第28話『クロノスタシス④-提案-』
4月18日、月曜日。
週明けの学校は少し気持ちが重くなることがありますが、調津高校に転校してからは特にありません。幼馴染の涼我君や友人の愛実ちゃんや理沙ちゃん達と一緒に学校生活を送れるからでしょうか。
昨日は3年前の交通事故について話してくれましたが、愛実ちゃんと理沙ちゃんはいつも通りの雰囲気で過ごしていました。涼我君とも普通に話していましたし、一安心です。
今日の放課後、涼我君はバイトがなくてフリー。愛実ちゃんはキッチン部の活動で使う材料の買い出しに行くとのこと。毎週月曜日は買い出しの日で、今週は買い出し担当なのだそうです。まずは涼我君と2人で話したいと思っていましたからちょうどいいです。放課後に涼我君に例のことを話しましょう。
放課後。
終礼が終わり、今日の学校生活も終わりました。週が明けて掃除当番の班が変わったので、これで帰ることができます。
今週の掃除当番となった鈴木君とは教室で、キッチン部の買い出しがある愛実ちゃんとは渡り廊下のある3階で、陸上部の練習に行く理沙ちゃんと道本君とは昇降口で別れました。なので、昇降口でローファーに履き替えるときには涼我君と2人きりになりました。
「さてと、これからどうしようか。いつもみたいに、アニメイクとかレモンブックスに行くか? それとも、他にどこか行きたい場所があるか?」
涼我君はいつもの落ち着いた笑顔で私にそう問いかけてくれます。
涼我君と2人きりで例のことを話したい。ですから、
「これから私の家に来ませんか? 涼我君と2人きりで話したいことがあるんです」
プライベートな場所である私の家に誘うことにしました。
アニメイクやレモンブックスには行かず、私の家に行く。それが予想外だったのでしょうか。涼我君は目を見開きました。ただ、それも一瞬のことで、すぐに落ち着いた笑みが戻ります。
「分かった。いいよ。じゃあ、あおいの家に行くか」
「ありがとうございます。行きましょう」
私は涼我君と一緒に校舎を出て、帰路に就きます。
先週は校舎と校門の間に部活勧誘の生徒がいっぱいいましたが、今はそういった生徒は全然いません。部活の見学や仮入部期間が終わったからでしょう。
そういえば、先週……マネージャーになってほしいとサッカー部の生徒に誘われたとき、デートするからと涼我君が手を握ってくれましたね。あのときの涼我君……とてもかっこよかったです。そんなことを思っていたら、あっという間に校門を出ました。
「何事もなく学校を出られるっていいな。先週は部活の勧誘が凄かったから」
「そうですね。平和で何よりです」
「そうだな」
涼我君は笑顔でそう言いました。
ただ、涼我君の笑顔がさっきよりも少し硬く感じるのは気のせいでしょうか。もしかして、私の家に行くことに緊張しているのでしょうか。2人きりで話したいと言いましたし……わ、私が色々なことをしようとしていると勘違いしているのではないでしょうか!? 涼我君はえっちな本こそ持っていませんが、年頃の男の子ですし!
