第33話
グリフォンの厩舎の外で僕を待っていたのは、黒く長い髪が特徴の、とても綺麗な顔立ちの男性だった。
これまで僕が見てきた男性の中で、……或いは女性を含めても、彼よりも整った人は居なかったくらいに。
年齢は、二十代の前半だろうか?
「卿がウィルズ・アルタージェか。祖父君とは違った意味で、一目でわかるな。あの年齢で現役の騎士は他に居ないし、君の年齢で正式な騎士も他にはいない」
落ち着いた声で、目の前の天騎士はそういって少し笑う。
まぁ確かに、爺様の年齢で現役の騎士なんて他に居ないし、僕も逆の意味で同年代の騎士は居ない。
ただそれを面白がって笑う人って、これまで居なかったように思う。
まず多くの騎士にとって、爺様が笑いの対象にできる存在じゃないし、僕に対してもその影響で遠慮がちになる人は、決して少なくなかった。
でもそんな事をお構いなしに、彼は爺様と僕を並べて比較して、面白がってる。
何だか凄いなぁと、僕は目の前の天騎士の雰囲気に飲まれつつある事を自覚しつつも、
「ウィルズ・アルタージェです。上級騎士の中でも特に誉れの高い天騎士、ラザレス・ミトリア卿にお会いできて光栄です」
とりあえずは失礼にならないように、挨拶の言葉を口にした。
ラザレス・ミトリア、彼は六家の一つ、治のミトリア家の本家筋の人間だ。
六家の本家筋の人間で上級騎士、それも天騎士ときたら、次代の当主の有力な候補の一人だろう。
ただミトリア家とそれに連なる分家は、他の六家とは少しだけ性質が異なっている。
何というか、非常に説明が難しいのだけれど、基本的に六家とそれに連なる分家は、アウェルッシュ王国が誇る武の象徴である騎士を輩出する為に存在している、つまりは武家であった。
故に六家とその分家は、戦う為の力としての闘気法を非常に重視して、強き者を当主に据える。
もちろんミトリア家も武家であり、多くの騎士を輩出してきた事には変わりはないのだけれども、実は他の六家程には、武を重視してない家だった。
というのもミトリア家が扱いを得手とする治の気は、何かを破壊する方向ではなく、傷の回復を早めたり、病を遠ざける方面にも強い力を発揮するからだ。
なのでミトリア家の門下生には、戦士や騎士として身を立てたい者よりも、寧ろ治療家が多いと聞く。
何でもミトリア家で学んだ治の気の使い手は、己の身だけでなく、他人の気を活性化させる事で傷や病の治療を行うんだとか。
また民間に広まってる健康法としての気の扱い、健康体操のような物も、大元はミトリア家が教え広めているから、質はともかく量で言えば、ここが六家の中でも規模が一番大きい。
そしてそんな少し変わった家だから、当主の座に就くのも必ずしも騎士、或いは騎士の経験者ではないのだ。
時には治療家としての気の扱いに長けた人物が当主となる事もあるし、それが女性である場合も少なくないのが、ミトリア家の特徴だった。
あぁ、確か今の当主も、治療の腕に長けた女性であるという。
尤も、だからどうしたって話でもない。
単にラザレスが爺様と僕を笑えるのは、ミトリア家の価値観が他の武家と多少異なる事も関係してるかもしれないと、ふと思っただけである。
今、目の前にいるラザレスが、実力のある上級騎士であるという以上に、重要な事は何もないだろう。
ただ、そう、初対面から何の偏見も持たずに接してくれるラザレスの態度が、僕には少し嬉しかった。
「丁寧な挨拶だね。実に可愛らしい後輩だ。好感が持てるよ。さて、小さなアルタージェ卿、君は私のグリフォンを見に来たんだね?」
まぁ、ちょっと癖の強そうな人ではあるけれども。
ラザレスの問い掛けに、僕は頷く。
空から降りる時に僕を見て、厩舎の外で待っててくれたくらいなのだから、そりゃあこちらの目的なんて察してて当然だろう。
そう、僕はグリフォンをもっと間近で見たかった。
いや、それを駆る天騎士にだってもちろん興味はあったのだけれど、ラザレスに関しては知り合えた事でひとまずは満足だ。
彼の技や為人を深く知ろうと思うなら、交流を重ねていくしかない。
あぁ、でも天騎士の技を知りたいなら、それは乗騎であるグリフォンへの知識だって必要じゃないだろうか。
つまり結局、僕はグリフォンが見たいのだ。
今の僕の気持ちは、子供の頃に初めて爺様の馬に触らせて貰った時によく似てる。
なんていってしまうと、この年になってもまだ子供っぽい自分を自覚して、少し恥ずかしくなるけれど。
「よし、では私が案内しようか。ここのグリフォンは調教を受けてるとはいえ、気の荒い生き物だ。怒りを買って殺されてしまわないように注意したまえ、なんて言葉は、騎士である君には不要だね」
