第164話 暴走する愚者
確認も取らずに弟の婚約者だと決めつける目の前の人間の思考回路が一つも理解できなかったが、誤解されるようなことをしてしまったのかと一瞬自分の言動を振り返った。
(……私に落ち度があるのなら申し訳ないけど、婚約者として挨拶をしていないのだからこの人の言い分はやっぱりおかしい)
なぜ誤解をされたのかと少しだけ頭を抱えそうになった時、周辺から聞こえた大きな物音と男性の声で思考は遮られた。
「ぎゃぁっ!」
オーレイ侯爵は途端に後ろを振り返って二階に繋がる階段を見た。
交渉材料であるラナがいるのは明らかな反応だった。彼女に危害が加わらないことを願いながら、階段の方に注目する。
緊張が走る中、階段から数名男性が転げ落ちてきた。
「ゼフ!!」
そう呼ばれた人物がオーレイ侯爵側の人間だとわかると、作戦が成功したのがわかった。
作戦といっても、至ってシンプルなもの。私がモルトン卿とオーレイ侯爵又は交渉人と話をしている間に、ライオネル陛下と護衛の方々がラナを探しだすというものだった。
「誰だ!」
声を荒げながら階段の先を睨み付ける侯爵。その視線の先には彼が全く予想しないであろう人物が立っていた。
「私が名乗ることを所望か、オーレイ侯爵」
「!! な、なぜ貴方がここに…!」
ライオネル陛下が姿を現すと、ありえないと言わんばかりの表情でそちらを見つめていた。
「侯爵と同じさ。弟に会いに来たんだよ」
「お、弟……」
「最も目的は違ったみたいだがな。他国に来てまで引きずり落とそうとするその執念深さは評価しよう。あと、あまりにもお粗末かつ愚かな計画とも呼べない行動もな」
「なっ!」
溢れんばかりの静かな怒りを感じとりながらも、本人はそれに全く気付いていない様子だった。
「侍女は救出した。貴公の交渉材料はなくなったという訳だ」
「陛下、お言葉ですが私と弟の婚約者の問題に割って入るのはあまりにも過干渉なことです。無粋だとは思わぬのですか」
「オーレイ侯がここまで愚かだとはな。なぜそういう思考回路になったか興味もないが、貴公が交渉しようとした人物は貴公の弟ではなく私の弟の婚約者だ。それでもなお、私は無関係だと?」
「まさか、そんなわけ」
「あります。私はレイノルト・リーンベルク大公殿下の婚約者であってリトスさんの婚約者ではありません」
「……」
立ち上がってオーレイ侯爵の背中に向けて事実を突きつける。彼の言葉は止まった。
「勝手な勘違いと思い込みでここまで大きな問題を起こしたこと、どう落とし前をつけるつもりだ?」
「……そんなはず、ない」
「現実を見ろ。彼女はリトスの婚約者ではない」
「違う、そんなはず……」
オーレイ侯爵はゆらりとこちらを振り向くと、目があった。
「貴様、騙したのか? この私を」
「先程言われてから考えたのですが…私はリトスさんの婚約者だと言葉にしたことは一度もありません。完全に侯爵の勘違いだと思われます。それに」
言葉の節々からオーレイ侯爵の本性が露になっていく。
「騙したというのであれば侯爵は嘘をいくつも並べられましたよね。あの日の報告がどれも真実でないことは察していましたが、事実で考えれば侯爵のやり方は酷く不快です」
「黙っていれば小娘が」
「その小娘は貴方よりも爵位の上である公爵家の人間です。貴方が利用できるような人間ではありません。そこも勘違いなさらないでください」
鋭い目線で見ながら、堂々とした態度で言い放つ。わなわなと震える侯爵をみながら、彼が現実を受け止めることも、しでかした問題に向き合う気がまるでないことも感じ取った。
それは当然ライオネル陛下も同じことで、怒りの眼差しには段々と呆れの感情が入り交じってきていた。
「オーレイ侯爵を捕らえよ。貴公のことは帝国で裁くとする」
「なっ、お待ちください陛下! なぜ私が捕まるのです!」
「わからぬか。貴公は帝国の王族に準ずる存在に危害を加えた。その上考えなしに国際問題を引き起こそうとした時点で反逆者として裁いても何もおかしくはない」
「それはっ」
「未遂だから罪にならないとほざくつもりか? 今回の件に関しては未遂でもなんでもない」
「陛下!!」
悲痛な叫びに聞こえるが、全ての非は侯爵にあるので同情の余地はない。陛下が命じた通りに、護衛の内二人がオーレイ侯爵に近付くが、彼は体を震わせていた。
「ふざけるなっ、ふざけるな!!」
そう声を荒げたと思えば、隠し持っていた刃物を取り出して近付いきた護衛に向けた。かと思えば振り回し始める。
「お嬢様」
「モルトン卿」
モルトン卿がすかさず背後に隠すものの、オーレイ侯爵の暴走は止まらない。
「……貴様のせいだ、小娘!」
目があったかと思えば、こちらに突進してきた。モルトン卿が構えたかと思えば突然隣を誰かが物凄い勢いで通りすぎる。
「いい加減にしろ」
そこにはオーレイ侯爵が刃物を持つ腕を力強く掴みながら怒りを露にするリトスさんが立っていた。
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