第29話『クロノスタシス⑤-心情-』

 ――久しぶりに涼我君と走り、その様子を愛実ちゃんに見てもらうこと。

 まず、涼我君に一緒に走ることを説得できました。楽しく走れそうとか、今走ったらどんな結果になるのか興味があるとか言ってくれたのが嬉しいです。


「あとは愛実ちゃんが私達の走る姿を見てくれるかどうかですね……」

「そうだな。ただ、それ以前に……俺があおいと走ることを許すかどうか。体育の授業や体育祭の全員参加種目では『無理はしないでね』って言う程度だったけど」

「走らなければいけない状況ですからね。ただ、今回はそうではありません」

「ああ。愛実は俺が脚を痛めて倒れた姿を見ている。また同じことになったら……って考えて、走ってほしくないって言う可能性はありそうだ」

「そうですね」


 走らなければ、涼我君の脚が痛むことはありませんからね。脚のことを考えるなら、走らないに越したことはありません。

 それに、涼我君が脚を痛めて倒れたと話したときの愛実ちゃんは浮かない表情でしたし。走ってほしくないと言う可能性は十分に考えられます。


「とにかく、まずは愛実ちゃんに話してみましょう」

「そうだな。話してみないことには何も始まらないし」

「ええ。今、愛実ちゃんはキッチン部の買い出しですよね。LIMEで、買い出し後の予定は空いているかどうか訊いてみましょう」


 ブレザーのポケットからスマホを取り出し、LIMEで愛実ちゃんとの個別トークを開きます。


『愛実ちゃん。キッチン部の買い出しの後、予定ってありますか?』


 と、愛実ちゃんにメッセージを送ります。

 スマホに表示されている時刻を見ると……学校で愛実ちゃんと別れてから40分くらい経っています。今は買い出しの最中でしょうか。

 そういったことを考えていると、私の送信したメッセージに『既読』のマークが付きます。愛実ちゃん、このメッセージを見たんですね。


『ううん、特にないよ。買い出しが終わったら帰るつもり』


 既読になってからすぐ、愛実ちゃんからそんなメッセージが送られてきました。この後の予定はフリーなんですね。


「愛実ちゃん、買い出しが終わったら帰るつもりだそうです」

「そうか。じゃあ……ここに呼ぶか」

「そうですね」


 私はスマホをタップして、


『分かりました。では、買い出しが終わったら、私の家に来てくれませんか? 涼我君と一緒に愛実ちゃんに話したいことがあるんです』


 というメッセージを愛実ちゃんに送信しました。

 そのメッセージはすぐに『既読』となり、


『うん、分かった。今、買い出しから戻って、食材を冷蔵庫に入れているところだから、あと20分くらいで行けると思う』


 という返信が届きました。

 家に来てくれるとのことで安心しました。愛実ちゃんには『分かりました。』と了解のメッセージを送りました。


「愛実ちゃん、買い出しから戻ってきたところみたいで。あと20分くらいでここに来るそうです」

「分かった」


 それから、私達はクリスのTVアニメを観ながら愛実ちゃんを待つことに。観るエピソードは私のお気に入りのものです。涼我君も好きなエピソードだそうで、楽しそうに観ていました。

