第76話 必要な撤退


 悔しさの余りか、肩に異常なほど力が入っていた。それを落ち着かせるようにベアトリスは優しく肩に手を置いた。それに続くようにリリアンヌも腰を静かに擦ってくれる。まるで「もう大丈夫だ」と言わんばかりの暖かさが、一気に胸に染み込んだ。


 それに対して、思いもよらぬ人物の登場に驚きを隠せないキャサリン。父は明らかに嫌な顔をした。


「!!」

「……ベアトリス、リリアンヌ。何の真似だ」

「それはこちらの台詞です、お父様。では問いますけれど、ここまでレティシアを咎めるのですから、確固たる証拠は当然ありますよね。もちろん、キャサリンが言っていたから、というのは証拠になりませんよ?」

「それは……」

「証拠を提示した上で、咎めてください。それに、まるで公平性のないやり方はこの家の当主の品格として如何なものかと思いますわ」

「────っ」


 ベアトリスの淀みない言い分に、返す言葉を失くした父。以前の傲慢な姿からは欠けはなれていることも相まって、周囲のざわめきが最高潮に到達する。それを全く気にせずに、私の一歩前に二人は出る。そして今度はリリアンヌが話し始めた。


「キャサリン。貴女の言う通り、レティシアは何一つ悪くないわ。常識的に考えれば、どこに非があるかは明らかでしょう。自らの過ちを認めることは難しく、誰にもできることではないわ。……けれど、貴女はそれを頑張って行おうとしたのよね?素晴らしい心意気だと思うわ。さすが、王子妃候補に選ばれるだけあるわね」

「っ……」


 リリアンヌの可憐なる攻撃を真っ正面から受けるキャサリン。穏やかな言葉で語られているが、高度な印象操作をさらりとやってのける辺り再び自然と尊敬してしまう。


(リリアンヌお姉様の方がよほど王子妃に向いているわ……。でも、エドモンド殿下とは結ばれてほしくないけど)


 二人の姉による毅然とした態度の言葉は、十分すぎるほどこの場に影響をもたらした。だが、その姉をもってしても、折れず消えないのがキャサリンである。厄介この上ない。


「…………ベアトリスお姉様も、リリアンヌお姉様も、レティシアの肩を持つのですね。……お二方を差し置いて王子妃候補になってしまったことを不安に思っていましたが、嫌な考えほど当たると言うものですよね……」


 いつも通り悲しげな表情を浮かべたと思ったら、瞳に涙をため始めた。


(不味いな……。ここで涙なんて流されれば、お姉様達が懇切丁寧に説明して掴んだ流れが、一瞬でキャサリンの方に行ってしまう)

 

 涙の演技に長けているキャサリンは、一気に周囲から同情を誘うのは簡単なことだろう。その様子を察したベアトリスは、スムーズに話題の転換を行った。


「受け取り方は人それぞれだから、そこに口を出すことはしないわ。お互いに、言いたいことはまだあるでしょうけど、ここまでにしましょう。祝福の場に身内でのもめ事は不必要でしょう」

「それもそうね、お姉様。この話は一度終わりにしましょう。皆様、ご迷惑をお掛け致しました。残りの時間もゆっくりと過ごして下さい」


 リリアンヌお姉様は、その言葉と同時に私のドレスを軽く摘まんだ。


「……是非、最後までお楽しみください」


 その合図と共に、姉達に続いて笑顔で述べる。


「改めて、キャサリン。おめでとう」

「おめでとう、キャサリン」

「おめでとうございます、キャサリンお姉様」

「あ、ありがとう……ございます」


 さっきまで言い合っていた雰囲気とは思えない変わり具合をみせる私達。キャサリンでさえ戸惑う事態だが、それを活かして私達はその場を後にした。




◆◆◆



 私達が場所を移動すると、丁度良いタイミングで演奏が始まった。その音楽を纏うように、気配を消していった。


「ふぅ、こんなものかしらね」

「上出来です、お姉様。レティシア、本当に良く頑張ったわ。お疲れ様」

「は、はい。……ですが」

「言いたいことはわかるわ。けれど、今日はこれで良いの。というよりも、あそこで切り上げる他なかったわ」

「リリアンヌの言う通りよ。あれでキャサリンに泣かれていたら、完全に相手に軍配が上がって終わってたらね。それならば、こちら側に少しでも関心が向いている時に終えてしまった方がいい」


 考えていたことは同じだったが、更に先を考えていた姉達を見て、自分はまだまだだなと思ってしまう。


「今日は言わば、宣戦布告。レティシア、貴女が人形でないことを示すためのね」

「えぇ。……私も知りたいことを知れたし、本当に十分な収穫だったわ」

「あら、そうなんですか?」

「白々しい。わかってるくせに聞くなんて時間の無駄よ、リリアンヌ?」

「ふふっ」

「……お役に立てたようで何よりです」


 姉達は姉達で探りたいことがあるのは、事前に聞いていた。それが達成されたのならば、本格的に安心できるというものだ。


「……今回は負けてしまいましたけど、次こそ必ず」

「何言っているのレティシア。戦いはまだ終わってないわよ。いい? これは敗北ではなく、撤退という作戦なの。だからまだ負けてないわよ」


 今までに見たことのない圧をリリアンヌから感じ取ると、びくりと反応してしまう。


「で、ですが」

「策士の様子を見る限り、むしろこれからって雰囲気ね。レティシア、落ち込む暇はないわよ。あるとしたら少しの自己反省くらいかしら。それさえも必要ないけれどね。リリアンヌの言う通り、戦いは終わってないから」

「………………はい」


 気持ちが沈みかけた時、その暇さえ与えずに引っ張りあげてくれる二人の姉。心強い存在に決意の眼差しを向けて、こくりと頷いた。


「よし」

「頑張りましょうね。戦いは当然終わってないけれど、このつまらない生誕祭もおわってないから」

「こんなときまで嫌味を吐けるその精神だかは誉めるわ、リリアンヌ」

「ありがとうございます、お姉様」

「……ふふっ」


 思わず笑みをこぼしながら、気持ちを正常へと戻していくのであった。

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