「りょ、涼我君! その……これから、私の家に行って2人でお話ししますけど、告白したいとかイチャイチャしたいとかじゃありませんからねっ!」
「あ、ああ……そうか」
大きめの声で言ったからか、涼我君はちょっと驚いた様子で言いました。
「お、驚かせてすみません。涼我君、ちょっと緊張している感じがしたので」
「……愛実達と一緒のときはあったけど、あおいと2人きりで家にお邪魔するのは再会してからは初めてだからさ。ちょっと緊張してる」
「そうでしたか」
私がそう言うと、涼我君ははにかみます。それがちょっと可愛くて。
昔は私の家で2人きりでたくさん遊んだのに。それでも、私の家に2人で行くことに少し緊張していると分かって、なぜか嬉しい気持ちになりました。
それからは今日の学校のことや、クリスのことを話して涼我君と一緒に家に帰りました。
「ただいま」
「お邪魔します」
リビングにいるお母さんに挨拶してから、涼我君を自分の部屋に連れて行きます。
さっき、涼我君が2人きりで私の家にお邪魔するのはちょっと緊張すると言っていたからでしょうか。私も部屋に通した途端、ちょっと緊張してきました。マグカップを買った日、涼我君の家にお邪魔しましたけど、そのときの涼我君もこういう気持ちだったのでしょうか。
「りょ、涼我君。冷たい飲み物を持ってきますね。コーヒーでいいですか? 涼我君、コーヒー好きですから」
「ああ。コーヒーお願いします」
「分かりました。涼我君は適当な場所にくつろいでください」
「分かった」
スクールバッグを勉強机に置き、私は部屋を一旦出て行きます。
1階のキッチンに行き、2人分のアイスコーヒーを作ります。ただし、私の方はガムシロップ入りのちょっと甘めのやつを。
アイスコーヒーの入ったマグカップを持って部屋に戻ると、涼我君はベッドに近いクッションに座りながらスマホを弄っていました。
「アイスコーヒーを作ってきました」
「ありがとう」
涼我君の前にアイスコーヒーを置き、私は涼我君の左斜め前のクッションに輿を下ろしました。
涼我君はスマホをローテーブルの上に置いて、アイスコーヒーを一口。
「……美味しいよ」
優しく笑いながら涼我君はそう言ってくれました。そのことにほっとします。
良かったです、と言って私は自分のアイスコーヒーを一口。苦味はありますが、ガムシロップの甘味もあるので美味しく感じられます。作りたてなので結構冷たいですが、今はそれが心地よく感じられます。いつかは涼我君や愛実ちゃんのようにブラックを飲めるようになりたいものです。
「それで、俺に話したいことって何なんだ?」
涼我君は真剣な眼差しで私を見つめながらそう言います。2人きりの状況なので、ちょっとドキッとします。
アイスコーヒーをもう一口飲み、息を長く吐いて気持ちを落ち着かせます。
涼我君の顔をしっかり見て、
「久しぶりに……昔のように私と一緒に走ってみませんか? それを愛実ちゃんに見てもらいませんか?」
そう。これが、昨日……アルバムを見たときに思いついた涼我君と愛実ちゃんが元気にできるかもしれない方法です。
昔、涼我君とは調津北公園でたくさん競走しました。私がいつも勝っていましたが、涼我君は楽しそうで。春休みにアルバムを見ながらその話をしたときも、涼我君は楽しそうに話していました。
脚が痛くなるかもしれない不安があっても、私と久しぶりに走ることなら涼我君に楽しんでもらえるのではないか。その様子を見たら、愛実ちゃんも元気になるんじゃないかと考えたのです。
久しぶり走ろうと言ったのが予想外だったのでしょうか。リョウ君は見開いた目で私を見ます。
「急に……どうしたんだ? 一緒に走ろうだなんて。しかも、愛実に見てもらおうって」
困惑した様子で涼我君は問いかけてきます。
ここはちゃんと理由を言うことにしましょう。一緒に走ろうと涼我君に提案しているのですから。
「実は……一昨日の帰りの交差点の一件がきっかけで、涼我君の遭った3年前の交通事故のことが気になりまして。昨日、愛実ちゃんと理沙ちゃんと課題をした後に話を聞いたんです」
「そうだったのか……」
3年前の交通事故に触れたのもあってか、涼我君は静かな口調でそう言い、しんみりとした表情になります。
「すみません。涼我君のいない場で事故の話を勝手に聞いて」
「いいんだよ。あおいを庇ったとき、自分でもいつもと違う体の感覚だったし。愛実もいつにない表情だったし。そういったことが理由で、あおいは3年前の事故について気になったんだろう?」
「ええ」
正直に答えると、涼我君は表情を変えることなく「そうか……」と呟きました。