 ――ピンポーン。

 本編が終わって、エンディング映像が流れている頃、インターホンが鳴りました。扉の近くにあるモニターで確認すると、制服姿の愛実ちゃんの姿が画面に映りました。


「愛実ちゃん、お待ちしていました。今、行きますね」

『うん』

「……愛実ちゃんです。連れてきますね」

「ああ。いってらっしゃい」


 私は部屋を出て、愛実ちゃんが待つ玄関へと向かいます。

 玄関を開けると、すぐそこに愛実ちゃんの姿が。私と目が合うと、愛実ちゃんは可愛い笑顔で小さく手を振りました。


「買い出しお疲れ様です」

「ありがとう」

「さあ、どうぞ。涼我君は部屋にいますよ」

「うん。お邪魔します」


 私は愛実ちゃんを部屋に通して、涼我君と同じようにブラックコーヒーを作りました。

 愛実ちゃんの前にブラックコーヒーの入ったマグカップを置き、さっきまで座っていたクッションに腰を下ろしました。

 私の真正面のクッションに座っている愛実ちゃんは、ブラックのアイスコーヒーを一口飲みます。


「美味しい。……それで、あおいちゃんとリョウ君が私に話したいことってどんなこと?」


 愛実ちゃんはいつもの優しい笑顔で問いかけてきます。

 私は一度、涼我君と目を合わせます。私が発案したことですから、私から話すことにしましょう。私が小さく頷くと、涼我君も頷いてくれました。


「昔、たくさんしていた涼我君との競走を10年ぶりにしたいと思っています。その様子を愛実ちゃんに見てほしいんです」


 愛実ちゃんの目を見て、私はそう言いました。

 涼我君と一緒に走りたいと言ったからでしょうか。一瞬にして、それまで浮かんでいた笑みが顔から消えて、俯いてしまいます。その姿は春休みに涼我君のアルバムを見て、彼が事故のことを話したときの姿と重なりました。


「昨日、海老名さんと一緒に3年前の事故のことをあおいに話したんだってな」

「う、うん……」

「その話を聞いて、あおいが久しぶりに俺と一緒に走りたいって考えてくれたんだ」

「昔、涼我君は私と一緒に楽しそうに走っていました。だから、私となら涼我君も楽しく走れるんじゃないかと思いまして。その姿を愛実ちゃんに見てもらえば……2人が元気になれるかなと思って」

「そっか……」


 呟くようにしてそう言うと、愛実ちゃんは長めに息を吐きました。

 それから、私達3人の間に沈黙の時間が流れていきます。

 私の言葉を受けて、愛実ちゃんはどんな心境を抱いているのでしょうか。その気持ちをできるだけ尊重したいと思っています。今は愛実ちゃんの言葉を静かに待ちたい。涼我君も同じなのか、何も言葉は言わず、何度かコーヒーを口にしていました。

 どのくらいの時間が経ったでしょうか。2、3分かもしれないし、10分以上経ったかもしれない。長く思えた沈黙の時間を経て、


「……走ってほしくない気持ちがある」


 愛実ちゃんは小さな声でそう言うと、私と涼我君のことを見てきます。


「走って……ほしくない」


 確認するように私がそう言うと、愛実ちゃんは小さく頷きました。


「授業で走るくらいならいいってお医者さんに言われたのに、リョウ君は思いっきり走って……脚を痛めて倒れた。そういったことはその一度きりだったけど、それからずっとリョウ君は走り終わる度にほっとしたり、脚を擦ったりしてる。脚のことを考えるなら、走らないに越したことはないよ」

「愛実……」


 やはり、涼我君の体のことを思い、走ってほしくないと愛実ちゃんは考えていますか。脚を痛めて倒れたり、走った後にはほっとしたりする涼我君を見ていますから、愛実ちゃんがそう考えるのは仕方のないことです。


「でも、あおいちゃんと走っているリョウ君の姿を見てみたい気持ちもある」

『えっ……』


 まさか……見たい気持ちもあるなんて。涼我君も同じ想いだったようで、漏らした声が彼と重なりました。


「昔から、涼我君はあおいちゃんの話をすると、勝ったことはないけど公園で一緒に走るのが楽しかったって話すことが多くて。そのときのリョウ君の笑顔は素敵で。私は2人が一緒に走る様子を一度も見たことがないから、いつか実際に見てみたいって前から思っていたの。それに、リョウ君が事故の前のように楽しく走らせてくれる可能性が一番あるのは……あおいちゃんだと思うから」

