょうかな」

 雪轟は満に目配せをすると、悪戯っぽく白い歯を見せた。

「父上、縁談の話も聞くのは後にさせてください、今は式典のご準備を。薬酒やくしゅの儀の準備はもう整っているようですし、馬車も下に付けてありますので」

 そう言うと、雪凪は雪轟の背中を両手で軽く押した。はいはい、と部屋から屈んで出る雪轟を横目で見届けると、雪凪はミチルの方へ向き直った。

「陛下も、心の準備はよろしいですか」

「ああ、……よし、行こう、雪凪」

 満は胸の前で両手を合わせ、ぽん、と軽く打った。

 体の弱い満にとっては、城の外を出歩くのも久しぶりであった。これから、良き王として、民を導いていけるだろうか、部屋から出て一歩歩んでいくごとに、満の緊張は高まっていく。誇りと決心と不安が胸で渦巻いて、頭からふき出してしまいそうだった。

「なに、胸を張れればそれでいいのです。陛下」

 馬車に乗る直前、雪轟が大きな掌で満の背中を支えながら囁いた。満は小さく、

「頑張るよ」

 と笑った。

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