第34話
休日が終わった僕に、新しい任務が下される。
ヴァーグラードの戦争が起こると予想される今だけど、いや、そんな今だからこそ、他の不安はできる限り減らして国内を安定させておきたい。
アウェルッシュ王国はそんな風に考えているのだろう。
僕に下された任務は、南の洋上で交易船を襲う、海賊への対処だった。
尤もいきなりそんな事を言われても、僕にはどうやってそれに対処すればいいのかさっぱり思い付かないけれど。
せいぜい、護衛として交易船に乗り込んで、襲われるのを待って反撃するくらいだろうか。
しかし任務を下した第三隊のサウスラント・レレンス隊長だって、僕が経験の浅い新米騎士である事くらいは知っている。
故に今回の任務には先達の騎士が同行してくれるそうで、そうなれば当然ハウダート先輩だと思って待ち合わせ場所へと行ってみると、けれどもそこに待っていたのは、先日知り合ったばかりのラザレスだった。
でも考えてみれば、それも当然かもしれない。
幾ら諜報活動が得意なハウダート先輩だって、洋上の海賊船の位置なんて調べようがない筈だ。
……いや、ハウダート先輩なら、さらっと海賊の拠点とか調べてきそうだけれど、それでもそこへと攻め込む足を持ってはいなかった。
けれども天騎士であるラザレスならば、グリフォンに乗って空から海賊船を探せるだろう。
だが海賊船の中まで乗り込んで制圧するとなると、もう少しばかり人手が欲しい。
海賊を皆殺しにして、船を海の藻屑にしてしまう心算なら単独でも構わないだろうけれど、降伏させて船を港まで移動させる場合は、もう一人くらいは騎士が同行した方がいい。
あぁ、だからこそ、僕なのか。
これは悔しい事だけれど、僕ならば他の騎士に比べればまだ身体が軽いから、二人乗りをしてもグリフォンへの負担は少なくて済む。
故に天騎士であるラザレスのお供に、僕が付けられたのだ。
もしかすると先日の出会いがあったから、今回の任務の同行者としてラザレスが僕を選んだのかもしれない。
「やぁ、小さなアルタージェ卿、今回はよろしく頼むよ」
そう言って差し出されたラザレスの手を、僕は握る。
まぁいずれにしても、やるべき事に変わりはない。
しかしそれにしても、先日はグリフォンと天騎士には興味はあっても、その背に乗って空を飛ぶ事が望みだった訳じゃない、なんて言ったけれども……、まさかその僅か数日後にこんな任務に就くとは思わなかった。
二人乗りとはいえ、舌の根も乾かぬうちに、僕はグリフォンの背に乗り込んでいる。
どうやら現地には馬車ではなく、直接グリフォンに乗って行くらしい。
海の上を飛ぶ前から疲れさせるのはどうなのだろうと思ってしまうけれど、何でも並みの馬ではグリフォンを怖がってしまうから、馬車では運べないんだとか。
また速度にも圧倒的な違いがある為、現地まで移動してから、南部の辺境伯領で疲労が抜けるまで休ませた方が早いという。
アリーは、やっぱり拗ねるだろう。
あぁ、でも、休日の間にラザレスとアリーは顔を合わせてるから、理解はしてくれそうだ。
グリフォンの匂いが染み付いているラザレスにも、全く動揺せずに落ち着いて振る舞うアリーは、実に驚きの馬らしい。
尤もアリーは、仮にグリフォンと直に遭遇しても、恐らく怯えないだろうと僕は思う。
何故ならアリーにとって最も強い生き物は、間違いなく爺様だから。
そして爺様が騎士という存在である事を理解するからこそ、騎士の乗騎としてのアリーの自尊心は高い。
本当に賢い馬なのだ。
といっても今回の任務には、アリーはどうあっても連れていけないからどうしようもないのだけれども。
それはさておき、グリフォンの背に乗って空を飛ぶというのは、実に凄い物だった。
ドワーフの国に続く大坑道を見た時も感動したけれど、或いはそれを上回るかもしれない体験だ。
空の上から見下ろした大地は、どこまでも遠くが良く見える。
また王都の町の住民も、街道を行く馬車も、地上の何もかもがとてもちっぽけだ。
地上から空を見上げれば、遥か高みを飛ぶ鳥がとても小さく見えるから、遠くのものが小さく見えるって事くらいは、僕だって頭では理解してる。