「愛実ちゃん……」

「リョウ君が10年ぶりにあおいちゃんと走りたいと思った上で走るなら、私は……見てみたい」


 真剣な表情で愛実ちゃんはそう言うと、涼我君のことを見つめます。

 10年間一緒にいるだけあって、涼我君は私とのことを愛実ちゃんに何度も話していたんですね。楽しかったって。そのことに嬉しくなり、胸が温かくなります。

 涼我君も真剣な表情となり、愛実ちゃんを見ます。


「……あおいと久しぶりに走りたい。昔、たくさん一緒に走ったあおいとなら、楽しく走れるかもしれないから」


 涼我君はしっかりとした口調で愛実ちゃんにそう言いました。

 涼我君の想いが伝わったのでしょうか。本題に入ってから、初めて愛実ちゃんの顔に笑みが戻りました。涼我君と私を見て、一度、頷きました。


「分かった。リョウ君とあおいちゃんの競走を見るよ」

「ありがとう、愛実」

「ありがとうございます!」


 私達がお礼を言うと、愛実ちゃんの口角がさらに上がりました。そんな愛実ちゃんを見てか涼我君も笑顔です。久しぶりに涼我君と一緒に走った後も、2人がこういう笑顔になってくれると嬉しいですね。


「ただ、どこで走ろうか。昔は調津北公園で走ったけど……」

「遊んでいる子供達がいますもんね。小さい頃ならまだしも、高校生になって走るのはちょっと……」

「周りの人の迷惑になりそうだよな」

「それなら、学校の校庭がいいんじゃないかな」

「校庭いいですね、愛実ちゃん! 北公園に比べたらかなり広いですし」

「そうだな。放課後は部活で使うから、昼休みがいいな。昼休みなら、生徒が自由に使えるし」

「では、明日のお昼休みに走りましょう」

「ああ」


 ちなみに、明日のお天気はどうでしょうか。スマホのお天気アプリを見ると……調津市は晴れ時々曇りですか。降水確率も0%なので問題ないですね。


「競走だから、スターターとゴールにいる人も必要だな」

「そうですね。愛実ちゃんにはじっくりと見てもらいたいですから……理沙ちゃんと道本君、鈴木君に頼むのがいいでしょうか」

「俺も同じことを考えてた」

「では、私がメッセージを送りましょう」


 私はスマホでLIMEの6人のグループトークを開き、


『突然なのですが、明日の昼休みに涼我君と徒競走をして、愛実ちゃんにその様子を見てもらう予定です。なので、理沙ちゃんと道本君、鈴木君にスターターとどちらが先にゴールしたかの判定員をしてもらえないでしょうか? お願いします。』


 というメッセージを送りました。

 グループトークなので、送信した直後に涼我君と愛実ちゃんのスマホがほぼ同時に鳴ります。2人はスマホの画面を見て「これで伝わると思う」と言ってくれました。また、2人も『お願いします』とメッセージを送っていました。あとは、このメッセージを見た理沙ちゃん達が了承してくれることを祈ります。

 涼我君も愛実ちゃんも勉強道具があるので、今日の授業で出た課題を3人で取り組みながら、理沙ちゃん達からの返信を待つことに。休日に集まって課題をするのもいいですが、こうして放課後にするのもいいですね。

 ――プルルッ!!

 課題をしていると、私達のスマホがほぼ同時に鳴りました。ローテーブルに置いてあるので、バイブ音がかなり響いてビックリしました。

 さっそく確認すると、グループトークに理沙ちゃん達からメッセージが届いたと通知が。


『いいぞ。俺達がやるよ』


『いいわよ。昼休みなら大丈夫だし』


『いいぜ! 麻丘と桐山の走りを見るのが楽しみだ!』


 3人とも、快諾の返事をしてくれました。

 これで舞台は整いました。あとは明日、涼我君と一緒に全力で走りましょう。その様子を愛実ちゃんに見てもらいましょう。今からとても楽しみです!

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