第78話 夜空に消えていく
会場はすっかり賑やかさを取り戻し、さっきまでの殺伐とした異常な空気は丸でなかったかのように消え去っていた。キャサリンはエドモンド殿下に手を取られて、会場の中心へと移動していく。それを周囲の貴族と父は微笑ましく眺めているのだった。
(……切り替えの早さもさすがだなぁ)
やるせない気分を抱えながらも、ただ静かに壁際に寄り掛かることしかできなかった。数分ほど前にリリアンヌは、個人的な挨拶のために移動しており、壁際にはベアトリスと私の二人きりだった。
「……今ね」
「今、ですか?」
ベアトリスの不意な呟きに反射的に答えるが、一体何の事だかわからない。
「えぇ。レティシア、せっかく来てくださった大公殿下に挨拶しにいくとしたら今よ」
「……!」
頭の中がすっかりキャサリンとの一戦でいっぱいになっていたせいで、レイノルト様への挨拶がすっかり抜け落ちていた。
「行ってきなさい。恐らく、人気の少ないあそこのテラスにいるだろうから」
「わかりました、ありがとうございますお姉様」
ペコリと頭を下げれば、優しい笑みで送り出してくれた。ベアトリスに言われたテラスへ向かう途中、偶然を装ってバレないようにラナが近付いてきてくれた。
「お嬢様、こちらの飲み物は空ですのでお下げいたしますね。代わりにこちらをどうぞ」
「……ありがとう」
そう言うと、飲み物と同時にこっそりと紙袋を渡される。口から出たのは淡々とした事務的な会話だったが、目線では溢れる感謝を伝えていた。
(お疲れ様です、お嬢様。本当に素晴らしかったです。……今はともかくこれを)
(ありがとうラナ、さすが一流の侍女だわ)
(光栄にございます。では、いってらっしゃいませ)
(えぇ!)
笑顔をこぼしながらすれ違うと、目立つことなくテラスへと向かった。
(……! 良かった、いらっしゃった)
一人静かに佇む姿は、絵になるほど美しいものだった。最近は距離感が曖昧だったことがあり、隣で笑いかけてくれるレイノルト様がとても身近な人に感じていた。だが、今日改めて帝国の大公という立場で現れた彼は、とても眩しく遠い存在に感じてしまった。
(……不思議、何だか寂しく感じるなんて)
よく考えてみれば、こうして会うことも話すことも当たり前なことではないのだ。改めてレイノルト様に気づかれないようにこっそりと観察する。
(改めてみると…………カッコいいな)
レイノルト様の顔立ちが整っていることは勿論知っている。スラッとしたシルエットで、この上ない品のある雰囲気の持ち主は、まさしく帝国の紳士そのものだろう。
今日の登場で令嬢方の視線を集める姿を見て、さすがだなと感じた。圧倒的な存在感を放つ彼は、登場するだけで注目の的だ。にもかかわらず、気配を消して一人でいる姿を見ると、いつもの彼だと安心している自分がいることに気が付いた。
(……何を安心してるんだろう。変なの)
胸の辺りを触りながら首をかしげている内に、いつの間にかレイノルト様は目の前に来ていた。
「レティシア嬢。隠れていたんですか?」
「……今来たところです」
どうやら気配に気づいていたようだった。理由のない行動だった為、さらりと誤魔化した。
「そうですか……。お疲れ様でした、本当に」
「見ていらしたんですか」
「もちろんです。その為に来たんですから
「……ありがとうございます」
「本当に、お強くなられましたね」
「……まだまだです。足りないものが多くて」
俯きながら答えると、レイノルト様は優しく頭を撫で始めた。
「よく頑張りました。今できる最大限のことを、レティシア嬢はしたと思いますよ」
「…………」
「だからどうか、自分を責めないで下さい。今日の貴女は文句のつけようのない、素晴らしい淑女だったんですから」
「…………はい」
暖かな手に触れられると、嘘みたいに緊張が解けた。気張っていた気持ちも段々とほどけていく。安堵からか小さな涙が流れた。
(何で泣いてるんだろう……泣く理由なんてないのに……疲れかな)
涙が出る原因も理由もわからないまま、涙は溢れていく。何とか堪えようと我慢をするが感情のコントロールが追い付かない。
「……おいで」
その涙を隠すように、レイノルト様は私の手を引くと自身の胸に近付けた。頭に乗せた手は少しだけ後ろに置き直すと、もう一つの手は背中へと回した。
「好きなだけ流してください。ここには誰もいませんから、流した涙は私達だけの秘密です」
優しい声色に再度安堵しながら、押さえきれなかった涙を溢すのだった。
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