けれども実際に空から地を見渡せば、その頭での理解なんて、本当に欠片しかわかってなかったのだと思い知らされた。
確かに地上の全ては小さいけれど、だからこそ全てを把握できた王都がどれ程に広いのかを、僕は初めて認識する。
こんなにも広い範囲を、堅牢な城壁で囲んでいるのかと思うと、これも中々に感動物だ。
木々も一本一本なんて小さすぎて認識できないけれど、連なった緑が一つに見えて、森はまるで広がった一枚の敷布のように。
とにかく、世界の見え方の全てが地上にいる時とは全く違う。
全てが見下ろせてしまう視界と、大地より解き放たれる自由さは、ちょっとした全能感を与えてくれる。
しかし勘違いしてはいけない。
凄いのは決して僕じゃなかった。
空を飛んでるのはグリフォンで、それを御しているのはラザレスだ。
僕は単なる荷物に過ぎず、またこの空の上は、僕が生きるべき世界ではないだろう。
今回の任務の間だけは、グリフォンとラザレスの世界に、少しだけお邪魔させて貰ってるに過ぎない。
「そういえば、小さなアルタージェ卿。君は、誰かに気の導きを行った事はあるかな?」
空からの光景に少しばかり慣れた辺りで、不意にラザレスが僕に問う。
僕は、頷いても前に乗るラザレスには見えないだろうから、前から吹く風に負けないよう、少し強めに声を発して、彼に是と告げる。
騎士になるまではなかったけれど、叔父が連れて来てくれた従者に、気の導きを行ったと。
「そうかい、それは重畳。知ってるかい? グリフォンもそうだけれど、人はユニコーンやバイコーン、象と呼ばれる巨獣や、天馬とも呼ばれるペガサス等、馬以外の生き物も乗騎として慣らす事がある」
続く言葉に、僕はやっぱり頷くだけじゃなくて、声を発して是と告げた。
その話は、確かに僕も知っている。
何でも遠い国では、その象と呼ばれる巨獣を並べた軍を保有する国もあるらしい。
また、これは人の話ではないけれど、人型の魔物が魔狼等を飼い慣らし、その背に乗ってライダーとなる事もあった。
「でもそうした生き物は、馬に比べて乗りこなす事が難しい場合が多くてね。特定の条件や、特殊な騎乗技術が必要となるケースも少なくない」
あぁ、その話も、何となくわかる。
例えばユニコーンなんて、清らかな乙女にしか近付かないし、その背を許さないと言われているのだ。
一体どうやってそれを判別してるのかはわからないけれど、それが事実だとするならば、随分と面倒臭い生き物だと僕は思う。
「そしてグリフォンに乗る天騎士も、ある特殊な、気で乗騎を操る技術を身に付けていてね。尤も誰にでも身に付けられるような代物じゃないから、別に秘匿はされてないんだが……」
そう語るラザレスの声は、何だかとても楽しそうだ。
でもこの話の流れからすると、もしかしてそれを見せてくれるのだろうか?
「君が他人の気に干渉した事があるなら、それを覚えられる可能性は低くない。興味は、当然あるだろう?」
なんて風に、ラザレスは僕に問い掛ける。
というか、まぁ、確かにそう聞かれたら、僕が否と答える筈はない。
単なる騎乗技術ならともかく、気を扱う技術は、僕だけじゃなくて殆どの騎士の欲するところだろう。
ただ一つわからないのは、どうしてラザレスが僕にそれを教えてくれようとするのかだ。
それが秘匿されているものではなかったとしても、少なくとも気を扱う技術で僕が知らないレベルの代物なんて、簡単に広めて良い筈がない。
すると僕の考えてることがわかったのか、ラザレスはまた一つ笑って、
「ほら、アリー君は色々と高い潜在能力を秘めてそうだからね。それが眠ったままなのは、どうにも惜しく思うんだよ。ただ、私が教えた事は内緒にしておいてくれると助かるね。小さなアルタージェ卿の口は軽くないと思ったから、特別さ」
そんな言葉を口にする。
ほら、やっぱり簡単に広めたら、誰かに怒られる代物なんじゃないか。
でもそこまで言って貰えるなら、僕が首を横に振る事はない。
もちろん教えて貰った事に関しては、堅く口を閉ざすけれども。
どうやら南の辺境伯領までの空の旅は、景色以外にも退屈とは全くの無縁そうだ。
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