第45話


 アウェルッシュ王国の西部を統括する辺境伯、クォッドレイア辺境伯の領土に辿り着いた僕達は、そこで今回のヴァーグラードへの侵攻軍が集結するのを待っていた。

 戦争が始まる前の、最後のゆっくりと過ごせる時間。

 僕はヴァーグラードがアウェルッシュ王国に吸収されたら、西の辺境ではなくなってしまうここは、一体何と呼ばれるのかなんて、どうでもいい事を考えながら、のんびりと過ごしてる。


 侵攻軍が集結すれば、ヴァーグラードへの通知の期限を待ってから、一万の軍勢が敵国を滅亡させる為に動き出す。

 一つの国を、この世界から消してしまう。

 それはとても恐ろしく、同時に凄い事だった。

 これから起こる戦争に思いを馳せてしまうと、僕の中では恐怖と興奮という、相反する感情が渦巻く。


 だから敢えて意味のない、下らない事を考えて、僕は思考を逸らしていた。

 何故なら、そうしないと、とてもじゃないが夜も眠れなくなってしまうから。


 そして僕がそうしてる間にも、兵は続々とクォッドレイア辺境伯領に到着し、侵攻軍の終結が完了する。

 後は、ヴァーグラードへの通知の期限を待つばかり。

 返事がなければ、要求を飲む気はなしと見做して、侵攻軍はヴァーグラードの国土に入り、制圧を開始するだろう。

 もちろん、アウェルッシュ王国はヴァーグラードが飲めない要求を突き付けている筈なので、戦争の開始まで、敵対的だった隣国がなくなるまで、後ほんの僅か。


 そんな風に、集結した侵攻軍の誰もが考えていただろう時だった。

 西の空から、クォッドレイア辺境伯の領土へと、一頭のグリフォンが舞い降りる。

 それはヴァーグラードへと派遣されていた、第二隊の天騎士だ。

 急ぎの報告があると、動き出す直前の侵攻軍の司令部の天幕に駆け込む天騎士。


 あの慌てようは、まさかヴァーグラードが突き付けられた要求を飲んだのだろうか?

 だとすれば、侵攻軍はこのまま解散するのか?


 見回せば、騎士も従者も兵士も、皆の顔に戸惑いの色が浮かんでる。

 でも僕だって同じ気持ちだ。

 肩透かしにも程があり、だけど同時に、ほんの少しの安堵もしてた。

 ヴァーグラードへの侵攻がなくなるようなら、一度王都に戻った後は休暇を取って、アルタージェ村に帰れるかもしれない。

 その時は、バロウズ叔父さんだけでなく、クレアと十座も連れて行こう。

 何もない村だけれど、父さんも母さんも婆様も、クレアと十座を歓迎してくれる筈だから。


 そんな風に、気の抜けた事まで考えてしまってた。

 だけど暫くして、司令部の天幕から出てきた爺様の顔を見て、驚く。

 何故なら爺様は、今まで見た事がない程に、非常に険しい表情をしてたから。


「皆、落ち着いて聞いてくれ。先程、ヴァーグラードに派遣していた天騎士から、報告があった」

 誰もが爺様の声を、静かに黙って聞いている。

 早くその言葉の続きを聞きたいと思い、同時に聞くのが怖いとも感じて、やっぱり、それでも、耳は逸らせずに。


「ヴァーグラードの首都、フォッツに複数の巨人が現れ、守備軍を壊滅させ、王城を破壊した。今、巨人はヴァーグラードの領内を、破壊してまわってる。もはやヴァーグラードは、我々が何もせずとも滅ぶだろう」

