第165話 重なる影
思いがけない彼の登場は、その場の誰もが驚いた。特に兄であるオーレイ侯爵は目を見開いていた。
「お前が……どうしてここにっ」
「侯爵家の現状と不在を聞いたからな。状況からあんたが向かうとしたら俺がいた場所しかない。すれ違いになったのは嬉しい誤算だっただろう?」
「っ、放せ!」
「その刃物を放す方が先だ。腕を折られたくなかったら今すぐ手放せ」
「誰に向かって口を!」
「俺は本気だぞ、わからないのか?」
かつてないほど低く牽制するようなリトスの声は、嘘でないことを感じさせた。少し離れた距離でも、怒りは感じられた。
「自分の意思で放せないなら、俺が折って放させてやろうか」
「や、やめろっ」
リトスが掴む手の力が強まると、オーレイ侯爵も本気だと感じたのか慌てて刃物を手放した。それを逃さず、すかさず誰もいない場所へ蹴飛ばした。
そしてリトスさんが手を放すと、控えていたライオネル陛下の護衛が両脇に立ちオーレイ侯爵を捕らえた。
「……っ」
オーレイ侯爵の表情は何一つ納得していないという顔で、反省するどころか憎悪に満ちた眼差しをリトスに放っていた。
「お前の……せいだ」
「……」
「いつも、いつもいつも! なぜ私の邪魔ばかりする!!」
「……」
「弟だというのに、なぜ兄を立てられない! 自分のことばかりを考え、優先し、家のことも私のことも何も考えなかった。……にもかかわらず、ここにきてまだ邪魔をするのか、呆れたものだな。正義感を振りかざしにきたのか? お前はいつまでもどこまでも私を利用するんだな」
言われ放題のリトスだが、言い返す様子は見られなかった。
(……あの表情は)
似ている。リトスの顔は、何を言っても無駄だとわかっている表情だった。まるでかつての自分のように。
何を言っても届かない。無駄だとわかっているから、口にする必要などない。だから好きなだけ言わせれば良い。
かつての私もそう思っていた。
けど、好き放題言われ続けてできる利点などない。むしろ尊厳ばかりが削られて、心が知らない内に苦しくなるのだ。
それを誰よりも知ってるからこそ、黙ってはいられなかった。
「お前は本当にっ」
「可哀想なオーレイ侯爵」
「姫君」
「なんだと?」
「可哀想だと。事実そうではありませんか。ご自身で努力して苦難の道を乗り越え、リトスさんと同等あるいはそれ以上に優秀になるという選択肢と輝く未来を捨てた上に、弟に責任転嫁をし続ければ上手くいくという浅はかな考えを信じてやまないんですもの。誰かに何かに責任転嫁をし続けて、自身は何も磨かない。これのどこが上手くいくのでしょうか」
唐突な言葉を理解できていないのかわからないが、口を開けながらぱくぱくとさせていた。反論したいのに言葉が思い付かないのかもしれない。そんな様子だった。
「そんな浅はかな考えしかできない侯爵が、可哀想で可哀想で……無様で仕方ないですわ」
「なっ!」
「……」
「何事にも努力が必要なことは、今時子どもでもわかります。そうだというのに、侯爵はその年齢になってもわからないご様子ですので。その上最後まで責任転嫁をするものですから。みっともないことこの上ないでしょう」
「貴様っ!」
「……姫君」
(ここからはどうか貴方の言葉で)
リトスさんの切実な眼差しにはこくりと頷くと私は口を閉じた。
「……兄上」
「なんだっ!」
「どうして立てられるような人になってくれなかったんだ。わずかな小さな努力もできなかったんだ」
「っ」
「……貴方は道を間違い続けて、俺の言葉も周りの声も聞こうとしなかった。この結末は、貴方の傲慢さが招いた自身の行動の結果だ。誰のせいでもない、兄上自身の。……少しでも理解ができるなら、せめて最後ぐらい自分の責として償ってくれ。貴方にも……矜持はあるだろう」
「……っ」
その言葉が胸に響いたかはわからない。だが、聞き終わった侯爵の眼差しからは憎悪は薄れていた。どうかリトスの切実な思いが届くことを願うばかりだ。
「……連れていけ」
ライオネル陛下の静かな声が響くと、オーレイ侯爵は護衛に連れられその場を後にした。
ライオネル陛下はリトスに近付いて肩に手を置いた。
「……陛下、減刑は望みません。どうか全て償わせてください。足らなければ俺も」
「何を言う。お前に非はなく、下せる刑罰もない」
「……はい」
「今まで仲をどうにかしようと奮闘していたのを私は知っている。今回の件、リトスの責を追求する者など、どこにもいないだろう」
「そう、ですか」
「特に被害者もな」
そうこちらに視線を向けると、リトスは途端に申し訳ない表情をこちらに向けた。
「! 姫君……、本当にうちの馬鹿が愚かな真似を」
「いえ。収束致しましたから。お気になさらないでください」
「ですが……」
「代償はきっちりご本人に払っていただきます」
「そう、ですか……」
にっこりと微笑むと、さすがのリトスも引いてくれた。
「陛下、侍女は」
「私の護衛が救出した。負傷箇所もなかったが、気を失っていてな。護衛つきで馬車で休ませている」
「お心遣い感謝致します」
事態が収束したと思った矢先のことだった。
「レティシア!」
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