第256話 破滅の始まり
〈マティルダ・ネイフィス視点〉
ガチャン!!
茶器が床へとひっくり返って落ちる。込み上げてきた焦りと怒りが消化できなくて、物へとあたる。
「どうして……どうして誰一人として報告しに帰ってこないの!!」
「お、お嬢様落ち着いてください!」
「おやめください、マティルダお嬢様!」
侍女はその行動を止めようとするが、その声は一つも自分の耳に届かない。
確実にエルノーチェ嬢の命を奪うために、必要以上の数と腕のたつ刺客を用意した。それなのに、誰一人として報告に戻ってこない。
「どうなっているのよ!」
時刻は夕刻。
既にエルノーチェ嬢の死亡報告を耳に入れてもおかしくないはずだった。にもかかわらず、大量にいたはずの刺客は一人も私の元に戻ってこなかった。
「落ち着かれてください、お嬢様。もしかしたら既に任務を遂行して、退屈しのぎに遊んでいるのかもしれません」
「そうです。あれほど腕のたつ刺客を用意したんですから。無事にいられる方が不可能というものです」
「そう……そうよね」
侍女の言葉を借りて心を落ち着かせると、再び待つことにした。
(早く……早く帰ってきなさいよ!!)
私がずっと機嫌を悪くしたせいで、侍女は一日中一人も動かずにいた。
そして突然扉が開いた。
「何っ!!」
頭がもはや回らなくなっていた私は、無礼な侍女が間違えて音を立てて部屋を開けたのかと思って、不機嫌なまま振り返った。
しかしそこには、その不機嫌さとは比べ物にならないほど怒りの形相を浮かべた父が立っていた。
私が父の来訪を理解し名前を呼ぶ間に、父はつかつかとこちらに歩み寄ってきていた。
「お父さ」
パンッ!!
「……え?」
突然、父から平手打ちが飛んできた。あまりの勢いに座り込むもの、侍女は一人も近寄ってこない。何が起こったかわからない私は、ただ唖然としていた。
異様な空気が流れ始めた。
「何てことをしでかしたんだ、マティルダ!!」
「お、お父様……?」
父の方に視線を向ければ、その奥の扉の前で涙声で言葉をこぼす母親がいた。今にも倒れそうな母を兄が支えている。
「……どこで育て方を間違えたの?」
その声が部屋に響くが、意味が理解できない。
「マティルダ。お前を明日、帝国騎士団に引き渡す。皇帝陛下より正統な裁きを受けろ」
「そんな、どう、して」
「わからないのか? わからないとでも思ったのか」
父の言葉がまだ理解できずに、頭が真っ白になりながら何とか言葉を振り絞って出していた。だが父の怒りは到底収まらず、とても娘に向けるものではないと思うほど強くにらまれていた。
「……お前の企みは失敗した。大公殿下によって証拠も押さえられている」
「!!」
「……まともな子だと思っていたんだがな」
真っ白な頭から、さらに血の気が引いた。父の一言を皮切りに、母は泣き出してしまった。その光景を、私はただ見つめることしかできなかった。
◆◆◆
〈レイノルト視点〉
レティシアに全てを任されてからは、迅速に行動をした。刺客は金で雇われていた集団だったので、口を割るのは早かった。命と引き換えに、依頼主とのやり取りに関する証拠を渡させた。
証拠を揃えたので、その日の内にネイフィス家を訪れた。
急な訪問に嫌な顔をして出迎えられたが、普段関わりの少ない自分の登場にネイフィス公爵は戸惑いを隠せないようだった。公爵夫人と並んで席に着くと、すぐに話を始めた。
「何でしょうか、大公殿下」
「回りくどいことはしません。ただ事実だけを述べます」
「はぁ」
「公爵。貴方のご息女であられるマティルダ嬢が、私の婚約者に明確な殺意を向けました。私はこれを殺害未遂とし皇帝陛下に、厳格な裁きを要求します」
「は……?」
「な、何を仰ってるんですか……?」
夫妻は信じられないという表情を向けたが、容赦なく証拠を突きつけた。それは弁明しようのない確固たるもので、状況を覆すことは不可能だった。
しばらく沈黙が続いたが、ことの重大さと自分の娘がやってしまったことに理解をすると、すぐさま謝罪を始めた。
「大公殿下、大変申し訳ありません!!」
「申し訳ありませんっ」
「謝罪をいくらされても、私は考えを変えることは一切ないということだけお伝えします。……何せ、私の最愛の人の命を奪おうとしたのですから」
「「!!」」
絶望の表情を浮かべる二人だが、情をかけるつもりは一切ない。
「ただ、計画、実行はご息女のみで公爵に関わりがないことはわかっております」
「で、殿下」
「ですが、親としての責任はあるでしょうね」
「で、殿下!!」
伝えるべきことを伝えきった私は席を立った。
「公爵。せめて残された責任は、果たしてください」
そう一言を残して、ネイフィス公爵邸を後にした。
その後、偵察者からの話では、ネイフィス公爵令嬢は公爵によって軟禁され、部屋から出ることを許されなかったとのことだった。
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