第287話 偽名令嬢と無表情な騎士(ベアトリス視点)
明らかな偽名だが、それは私の本名がベアトリスだとわかればの話。
(……城下街でもない上に貴族でもないなら、大丈夫なはずよ)
どこか楽観的な考えだったが、想像以上に騎士オルは私の名前を受け入れていた。
「プティ様。改めまして、先日はお助けいただきありがとうございました」
「……いえ。私こそ。オル様、先程はありがとうございました」
(……自分で言った名前だけど、違和感が酷いわ)
真顔でプティと呼ばれるこの状況に、吹き出さないところを褒めて欲しいと感じるほど、非日常な出来事だった。
感謝を伝え合うと、オルは無表情のまま私に誘いをかけた。
「プティ様。この後お時間はございますか」
「……」
(ないけれど、こういう時はあると答えるべきかしら……)
こんな風に言われたことのない私は、間を空けて考えてしまった。
「…………いいえ」
「もしよろしければ、この後お話でも」
(えっ……お話? お話って……?)
お茶に誘われるならわかる。ご令嬢同士でも行う上に社交場でも耳にするから。
(お話……これまた随分固い表現ね)
その上表情まで固いままなので、なんだか圧迫されているような気もした。じっと見つめられているが、睨まれていると誤解してもおかしくないほど圧が強かった。
「……はい」
圧に負けた私は、何とか微笑みを保ったまま頷いた。
「ではどこか話せる場所に……昨日のお店とかは」
(!! それは避けなくては……!)
何せ”プディング“と書いてあるのだ。勘ぐられても困る。
「ケーキは、昨日食べましたので……紅茶が飲める他の場所が良いですわ」
「あ……わかりました」
了承を得られたからか、圧が薄まった気がした。
こうして私はオルと名乗る騎士と、時間を過ごすことになったのであった。
適当なお店に入ると、着席して飲み物を頼んだ。
「昨日に続き今日もこの街にいらしているようですが、何か用事があるのですか?」
「いえ、そういうわけでは……」
(……これくらいなら本当のことを言っても問題ないわよね)
最初は圧に負けたこともあるが、適当に会話をして時間を潰そうと思っていた。リリアンヌに言われた時間の問題もあったから。
しかし、目の前に座る騎士の視線はやけに真剣で真っ直ぐとした目をしているので、ごまかそうという気が失せてしまう。
「その……普段が家に籠っているばかりなので。たまには外に出て来るよう家族に言われたのです」
「なるほど」
仕事という言葉は、自分の格好からはあまり言わない方が良いと判断しての言葉選びだった。
「……オル様は? 昨日は騎士のお姿でしたが今日は私服ですよね」
「あ……」
会話の基本として、聞かれたら自分も聞き返すこと。これは社交界で過ごす中で身に付けた力だ。
オル様は聞き返されることは想定されてなかったのか、どこか恥ずかしそうな反応をしていた。
「実は……私も似たような理由でして。最近は仕事ばかりしていたので、たまには息抜きをするように部下に言われたもので」
「……」
(びっくりした……私と全く同じだわ)
まさか同じような人に会うとは。少し驚きながらも、彼の話しに耳を傾けた。
「息抜きなんていきなり言われても、自分はしたことがあまりなかったので……気が付いたら親しみのあるこの街を歩いていました」
こんなことを感じてはいけないと思うのだが、反射的に浮かんでしまった。
(……確かに、息抜きとは無縁の表情だわ)
そう思うとおかしくなってしまって、思わずくすりと笑みをこぼしてしまった。
「……わかります。突然息抜きだなんていわれても困りますよね」
「プティ様も、ですか?」
「……はい」
(不意打ちのプティは笑ってしまいそうになるわ……)
その上オル様が驚くほどに表情筋が動いていないのが、笑いを誘う力を倍増させた。それを何とか消すように言葉を続けた。
「……息抜きと考えるから難しいのかもしれませんね。もっと簡潔に考えるべきなのでしょう」
「簡潔に……」
「例えば、仕事に無関係の予定を埋めるとか」
「なるほど。買い物をする、観光をするみたいにですね」
「そうです」
何だろう。納得して案をもらえて嬉しそうな声色に聞こえるのだが、少ししか動かない表情は。だが少しは動くのだ。その違いを探すのが、楽しくなっていた。
(あまり人の顔を観察してはいけないのだけど……凄く整った顔立ちなのよね。いつまでも見ていられるほど)
改めて観察してみれば、何かの既視感がうっすらと浮かんたがすぐに消えてしまった。
「プティ様は行かれたい場所はありますか?」
「……そうですね」
いざ聞かれてみると、すぐには出てこなかったが無いわけではなかった。
「……時計台」
「時計台、ですか?」
「えぇ。実はまだしっかりとは行ったことがなくて」
「そう言えば……自分も」
「あら。そうなんですか? それなら今度一緒に行きますか」
(なんて、ふざけた話ーー)
「是非」
「!」
話の流れで適当に口から出た言葉だったが、まさか頷かれるとは思わなかった。そのため凄く驚いたが、何よりも驚いたのは了承をもらって喜んでいる自分がいることだった。
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