 しかし続いた爺様の言葉には、誰もが自分の耳を疑っただろう。

 だってそれは、あまりにも荒唐無稽過ぎるから。

 いや、本当に、よりによって巨人である。


 以前にも、述べた事があったと思うが、巨人とは古の魔導帝国時代に、竜を倒す為に魔術師が生み出した呪いの兵器だ。

 とある王国に魔術を使えぬ人々を集めた魔術師は、大規模な呪いで集めた人々を巨人と化した。

 だが魔導帝国は巨人を生み出す事には成功したが、その制御には失敗し、恨みを抱えた巨人は自らを生み出した魔術師達に牙を剥く。

 更にそんな巨人を危険視した竜が戦いに参戦し、魔導帝国は巨人と竜の争いの余波を受けて消し飛んだとされる。


 魔導帝国時代は、人が暮らす中心地は北の大山脈の向こう側で、この辺りは南の辺境と呼ばれていたらしい。

 けれども魔導帝国は消滅し、大山脈の北側には、今は大きな砂漠が広がっている。

 その砂漠は竜と巨人の戦いによって生まれたとされ、或いは今も、竜と巨人はその砂漠で戦っているとも言われていた。


 つまり巨人は、そんな昔話に出てくるような存在なのだ。


 でも本当に稀な事だけれど砂漠から、大山脈を越えて巨人がやって来る事はある。

 尤も殆どは呪いに理性を飲まれた、知恵なき獣の如き巨人だが、それでもその巨体が暴れ回れば、人にとっては脅威以外の何物でもない。

 そんな巨人が、よりにもよってアウェルッシュ王国とヴァーグラードが戦争をしようという、まさにその時に現れたなんて、あまりに話が出来過ぎだった。

 しかもさっきの言葉では、巨人は複数現れたという。

 果たしてそんな事が、本当にあり得るのだろうか?

 

「疑わしく思う気持ちは、わかる。儂もこの目で確認した訳ではない。だが我が隊の天騎士が、それを見間違う筈がないのは、儂はよく知っている。だから今すべきは、それを疑う事ではなく、現れた巨人への対処の決定だ」

 そう強く爺様は言い切る。

 対処の決定、……まさか爺様は、巨人を討つ心算なのだろうか。

 いや、あの表情を見れば、既に爺様がそう決めている事が、僕にはわかった。

 でも、一体何故?


「このまま放置すれば、巨人はヴァーグラードを破壊し、東か西か、或いは南へ行くだろう。こちらに来るなら迎え撃たねばならんし、南に行くならクロッサリアから救援要請が入るだろう」

 成る程、確かにどのみち巨人と戦わなければならない可能性は高い。

 だがそれでも、そのまま西へ、こちらから遠ざかる可能性だって、ある筈なのに。


「だが問題は巨人が西に向かった場合だ。ヴァーグラードを滅ぼした巨人が西に向かって討伐されれば、それを成した国は、ヴァーグラードの地の権利を主張する可能性がある」

 あぁ、あぁ、そうか。

 そうなると本当に、アウェルッシュ王国にとっては面倒な事態になるだろう。

 西から進出してきた国は、ヴァーグラード以上に厄介な隣国となる可能性が非常に高い。

 だが今なら、巨人を排除すれば速やかにヴァーグラードをアウェルッシュ王国が吸収できる。


「故にヴァーグラードに発生した巨人は、儂らの手で狩らねばならん。儂らが速やかに巨人を狩れば、それにより生き延びた民衆の王国への恭順も早くなるだろう。つまり、やるべき仕事に変わりはない」

 爺様の言葉に、理解を示した騎士達が頷く。

 ただ僕は、爺様が口にした、発生って言葉が耳に引っ掛かった。


 フォッツに現れた複数の巨人。

 地理的に言えば、大山脈からフォッツまでの間には、他にも幾つかの町があった筈なのに。

 どうして急にフォッツに現れたのか。

 それはもしかすると、本当に発生したのかもしれない。


 だって古の魔導帝国時代には、巨人は魔術師が、呪いを使って人を変じさせたのだ。

 そんな国を亡ぼすどころか、人を滅ぼす事になりかねないような真似を、する誰かが居るだなんて思いたくないけれど。

 ……もしもそうだとしたら、爺様が巨人の討伐を急ぐのも当然だろう。

 新たな巨人が生まれたのなら、それを竜が滅ぼしに現れないとは限らないから。

 万に一つの話だろうけれど、そうなると被害がどこまで広がるかは、もう誰にもわからない。


「騎士は巨人の討伐に、兵は民の保護に向かう。いや、治療が得意な騎士も兵と共に保護へ向かえ。但し、一切の略奪は禁じる。もしも略奪に走る者がおれば、儂がこの手で頭を握り潰す。よいな、理解したなら、すぐに動くぞ」

 爺様が強くそう言うと、騎士も従者も兵も、皆が一斉に動き出した。

 もちろん、僕も。


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