「……3年前。横断歩道を渡ろうとした愛実ちゃんを庇ったことで轢かれて。その事故の影響で、陸上部を辞めたんですよね。陸上競技も。愛実ちゃん……自分のせいで涼我君に辛い目に遭わせたと言っていました」
「自分のせい……か。こうなった責任は乗用車を運転していた男と……後先考えず、愛実を助けたいからって走り出した俺にある。愛実は一切悪くない。あのとき、愛実は青信号になっていた横断歩道を渡っていただけなんだから。愛実のせいじゃない。それは俺の口から何度も伝えた。それでも、自分のせいだって思ってしまう愛実の気持ちは理解できる」
そう話すと、涼我君はコーヒーを一口飲んで、長めに息を吐きました。
「俺から陸上生命を奪った。全国大会に行きたい夢を潰した。楽しく走ることも奪った。そう思った愛実は、当時所属していた家庭科部を辞めるつもりだったんだ。自分の好きなことや楽しいことは一切したくないって言うほどだった」
「そうだったんですか……」
自分のせいで涼我君から好きなことを奪ったのだから、部活や趣味を辞めたい。それが自分のできる涼我君への罪滅ぼしだと愛実ちゃんは考えたのでしょう。
「でも、愛実の笑顔を見ると元気になる。特に好きなことを楽しんでいるときやそれを話すときの笑顔を見ると元気になる。そうやって説得して、部活を辞めるのは思いとどまらせた。高校でも入学直後にキッチン部に入ってくれた」
「部活動説明会でも笑顔で話していましたよね」
「ああ。……入院中のリハビリや退院後に松葉杖を使って学校に通っているときは、愛実が献身的にサポートしてくれたよ。海老名さんや道本達もな」
「だから、治りも早かったんですよね」
「そうだ」
そのときのことを思い出しているのでしょうか。涼我君の顔には柔らかな笑みが浮かぶようになります。その表情の変化を見て安心すると共に、彼の笑顔がとてもいいなと思えて。
「ただ、日常生活を再び送り始めて、体育の授業を受けるほどに回復した後……体育祭の練習中に脚が痛くなったんですよね。それ以降は走り終わるとどこかほっとした感じだと」
「ああ。あのときはかなり痛くてさ。また脚が痛むかもってトラウマになった。走っている間もそれが気になってさ。走り終わって脚の痛みがないとほっとするんだよ。まあ、それ以降は脚が激しく痛むことはないんだけどね。筋肉痛のような痛みや、疲れを感じることはあるけど」
「そうですか……」
激しい痛みはその一度だけだったと分かって、私は安心できます。でも、涼我君にとっては3年経った今でも、トラウマとして心に居座っている。きっと、身体的な痛みは取れても、記憶という形で残っているからなのでしょう。
「その話を聞いて、涼我君と一緒に走ってみるのはどうだろうかと考えたんです。そうすれば、涼我君は走ることを楽しめるかもしれない。私達が走る様子を見れば、愛実ちゃんが元気になるかもしれないって」
「……あおいだからこそ考えて、できそうなことだな」
涼我君はそう言うと、私に優しい笑顔を向けてくれます。そんな彼を見て自分の頬が緩んでいくのが分かりました。
先ほどと同じように、涼我君はアイスコーヒーを一口飲むと、少し長めに息を吐きました。
「昔、あおいと走ったときはいつもあおいに負けてた。それでも、一緒に走るのが楽しかった。ただ、あおいのように速く走れるようになりたい。いつかまた会ったらあおいに勝ちたい思いもあって。小学校の高学年くらいからジョギングを日課にしてて。それで、中学に入学したとき、陸上部に入ったんだ」
「そうだったんですか」
小さい頃に私とよく遊んでいたことが、涼我君が陸上を始めるきっかけになっていたなんて。嬉しい気持ちになります。その気持ちから生まれる温かさが、全身を包み込んでいくのが分かりました。
「昔はよく走ったし、楽しかったもんな。あおいとなら……楽しく走れそうな気がしてきた。そんな姿を愛実に見せられるかもしれない。それに、今の俺とあおいが競走したらどんな結果になるのかも興味があるし」
「私も興味があります。久しぶりに走りましょう、涼我君!」
私はそう言って、涼我君に右手を差し出します。
涼我君は私の目を見ながら、一度、首を縦に振りました。涼我君はいつもの笑顔になって、目も輝いていて。そんな彼がとても素敵に見えました。
「そうだな、あおい」
涼我君はそう返事して、私の右手をしっかりと握ってきました。その温もりはとても強くて優しく感じられたのでした。
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