第285話 三度のため息(ベアトリス視点)
冷めた目で男を見下ろしている間に、追っていた人間が無事追い付いた。
「くそっ、離せ!!」
「運が悪かったな」
騎士の姿をした青年は、男の腕を取り地面へと押さえつけていた。そして、こちらを向くと会釈をしながら感謝を伝えた。
「……ご協力ありがとうございます」
「いえ」
協力したわけではないのだが、そういうことにしておこう。そう思いながら私も会釈を返した。
「隊長、ご無事ですか!!」
「あぁ、無事に捕まえた」
「さすがです」
「いや……この者を連行する」
自分の手柄ではないという雰囲気を感じたが、説明よりも優先すべきことを選んだように見えた。
「はい、参りましょう。お嬢さん、少し失礼」
「あ、い、いえ」
逃亡劇は街中の注目を集めていたようで、多くの人が様子を見に近寄っていた。私のいる方向とは逆に行くようで、追っていた騎士と後から来た騎士の二人で男を連行して行った。
(……あら、護衛の方が見ているわ)
突然のことだったが、護衛としてついてきた二人も慌てて近くまで来ていた。
(私なら大丈夫ですわ)
笑顔で無事を伝えると、何事もなかったかのように休息を再開した。集まっていた人々も、続々と本来の役目を果たしに解散していく。
(……?)
何か視線を感じて振り返れば、そこにはご令嬢かはわからないが身なりの整っている少女がじっとこちらを見つめていた。
(……さすがに年下の知り合いはいないわ)
社交界で派手に動いていた時でさえ、親しい友人は作らなかった。ましてや年の違う知り合いなど覚えがなかった。
人違いだったのか、少女はすぐさま目をそらして方向転換をした。
「……気にしすぎね」
ふうっと息を吐いて切り替えると、街の中へと進んでいった。すると、あるスイーツ店が目に入る。
(そういえば……最近ケーキは食べていなかったかもしれないわ)
リリアンヌの言葉通り仕事に全力を注いでいたので、以前よりお茶の時間も減っていた。そのため、甘いものを取る機会も必然的に少なくなっていたのだ。
中に入るかどうか、立ち止まって少しだけ考える。
(……これも息抜きよね)
そう答えを出すと、店の中へと入っていった。
「いらっしゃいませ」
今は貴族としての格好はしていないため、目立つことなく一人の客として扱ってもらえた。それが新鮮で、何故か少し嬉しかった。
(どれも美味しそう…………せっかくなら、リリアンヌにも買っていこうかしら)
視界に映るケーキがどれも美味しそうで、すぐに決まらずにいると、店員の方が優しい声で話しかけてくれた。
「ゆっくりで構いませんよ」
「あ……ありがとうございます」
幸いにも後ろに並んでいる人はいなかったので、悩むことができた。
(よし、決めたわ)
リリアンヌの好きなケーキは知っていたため、それをまず頼む。
「フルーツタルトを一つ」
「はい」
「それとガトーショコラを」
「かしこまりました」
自分の分で悩んでいたが、今日の気分で適当に決めた。
「あっ」
(カルセインの分も買わないと)
「あと、モンブランもお願いします」
「はい」
「……あと、こちらのホールケーキを二種類いただけるかしら?」
「かしこまりました」
取り敢えずは三人分買って帰ろうと思ったが、使用人達へ差し入れも買っていこうと追加で注文した。
その瞬間、お店の扉が開いた。
「ではお会計となります」
「はい」
持っていたバックからお金の入った袋を取り出そうとすれば、後から入ってきた人がお会計に割り込んできた。
「えっ」
「こちらからお願いします」
「……かしこまりました」
驚きながら右を向けば、そこには先程の騎士の人が立っていた。
「先程のお礼をと思いまして。もちろん何か他にもご用意を」
「大したことはしておりませんので。それに、ここの会計も不要ですわ」
「いえ、是非とも払わせてください」
「本当に、大丈夫ですので……」
店の中で揉めるのはよくないと判断した私は、納得しないながらも受け入れることにした。
「……わかりました」
ふうっとため息をつきながら、自分が一度折れることにした。騎士の目は真っ直ぐで、とても譲ってくれるようには見えなかった。
(これは意思の固い人だわ……)
そう思いながら店員さんにお支払を済ませると、ケーキを渡された。
「こちらケーキとなります」
「お持ちします」
「あ、えっと、大丈ーー」
まさかそこまでされるとは思わず、困惑している隙に、ケーキを人質に取られてしまった。
「またのご来店をお待ちしております」
「ありがとうございました」
店の外に出ても、ケーキを返してくれる気配はなさそうだった。
「馬車はどちらでしょうか」
「……向こうですけれど」
「では参りましょう」
(……困ったわ。これはお礼として受け取るべきなのかしら)
自分としてはそこまで大したことをしたつもりはないので、ため息をつきながら頭を回転させていた。すると、騎士の男は立ち止まって深く一礼をした。
「先程はお助けいただき誠にありがとうございました」
「あっ……えぇと」
「本当に助かりました。このご恩はケーキだけでは返しきれません」
「そこまで大したことはしておりません」
「いえ。追っていた人物は、我々にとって逃してはならない重要人物だったので」
「……お役に立てただけで十分ですから」
「それでは私の気が済みません。どうかお礼を」
話が大きくならないように何とか受け流そうとするも、騎士の愚直な部分が厄介なことに邪魔をする。
(どうしましょう。遠回しにお礼は要らないと言っているのに、伝わらないわ)
悩んだ結果、折り合いをつけようとケーキだけをもらうことにした。
「お礼はケーキで十分です。……過度なお礼は私が負担に感じますので」
「!」
(時にははっきり言うことも必要よね……)
本日三度目のため息をつきながら、どうにか話を片付けようとするのだった。
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