第298話 慌ただしい準備




 シグノアス公爵への返事は無事承諾され、「帝国の大公夫妻にご参加いただけるとはとても光栄です。皆様をお待ちしております」という言葉が使者経由で返って来たのだった。 


 シグノアス公爵主催パーティー開催当日。


 エルノーチェ公爵家は出席する人間が多い関係で、屋敷の中がとにかく慌ただしくなっていた。


「こうしてラナに準備をしてもらうのは久しぶりね」

「はい。今、凄く凄く嬉しいです」

「私も。ありがとうね」

「会場一美しく仕上げます!!」


 私とラナは、ドレッサーの前におり、鏡越しでラナの顔が見える状態だった。


 ラナによって頭のてっぺんから指のつま先まで準備をしてもらっているが、部屋の中にエリンの姿はなかった。実は、本日エリンもパーティーに出席することになったのだ。


 危険なパーティーに参加する上で、ベアトリスへの護衛は必須だった。しかし、あからさまな護衛をつけることは却って逆効果であると考え、密かに用意する必要があると結論が出たのだった。その上で、貴族として変装をする必要があった。


 モルトン卿の参加も考えたが、彼にしろ王国騎士団はシグノアス公爵に顔や名前が知られているだろう。この点を考慮した結果、シグノアス公爵にわからない人材を用意することに決まった。そこで選ばれたのがエリン。彼女は私の専属侍女ではあるものの、肩書は立派な男爵令嬢なのだ。


「い、一応貴族としての所作は身につけてはおりますが……」

「お願い、エリン。貴女の力が必要なの」

「かしこまりました。この身に変えてもベアトリス様をお守りいたします」


 困惑した表情のエリンだったが、頼んだ結果すぐに引き受けてもらえた。

 エリンはモルトン卿の伝手で獲得した招待状を手にして、別の場所から会場入りをする手立てになっている。


「それにしても大公殿下の事前準備に関する力は素晴らしいですよね」

「私もさすがに驚いたわ」


 夜会に参加するとまでは思わなかった私は、パーティーに参加する用のドレスまでは準備していなかったのだ。建国祭もかなり先の話で、今は社交界シーズンでもなかったから。にもかかわらず、レイノルト様は事前にドレスを滞在予定だった屋敷に贈っておいたのだというのだから、感謝が尽きない。


「何よりも驚いたのが……持ってこられたドレスが、どれもいつの間にか仕立てられた新作ばかりだったのよね」

「しかも大公殿下と対のものばかりですよね! 凄く素敵です!!」

(……なんだかしてやられた感が否めないけど)


 もちろん嬉しいのだが、本音を言うと私もレイノルト様を驚かせたい、喜ばせたいという感情があった。


「……何かできることがあればよいのだけど」

「できること、ですか?」

「えぇ。……あんなにたくさんドレスをもらって。何かお返ししないと罰当たりよ」

「遠慮せずにもらいっぱなしにしないのが、最高にお嬢様らしくて好きです」

「普通は返すものじゃないの?」

「そうですねぇ……もちろん人によりますが、中には貰うことが当たり前と捉えて返すだなんて微塵も思わない女性も存在しますので」

「……なるほど」


 確かに人によるな、とラナの話を聞いて納得する。


「でもお返し、ですか」

「えぇ。私には今そこまでお金がないし……エルノーチェ公爵家や大公家のお金を使うのは意味がないと思うの。かといって手作りの贈り物はもう渡してしまったし……」

「大公殿下なら、お嬢様の手作り品なら何度でも喜ばれると思いますけど」

「でもそれじゃ驚きがないのよね……」

「驚き、ですか? お嬢様は大公殿下を驚かせたいんですか?」


 ラナの問いかけに力強く頷く。


「もちろん喜ばせたい気持ちもあるわ。でも、今回私が凄く驚いたから。……それに、レイノルト様の凄く驚いた顔が見てみたいわ」

「それが本音ですね⁉」

「そ、そんな大きな声出さないでラナ!」


 がばっとラナに食いつかれたが、あまりの声の大きさに驚いて振り向いてしまう。


「す、すみません。嬉しくて大きな声を」

「だ、大丈夫よ」

「で、ですが、そういうことなら。このラナ、一肌脱がせていただきたいと思います。恋愛のテクニックをお嬢様にーー」

「…………」

「な、なんですか、お嬢様。その目は」


 自信満々に胸を張るラナに、思わず素の反応が出てしまった。一瞬乾いた笑みを浮かべてしまったが、ラナにそれが見つかってしまう。


「う、ううん」

「気になることがあるのならおっしゃってください!」

「………べ、別に馬鹿にするわけではないのよ。ラナは、その。恋人がいないんじゃ」

「………」


 その瞬間、不思議な間が生まれた。


「待って。待って、待って。ラナ、その反応は!」

「え、え? な、何ですか。何もないですよ」

「あるのね。恋人ができたのね?」

「き、気のせいです。私別に職場恋愛なんてーー」

「職場恋愛なのね⁉」

「あっ」


 まさかの展開に、今度は私が大きな声を上げてしまった。その瞬間、部屋がノックされカルセインが中を覗いた。


「どうかしたか、レティシア」

「い、いえ。問題ありません」

「そうか。何かあったらすぐに言ってくれ」

「はい」


 ぱたんと閉めて去っていくのを見ると、安堵するとともにラナに聞いた。


「ま、まさかお兄様ーー」

「ち、違います! そのようなことは決してありませんお嬢様!」

「では他の人なのね………」

「そ、それは」


 少しずつ呼吸を整えると、冷静さが取り戻された来た。


「………ラナ。もし話したくなかったら良いけど、私に話してもよかったら夜会の後に教えてちょうだい」

「………………わ、わかりました」


 衝撃的な事実を知ると、私は落ち着かない心のまま準備を進めるのだった。

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