第120話 小さな葛藤と殻破り



 リリアンヌお姉様達が挨拶をしきるのに、当然時間はかかる。静かに壁際に立っている間、喉が渇いてきた私は飲み物を取りに向かった。


(頑張って誰かと会話することをしてみないと……いつまでも甘えていては、結局変われてないままだもの)


 そう小さく葛藤しながら、ドリンクコーナーに近付く。


(あ! 緑茶がある。お姉様、しっかり甘いものを用意して下さったんだわ)


 更に苦いものの二種類用意されているのが遠目でわかった。この披露会で一人でも多くの人に手を取ってもらえるよう、期待を抱きながら飲み物を選ぼうと更に近付いたその時。


(……先客がいらっしゃったわ)


 先客でいらしたのは、自分と比べて少し身長が低いご令嬢。一人、飲み物を前に悩む姿が見られた。


(この会場では珍しく一人のご令嬢、だよね………………ど、どうしよう)


 話しかけるか否か。戸惑いを感じながらも、どうすべきか悩んだ。あらゆる方面で変わらなければいけないことを思っていても、実行するのには大きな壁があった。見知らぬ人に話しかけることも、その中の一つで、なかなか踏み出す勇気が生まれなかった。


 けれど。この先社交界で生きていくことを決めた今では、一定数の人脈が必要になることはよく理解している。


(たとえフィルナリア帝国へ向かうとしても、今度は向こうの社交界で生きることになるもの。……国が違えど、社交界は社交界。ここでできないことが、場所が変わってもできるわけない。頑張れ、自分!)


 意気込みながら、手に力を入れた。それでも足取りは重い。どうしよう、という思いが膨らむ中で令嬢の動きを見た。


(も、もしかして……緑茶を選ぼうとしてる……? それなら飲んでもらわないと!)


 先程までの葛藤は一体どこへ。

 そう言えるほど、膨らんでいた悩みはどこかへと消えていった。


「……あ、あの」

「はい」


 緊張しながらも声をかけてみると、とても可愛らしい声が返ってきた。


「もしかして……その。そちらの緑色の飲み物にご興味がございますか」

「えぇ、そうなんですよ。よくわかりましたね」

「見ていらしたので、もしかしたらと」

「うふふ。珍しい飲み物ですよね、ご存じなのですか?」

「は、はい。少しだけ。こちら緑茶と言いまして、フィルナリア帝国産の茶葉のお茶になります」

「まぁ、フィルナリア帝国の」

「はい。見た目緑色で味の想像がつきにくいとは思いますが、こちらが甘味をかんじるもの、こちらが苦味を感じるものになっています」


 まるでウェイトレスのような説明になってしまっているが、その事に気付かない。ただ相手が不快にならないような、丁寧な説明と言葉を念頭にご令嬢に接していた。


「甘味と苦味…………そうですね、ではこちらを頂こうと思います」

「は、はい。是非」


 そう述べると、甘味の方を手に取ってもらえた。


(やった! 手にとってもらえた……少し押し付けたようなものだけど)


 押し売りのような形になってはいたものの、それでも会話をできたことに安堵しながら自分は苦味の方を手に取った。


 ここで解散か、と思いきやあちら側から話を続けてくれた。


「お一人なんですか?」

「あ……そうですね、今は一人です」

「ご家族はどちらに?」

「今は他家の方々へ挨拶をしています。私は末っ子なので、難しいことは任せてしまいました」

「まぁ。こんなにしっかりしてらっしゃるのに」

「いえ。姉や兄に比べればまだまだです」


 初対面の彼女からしたら、謙遜と受け取られるかもしれないが、特段取り繕う理由もないので事実だけを話した。


 初対面、ということで初歩的な挨拶を忘れていることに気が付いた。


「……名乗らずに失礼しました。エルノーチェ公爵家四女、レティシアと申します」

「……まぁ、貴女が」


 瞳が驚きそのものを表現していた。そして沈黙が流れ始める。


(……あ、そっか。まだ悪評は消えきれてないから)


 目の前にいる彼女の中に、四女はわがままだという悪印象を持っていれば、正直接したくない所だろうと考え付く。残念な感情が生まれ始めて、自然と両手が胸の前に置かれる。その瞬間、その両手を優しく包み込まれる。


「貴女がリリーちゃんの妹なのね。レティシア……そうよね、その名前だったわ。うふふ、とっても素敵な娘で安心したわ」

「え……えっ?」

(リ、リリーちゃん? リリーちゃんって)

「驚いてる? 実は私も名前を聞いてとっても驚いてるの。初めまして、レティシアちゃん。リカルドの母、エスティーナ・フェルクスです」

「…………え」

(ええっ!?)


 そう名乗ると、うふふと可愛らしい声の元にこにこと優しく微笑んだ。

 その衝撃的な事実に、目の前の彼女が驚いた時とは比べ物にならないほど驚愕の表情を浮かべていた。


「これからよろしくね、レティシアちゃん。あ、この呼び方は嫌だったかしら」

「え、えぇと」


 思考が正確に回らない中、明確に浮かんだことが一つ。


(滅茶苦茶若くみえた……本当にお綺麗というか、若々しい)

 

 それでも尚、目の前に立つ可愛らしいご令嬢の正体に、衝撃を受け続けていた。

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