第145話 別れと感謝
こうして、社交界で生きると決めた私は自立して家を出る理由がなくなった。貴族でいることを選んだ故に、今日は食堂に退職する旨を伝えに来ていた。
「長らく休んだ上に、退職することになってしまい申し訳ありません」
「いいんだよ、シアにも事情があったんだろう?」
「……はい。あの、マーサさん。これ、ほんのお気持ちですが」
「シア……これは受け取れないよ」
迷惑料として少しばかり包んだものを渡すと、マーサさんは困った表情を見せた。
「受け取って下さい。……ずっと黙っていましたが、私本当は」
「わかってたよ。貴族なんだろう?」
「えっ」
「何となく、勘だけどね。……ここに来て働き始めたばかりの事を覚えてるかい? お金が必要だと言う割に身なりはそれなりにしっかりしていた」
「一応……平民のような格好だったと思うのですが」
「決め手は肌かな。驚くくらい、綺麗な手だったからね」
「……なるほど」
全てをわかった上で、マーサさんは私を雇ってくれていたのだ。その事実に胸がじわりと暖かくなる。
「でも面接での様子は至って真面目でさ。普通に人材として欲しいと思ったから採用したんだ」
「ありがとうございます。……ここに来れて、ここで働けて本当に幸せでした」
「そう言ってもらえると嬉しいねぇ」
思い出を語った後に、ロドムさんやサーシェなどお世話になった人達に挨拶をした。マーサさんには何とか説得して迷惑料を受け取ってもらった。
「シア、うちの味が恋しくなったらいつでも来るんだぞ」
「そうさ、今度は家族を連れてきな。いつでも歓迎するからね」
「本当に……何から何までありがとうございました。お世話になりました、ロドムさん、マーサさん」
思い出を浮かべながら、別れに涙ぐんで頭を下げた。名残惜しい思いを残しながら、食堂に背を向けるのだった。
食堂を後にすると、そのまま城下へと向かった。装飾店の前で立ち止まると、呼吸を整えた。
(……一人で入るのは初めてだから、緊張する)
装飾店のような貴族らしい店はむしろ本能が避けてきたこともあって、尚更緊張していた。固い動きで足を踏み入れると、笑顔で迎えられた。一人で見て回る事を伝えると、そのまま商品を見始めた。
(この時間帯は人が少ないのかな。……というより、そもそも足を運ばないのかしら?)
人の目線を必要以上に気にせず選べるかとに安心しながら、ネクタイを手に取っていた。
(……うーん、やっぱり高いよね。予算的に厳しいかな)
値段を見ながら考え込む。
(三人分買うとなると、どうしても高価なものは買えないかも……)
実は今日、ベアトリスとカルセインとリリアンヌへのお礼の贈り物を探しに来ていた。数えきれないくらいの恩がある彼らに、言葉だけで済ませるのは失礼だと感じたことが理由の一つ。
そして予算が存在するのは、私が働いて得たお金から出すから。自立して生活する為のお金として貯めていたものを、ここで使うと決めたのだ。
(それにレイノルト様にも何か贈らないと。あんなに良いドレスを頂いたもの)
そんなわけで、四人分の贈り物を考えることになった。
(レイノルト様は今回も手作りが良いのかしら……?)
うーん、と悩みながら商品を元に戻した。長考しながらも、何とか予算にあったプレゼントを見つけるとお会計を頼んだ。
荷物になってしまうため、後日自分宛に届けてもらうことにすると、お礼を告げてお店を出た。
「ほら、やっぱり凄く良い人だったじゃない」
「本当にね。礼儀正しいと言うか、品があると言うか」
「じゃあやっぱりあの悪評は嘘だったのね……」
「所作も美しかったわ……」
退店後、店内で自分の話をされているとは微塵も思わず、そのまま前にレイノルト様と訪れたアンティークのお店に向かった。
その道中に珍しく簡易的なお店を開いてる人がいた。売り手と思われる男が、シートに座り込みながら、商品が並んでいる。そこに並べられているのはスノードームや茶器などの雑貨だった。
(……あまりいい雰囲気じゃなさそう)
目線を合わせないように通りすぎようとすると、ローブを纏った人が商品を見物していた。
「おぉ、いらっしゃいませお客様」
「随分変わったものを売っているな」
「ここにある物はどれも一級品ですよ」
ローブを纏った男性が手に取ったのは、スノードームだった。
「さすがお客様。お目が高い! そちら一品しかない貴重な物なのですが今でしたら金貨一枚でお買い求めできますぞ!」
「そうなのか」
(金貨一枚!?)
あまりのぼったくりに驚くものの、男性は気にすることなくスノードームを眺めていた。
(あの男性……恐らく貴族よね。だとしたら、価値がわかってないのも頷ける)
少し不安げな気持ちで近づくと、男性は即決したように購入を決めた。
「よし、店主。これを買おう」
「お買いあげ、ありがとうございます」
あぁっと思いながらも、他人の事なので知らぬふりをして通りすぎれば良いのだが、スノードームという自分が好きなものを悪用されていることで反射的に、声をあげてしまった。
「あの、あまりにもぼったくりではありませんか」
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