第1話『今日はかつての日常』

 リビングにいる麻美さんに挨拶して、俺と愛実は学校に向かって出発する。

 よく晴れており、日差しに直接当たると結構暑い。

 きっと、あおいが病院に行く午前9時頃は今よりも暑くなっているだろう。高熱が出ているあおいにとっては辛そうだ。ただ、麻美さんが同伴するだろうから、病院の行き帰りは大丈夫そうかな。


「あおいちゃん……笑顔を見せてくれるときもあったけど、顔も赤くて辛そうだったね。咳も出ていたし」

「そうだな。1学期に俺も風邪を引いたから、あおいが辛そうな感じになるのはよく分かるよ。あと、笑顔を見せてくれたことも。俺も、朝に愛実とあおいが来てくれて嬉しかったからさ」

「確かに、あのときのリョウ君……笑顔で『嬉しい』って言っていたもんね」


 そのときのことを思い出しているのだろうか。愛実の顔には優しい笑みが浮かんでいる。

 俺が風邪を引いたとき、登校前の愛実とあおいの顔を見たら、ちょっと元気をもらえたことを覚えている。あおいもそうだったら嬉しいな。


「リョウ君のときみたいに、放課後になったらある程度元気になっているといいよね」

「そうだな。俺も行った病院に行くみたいだし……あの病院が処方してくれる薬を飲んで元気になるといいな」

「そうだね。ちなみに、幼稚園の頃はあおいちゃんって風邪で休んだことはあったの?」

「何回かあったよ。幼稚園の帰りに母さんと一緒にお見舞いに行ったのを覚えてる。あの頃は1日か2日かで治ったと思う」

「そうなんだ。じゃあ、その頃と変わらずに早く治るといいね」

「そうだな」


 病院で処方された薬を飲んで、たっぷり寝て……放課後にお見舞いに行くときにはある程度治っているといいな。


「そういえばさ、リョウ君」

「どうした?」

「こうして2人で登校するのって、2年生になってからは初めてじゃない?」

「……言われてみればそうだな」


 1年生の春休みにあおいが引っ越してきて、2年生になってからは愛実とあおいと3人一緒に登校している。夏休み中に愛実と俺が付き合い始めたけど、2学期になってからも変わりない。


「うちの高校に転入してから、あおいが休むのはこれが初めてだもんな」

「だよね。1学期にリョウ君がお休みしたから、あおいちゃんと2人きりで登校したことはあるけど」

「そうか。……じゃあ、愛実と2人で登校したのは、1年の修了式の日以来になるのか」

「そうだね。だから、何だか懐かしく感じるよ」

「そうだな。ただ、小1のときに愛実が引っ越してきた直後から、高1が終わるまではこうして愛実と2人で登校するのが当たり前だったんだよな。中学時代に陸上部の朝練があったときや交通事故に遭って入院していたとき以外は」


 隣に引っ越してきたし、同い年の女の子が引っ越してきたのが嬉しかったのもあって、引っ越してきた直後から一緒に登校したっけ。懐かしいな。


「そうだったね。まあ、高1までは今みたいに手を繋いで登校することは全然なかったけどね。だから、懐かしいけど、新鮮な気持ちもあるの」


 愛実は嬉しそうな笑顔でそう言った。

 高1までは俺達は隣に住む同い年の幼馴染で。でも、今は幼馴染だけじゃなくて恋人の関係にもなっていて。手を繋いでいるのはその証とも言える。もしかしたら、それが理由で愛実は嬉しそうにしているのかもしれない。


「確かに、懐かしいけど新鮮だな」

「そうだね。ただ、高1までは2人きりで登校していたけど……高2になってからはあおいちゃんが一緒だから、2人で登校するのは寂しいな」

「……ああ、そうだな」


 それだけ、あおいの存在が大きくて、一緒にいる時間が楽しいと思えているんだよな。小1の5月末から高1の終わりまでの多くを、愛実と2人で登校していたのに。10年近く続いた日常は、この半年近くでかつてのものになったのだと実感する。

 愛実と話しているのもあって、気付けば、通っている都立調津ちょうつ高校の校舎が正面に見えていた。

 それから程なくして校門を通り、2年2組の教室がある教室A棟に入る。1年生のときの教室がB棟にあったのもあり、愛実と2人でこのA棟に入ると結構新鮮に感じられる。その新鮮さは下駄箱で上履きに履き替えるときも、階段で教室のある4階まで上がるときにも感じられた。

 後方の扉から、2年2組の教室の中に入る。

 今日も先に登校していた誰かがエアコンを点けてくれていたのだろう。中に入った瞬間、涼しい空気が体を包み込む。晴天の中で登校したので結構心地いい。


「愛実ちゃんに麻丘君、おはよう。あれ、今日は2人?」

「桐山はいないのか?」


 などと、友人中心にクラスメイトに朝の挨拶やあおいがいないことを問いかけられる。いつも3人で登校しているから、あおいがいないことが気になるよな。

 声を掛けてくれた生徒に彼らに挨拶し、あおいは風邪で学校を休んでいることを話して、俺達は自分の席に向かった。ちなみに、俺の席は窓側の席の最後尾で、愛実の席は俺の右隣の席だ。また、あおいの席は愛実の一つ前の席である。