ラザレスはそう言って、楽しそうに厩舎の中へと入って行く。
やっぱり癖の強い人だけれど、僕は彼が嫌いじゃない。
そうして足を踏み入れたグリフォンの厩舎は、僕の知る馬用の厩舎とは全く違う造りだった。
馬房のような仕切りがなく、広い厩舎全体に藁が敷き詰められている。
ここは厩舎というよりは、むしろグリフォンの巣のようだ。
何故なら厩舎に踏み入った瞬間から、見知らぬ侵入者である僕に、繋がれもせずに自由にされてるグリフォンが、ジッと視線を向けているから。
ただ自由にはしてあるけれど、調教を受けているというのも本当なのだろう。
グリフォンはこちらをジッと見てはいるけれど、殺意を向けてくる訳でもなければ、威嚇もしない。
これは、そう、観察だった。
恐らく人という存在には、自分にとって有益な者もいると理解して、巣への立ち入りを許してる。
あぁ、だって、こんなに広い場所に藁を敷き詰めていたら、その交換には多くの人手が要るし。
仮に交換を怠れば、藁は薄汚れるし、虫も湧く。
きっと普段から、この厩舎には多くの人が作業に訪れるのだろう。
グリフォンは、この巣の主としてそれらの人を許しているのだ。
踏み入った人が、自分に無礼を働かない限りは。
その振る舞いは、まるで王者の如く。
向けられた視線を受け止め、改めてこちらもグリフォンを観察すれば、それはとても美しい生き物だった。
鷲のような猛禽類の上半身に、獅子の下半身。
より具体的に言えば、頭部、胸、前脚、背の一部と翼が鳥のように金と白の羽毛に包まれ、腰から下の、後ろ足や尾が獣のような茶の毛並みである。
巨躯や鋭い嘴や前脚の爪は迫力があり、目の当たりにすれば怯えて竦んでしまう人も決して少なくはないだろう。
但しこちらをジッと見てる目は、穏やかとまでは言わないが、実に理知的な光を宿す。
僕は自然と、グリフォンに対して胸の前に両手を組んで、一礼をしていた。
このグリフォンは、鳥の王で獣の王だ。
騎士である僕が跪くのは、仕えるラダトゥーバ陛下に対してのみ。
だから今の礼は、仕える主に対して以外の物としては、最上の敬意を払った仕草となる。
もちろんその意味がグリフォンに伝わるなんて、流石に僕も思っちゃいないが、それでもそうすべきだと感じたから。
「ははは、小さなアルタージェ卿は本当に丁寧で、素直な感性の持ち主だね。なぁ私の友、クレフィス。良かったな。君はこの騎士に、空の国の王として扱われてるよ」
そんな僕の仕草を見たラザレスが、とても楽しそうに笑う。
また彼がクレフィスと呼ぶグリフォンへの言葉には、深い親愛の感情が滲んで見えた。
するとグリフォンはのそりと近寄って来て、ラザレスに対して頭をぶつける。
何だろう、少し羨ましい。
僕は、自分の愛馬のアリーと、そんな気安い関係を築けてるだろうか。
いや、本当にどうだろう?
この前のドワーフの国への使節団では、連れ出したにも拘らず乗ってやれなくて、ちょっと拗ねられたし。
「小さなアルタージェ卿は、見たところグリフォンに興味はあっても、別に乗りたいって訳ではなさそうだね?」
自分の乗騎であるグリフォンを撫でていたクレフィスが、ふとそんな言葉を口にする。
あぁ、それは、そうかもしれない。
空から地を見下ろす気分はどうだろうとか、天騎士やグリフォンに興味はあったけれど、いざ目の前にしてそれに乗りたいかといえば、何だか少し違う気がする。
「それも楽しそうだとは思うんですけど、多分アリーが、僕の愛馬がまた拗ねるので……」
その理由は言葉に出してみると、とてもしっくりときた。
きっと僕は、グリフォンがどんな生き物で、天騎士がそれとどんな関係を築き、そして駆るのかが気になったのだろう。
自分がその背に乗って空を駆けたいという気持ちは、皆無とは言わないが然程に湧いてこなかった。
「なるほど、それは確かに困るね。いや、小さなアルタージェ卿は本当に愉快だ。では、今度は君の愛馬も紹介して欲しい。私もその、アリー君に興味が湧いたよ」
ラザレスはずっと楽しそうだけれど、何だかもう一つ更に上機嫌になって、僕の肩を軽く叩く。
どうやら僕はこの天騎士に、随分と気に入られたらしい。
馬とか、騎乗できる生き物が好きなんだろうか?
そしてこの日、僕には少し変わった知人が一人と一頭増えて、気付けば、ラザレスに会う前に抱えていた胸のモヤモヤは、もうどこかへと吹き飛んでいた。
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