第131話 壊れた幻想
婚約解消。
その言葉が会場内に響き渡り、浸透していく。
キャサリンの悲願であって、自身の全てをかけて得た王子妃という席。その席は、たった今空席になった。婚約発表を正式に行っていなかった事を踏まえると、結局キャサリンはその席に座れなかったという事実を表していた。
(悪事を尽くして手に入れた席は、座る前に取り上げられた。……当然の結末ね)
厳罰に処す、処罰を待て。その言葉よりも、婚約解消の四文字の方かキャサリンには重く響いた。再考を懇願していた声は止み、縋る姿勢も固まって動かなくなった。そう思えば、瞳がカッと開いて激しく揺れ動いていた。
その様子を国王陛下は終始、誰よりも呆れた視線で見ていた。父は状況を整理することに精一杯のようだった。
その二人に注目が一層集まると、キャサリンは肩を震わせながら声を響かせた。
「…………なりません、婚約解消だなんて」
その眼差しは、絶対的な意思を持つもので面倒なほど力強いものだった。ゆらりと姿勢を正して言葉を続ける。
「エドモンド殿下の婚約者に相応しい者は、私しかいませんわ。絶対に。それなのに、解消? ありえませんわ、そんな戯言を」
言動や態度は間違いなく悪化しているが、更に確実に断言できるのは、もはやキャサリンは正気ではなかったということだ。
「……誰に向かっての発言か、理解しているのか。キャサリン・エルノーチェ」
「陛下、実際そうではありませんか。その目の前にいる、いつも癇癪を起こしてばかりで、わがまま放題の娘などには到底務まる席ではありません。他も同じです。無能な令嬢ばかりでとてもとても……。その妹の異常な性格を更生し、能力の高さを証明した私こそが!! ……エドモンド殿下の婚約者として、いえ。この国の未来の王妃として相応しいのですわ!」
自分の作り上げたシナリオこそが正しく、それが全て。幻想に囚われてシナリオ以外を受け入れることを許さなかったキャサリンは、幻想に沈んだ。
「無能な令嬢って私達のこと……?」
「そんな風に思われてたなんて」
「遂に本性を現したな」
「現実を見れないだなんて、可哀想な人ね」
キャサリンの正気をなくした発言に、周囲の貴族達からのざわめきが大きくなる。取り巻きだった令嬢方も、心なしか傷付いているように見えた。
「口を慎め。汚らわしい妄言はこのような場で披露するものではない。そして、私の言葉を無下にする態度は、不敬罪にも問わなければならないな」
「へ、陛下!!」
「不敬罪? 王子妃の私に不敬を問えるものならしてみればいいわ!」
「……衛兵、この二人を王城へ連行せよ。この披露会が終わり次第、罪を裁くとする」
王家の衛兵が数人入って来ると、二人は両腕を持たれる。
「離しなさい!! 私を誰だとおもっているの!」
「陛下! どうかお考え直しを!!」
最後の最後まで叫びわめき散らかした二人には、品の欠片もなかった。その去り際こそ、自白を表しているようなものだった。
「証拠に加えてあの姿、本当の悪女はキャサリン様だったのでは?」
「最後までおかしいことしか言わない人だったな」
「あれが本性か。随分酷いものだ」
観衆は、キャサリンという偽りをいくつもまとった人間の本当の姿を目の当たりにした。そのざわめきの波はどんどん大きなものへと変わっていった。
扉の閉まる音から、胸を撫で下ろすように大きく息を吐いた。
ようやく問題が片付いた。
と言っても、八割以上目の前に立っている国王陛下の手腕のおかげだった。感謝の気持ちを改めて伝えようとしたその時。
「陛下────」
「素晴らしい……」
「……?」
その言葉を一度呑み込む羽目になったのは、それまで殆ど喋らなかったエドモンド殿下が口を開いたからであった。
怪訝な眼差しで殿下の方に向き合いながら、様子をうかがう。
「素晴らしい!」
ポツリと呟いたかと思えば、満面の笑みで声をあげると、何故かこちらに近付いてきた。
「王子妃の器として相応しかったのは、キャサリン嬢ではなくレティシア嬢、貴女だったか」
「……え?」
「理路整然とした話に加えて、何にも動じない態度。上にたつ者に必要な要素を、いくつも持っている」
「……お、お褒めにいただきありがとうございます」
「あぁ。レティシア嬢、貴女を王子妃として迎えよう」
「………………今、何と」
「私が必要とするのは、聡明で品のある王子妃でありながら、堂々とした姿である国母だ。レティシア嬢、貴女はそれになれるだろう」
エドモンド殿下の予想外すぎる行動に、疑問符が追い付かない。姉達も驚きのあまり、停止している雰囲気を背中から感じとる。
「レティシア嬢、私と婚約しよう」
私の評価が変わりつつある貴族の中には、その言葉を良いものとして捉える声があがりはじめた。
エドモンド殿下の優しげに微笑む姿からは、何も予想ができない。それが逆に恐ろしいと感じてしまう。上手い断りの言葉を探すも、どこからの焦りか頭が回らない。
「レティシア嬢、隣に」
断られるという選択肢のないエドモンド殿下は笑顔のまま、私の腕を引こうとした。
「で、殿下────」
パシッ。
その手に触れられることはなく、私は背後に小さく引き寄せられた。
「お止めください、エドモンド殿下。彼女は私の婚約者です」
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