クリビットサーガ
考えた結果とりあえずは手掛かりが見つからなくても、せめて何か新しい発見があるかもしれないと自分に言い聞かせながら本棚の穴の中に入っていった。
穴の壁にはやはり本で埋まっているのだが、時折光っている本があっていく道を照らしてくれていた。
床は木で出来ていたが、その下に本が詰まっていて、これもまた猫で出来ていると思うと少し体重をかけるのが怖くなった。
しばらく歩くと、小屋程度の広さの空間に出る。
そこでは二人、男女が机に座って本を読んでいた。小さなランプを頼りに読んでいるので目に悪そうだった。
「そんな場所で本を読んでいいんですか」
老婆はごく当然のことを尋ねた。女が初めて老婆に気が付いたように振り返り、目を合わせる。もじゃもじゃとした髪質で、尖がり帽子を被っていた。まるで絵本に出てくる魔女を思い起こさせる。
男は背の低い短髪で、汚れた鎧を着ていた。女が魔女ならこっちは騎士か。
「よくはないよ。ただせずにはいられないでね。ずっと待っているんだよ」
女は初めて出会った老婆に聞かれてもいないのに語り始めた。
「この穴はクリビットサーガが置かれているはずの場所なんだ。クリビットサーガというのは軛の国で出ている大人気大長編小説で、現在32841巻までるんだよ。ただ212巻から701巻まで敵国に版権が奪われて色々あって絶版なんでね。そのあたりは露骨にプロパガンダめいて面白くないとか言われてるけど、読みたいものは読みたいからね。別にそれ以降がプロパガンダめいてないわけでもないしね。だからこうやって待っている」
「はあ」
「ここは良いいね。本を読むことができて、読むべき本がたくさんある」
「怒られないんですか」
「怒られるど、司書さんもどこか本気では拒否をしていないようにも思える」
それはそれはそうであってほしいという希望ではないのかと思ったが、黙っていた。
「意外とこの図書館は広いので中々出会わないからね」と女は頷いた。「だから司書に怒られるのも秘かな楽しみになるくらいだ。こうして出会えたのも何かの奇跡だ。見た所あなたも何かを探しているようだね。良ければお手伝いしますよ」
少し胡散臭さを感じて、正直に自分のことを話すのはためらわれる相手だった。仕事でもないのに図書館に住み着くなど健全なことではない。
しかしもしかしたら司書と違う目線で何か教えてくれるかもしれない。迷ったが結局話すことにした。
「実は……」
老婆は話し終えた。一旦司書に話した後だったので、うまく要点を掴んで話すことが出来た。
女は相槌を交えながらも、興味深そうに聞いてくれていた。
「それはあれだね。きっと『廻るべき手紙』がかかわっている」
また新しい単語が出てきた。正直そう言った言葉はあまり頭に入らなくてこの歳では覚えにくい。
「それは何ですか? やはり本の話なんでしょうか?」
「そうですとも。硝子機関の血統史はクリビットサーガとも強いかかわりを持っていましてね。まあ簡単に言うとクリビットサーガは歴史伝奇小説でね。その実際に起こったことも反映されるんだよ。そして硝子機関の子孫が活躍する場面もあるんだ。その子孫の名前が『廻るべき手紙』で……」
「それは本当に私が探している猫と関係があるんでしょうか」
「さてね。あるかもしれませんしない。しかしクリビットサーガは傑作だよ。途中から読んでも面白い。面白い……のだけども今までの文脈を理解していたほうが面白い。どうですかあなた。我々クリビットサーガ愛好会に入りませんか?」
「いえ、その猫が出る所だけ読ませてください」
そう言うと女は露骨にがっかりした顔をした。
「そうですか……でももしかしたら気に入って他も読みたくなるかもしれない」
まだ女はいろいろ言っていたが、老婆は気にせず本を開いたのだった。
それで真っ先に気が付いたことがあった。
「これ、猫が話すんですね」
「あっ、それは」
老婆の言葉に女はなぜが強く目をつむり、そして大きく息を吸った。
「お嫌いですか、そういうのは」
「いえ、そういうわけでは」
「そうかい、そうかい! いいでしょう猫が話すのも。ささ、私にかまわず読んで」
何なのだろうか一体、と老婆は困惑した。
明らかに話す猫のことに言及したら空気が変わった気がする。
無関心に見えた本を読んでいる男もまた確かに一瞬だけこちらに視線を向けていた。
しかし二人は黙って老婆が本を読むのを待っているのは確かだった。話が進まないのでとりあえずは読んでみることにしたのだった。
ある程度読んで老婆は一旦目じりを揉んだ。
「ちょっと……というかかなり読みにくいですね……」
女は口を少し曲げながらもわかるという顔をした。
「途中から読んでるからそうなのかもしれないね。これまでの話を読んでいるとちゃんと単語一つ一つがわかって面白いんだけど」
「これ本当に手がかりになるんですか?」
「多分……私にはわかりかねるけど、手がかりを示すことしかできません。とりあえず解説すると、『昨日であった夕日』の相手がフレミコという猫でして――」
「待った」
そこで突如大きな声が部屋内に響いた。どこから声がしたのかと思って周りを見ると、先ほどまで本を読んでいた男が顔を上げていた。
どうやら話に混ざることにしたようだ。
「騙されちゃいけないですよおばあさん」
騙されてる? と老婆は不安になる。つまりは嘘を並べてからかわれたという事か? 全く関係ない話をされていたという事か?
「どういうことです?」
「この男の言うことを聞いてはいけない」と女は話を遮ろうとする。老婆はしかし話を促した。男は軽く咳払いをした。
「彼女の話には……いやその本には間違いがある。『昨日であった夕日』の相手はフレミコではなくダスタイラです」
「は?」
「『昨日であった夕日』は一回しか交尾をしていない。そしてダスタイラとのエピソードはクリビットサーガにおいてとても重要な意味を持っているんです。だからフレミコが相手なはずはないんですよ」
「いやいやいや」と女は焦っていった。「ちゃんと読んでる? 2932巻の描写は確実にやってるって」
「版元が分裂して権利が分かれていた時の話じゃないですか。その話は正史として僕は認めてない。もちろん今読んだ話もね」
「はあ、出た出た。これだからラクラスペア派は嫌いなんですよ。初心者に版元の権利だなんだと言って面倒くさい印象を持たせてくる」
「イラスマト派こそなんだ。初心者にしれっと偽史を正史として偽って布教しようとしてくる」
「ラクラスペアの流れは前の流れと矛盾してて面白くない」
「ほら来た。権利の話をしているのに、面白い面白くないの論点にすり替えてますね」
「最初の『矛盾している』の部分は無視して言い返せる部分だけ拾ってご苦労だな。というか面白くないのは否定しないんだねえ」
「そもそも大体猫が話すということ自体が冒涜的なんですよ。人を本とすることが出来ないからこその猫だったのに、あまり擬人化しすぎるのは本末転倒ですよ」
「ほらまた話をすり替える」
「どっちが!」
二人は言い争いを初めてしまって、老婆のほうを見なくなってしまった。諫めようか迷っていると、彼女の袖を引く影の存在があった。
「おばあさんこっち」
その影はかなり小さい。まるで子供のような――否、子供より小さく大きさとしては赤ん坊が立ってるぐらいだ。
よく見ると猫が二足歩行して袖を引いていた。白いきれいな毛並みをしている。
「ついてきてよ、頼みがあるんだ」
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