「愛実、麻丘君、おはよう!」

「2人ともおはよう」

「おはようだぜ!」


 俺や愛実の席の後ろのスペースにいる海老名さん、道本、鈴木が俺達に向かって挨拶してくれた。3人とも笑顔だけど、あおいが風邪を引いて休んだのを知っているから、普段ほどの元気さは感じられない。特に海老名さんは。


「理沙ちゃん、道本君、鈴木君、おはよう」

「みんなおはよう」


 俺と愛実は道本達に挨拶して、スクールバッグを自分の席に置いた。


「麻丘と香川は元気そうで良かった」

「だな。ただ、桐山が風邪を引くなんて意外だぜ。いつも元気だからな」

「クラスの女子の中で一番元気だものね。……2人はあおいの家に寄ったのよね。あおいはどんな感じだった?」


 海老名さんは真剣な様子でそう問いかける。グループトークに様子を見に行くってメッセージを送ったから、あおいの様子を聞きたいのだろう。


「38度台まで熱が上がっているから、顔が赤くて、辛そうにしてた」

「頭の痛みや喉の痛みもあるみたいで。あと、私達と喋ると咳をすることもあったよ。ただ、来てくれて嬉しいって笑顔を見せることもあったよ」

「そうなのね。熱が出たら結構辛いわよね。2人の顔を見て嬉しそうにするのはあおいらしいけど」

「そうだな。昨日は一日中バイトをしたり、課題を片付けたり、夜遅くにアニメを観たりしたから、それで疲れが溜まったのが原因じゃないかって話してた」

「なるほどね。それもあおいらしいわ……」


 苦笑しながら海老名さんはそう言った。海老名さんも同じことを考えたか。また、海老名さんの言葉に同意したのか、道本と鈴木は小さく頷いていた。


「今日は麻美さんもいるし、午前中に近所の病院に行くそうだ」

「そうなのね。1学期の麻丘君みたいに、1日で元気になるといいわね」

「ああ、そうだな」


 少しでも早く、あおいの体調が良くなることを願う。辛そうにしていたあおいを見たから、その思いは強い。

 それにしても、今は……俺に愛実、道本、鈴木、海老名さんか。


「愛実と一緒に登校するときにも思ったけど、今のこの状況……懐かしいな。1年のときはこの5人でいることが多かったから」

「そうだったね、リョウ君」

「朝礼前とか昼休みとか、5人でいることが多かったわね」

「俺と鈴木は1年の頃は別のクラスだったけど、麻丘達のクラスへ遊びによく行っていたもんな」

「そうだったな!」


 1年の頃を懐かしんでいるのか、愛実達は穏やかな笑顔を浮かべる。

 そういえば、1年の頃は道本と鈴木が俺達のクラスに遊びに来るのがほとんどだったな。


「ただ、この5人でいるのは懐かしい感じだけど、違和感もあるわね。あおいがいないから」

「そうだね、理沙ちゃん。それだけ、あおいちゃんの存在が大きいってことだね」

「2人の言う通りだな」

「2年になってからは桐山とも一緒だったからな」

「ああ! 今は6人がしっくりくるぜ!」


 鈴木は持ち前の明るい笑顔で元気にそう言ってくれる。6人がしっくりくるという言葉にしっくりくる。


「そうだな、鈴木」


 俺がそう言うと、鈴木はニコッと白い歯を見せながら笑う。

 鈴木に同意するのは俺だけではないようで、愛実と海老名さん、道本も「そうだね」と首肯していた。愛実はもちろん、道本達もあおいがいる方がいいと思ってくれていると分かって、幼馴染として嬉しい気持ちになる。


「やあやあやあ、みんなおはよう。チャイムが鳴るまでは自由にしていていいよ」


 佐藤先生のそんな声と「おはようございます」という生徒達の声が聞こえたので教卓の方を見ると……教卓の近くにはロングスカートにノースリーブの襟付きブラウス姿の佐藤先生がいた。

 俺の視線に気付いたのか、佐藤先生はこちらを向き、微笑みながらこっちにやってくる。


「みんなおはよう。さっき、親御さんとあおいちゃん本人から欠席の連絡を受けたよ」


 あおいからも欠席すると連絡したんだ。連絡先を交換しているし、あおいと佐藤先生は二次元コンテンツを通じて友人関係にもなっているからな。

 そういえば、俺も1学期に学校を休んだときは、俺からも佐藤先生に欠席のメッセージを送ったっけ。


「……それにしても、何だか懐かしい光景だね。1年の頃は君達5人で一緒にいたから」

「俺達もちょうどその話をしていました」

「ははっ、そうかい」


 1年の頃も佐藤先生は朝礼が始まる少し前に教室にやってきて、俺達5人と話すことが何度もあった。だから、先生も懐かしく感じるのかもしれない。


「それに、今はあおいちゃんがいないからね」


 佐藤先生は静かな笑みを浮かべながら、落ち着いた口調でそう言った。

 そうか。もし、あおいが引っ越したり転校したりすることなく、この5人で一緒にいることが続いていたら、今の状況を懐かしく思うことはなかっただろう。2年生になってからはずっとあおいと一緒にいたから、この5人でいることを懐かしめるんだ。「懐かしい」はあおいがもたらしてくれた感覚なのだと気付かされる。今一度、あおいの存在の大きさを実感する。

 それから程なくして、朝礼の時間だと知らせるチャイムが鳴った。

 今日も学校生活が始まる。あおいのいない、かつての日常だった時間を過ごしていく。だからか、普段よりも時間の流れがゆっくりに感じられた。

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