第44話 歪んだ誇り
「まずは純粋な疑問を尋ねるわ」
「はい」
「レティシアは、どれくらいお母様について知ってるのかしら?」
「……ほとんど知りません。私の中にある知識は、人から聞いたものばかりなので」
私は生まれてから母が亡くなるまで、関わる回数は決して多くなかった。末の娘ということもあり、育児は全て乳母に丸投げされた。成長してからは淑女教育を始めとした学ぶ日々が始まり、わざわざあの母親と接する機会はなかった。
(思い返せばまともに会話した記憶がないな。いつも遠目で見るくらいで、同じ空間にいることすら少なかったもの)
恐らく私に対しては何の関心も興味も抱いてなかったことが考えられる。
「暮らした年数は私達姉弟のなかでは一番少ないものね、当然の事だわ。関わることも無かったでしょ」
「はい。全くと言っていいほどありませんでした」
それはベアトリスが想定していた答えだったようで、確認が取れたという様子で頷いた。
「レティシアだけでなく、姉弟の中であれば最も私がお母様────あの人と関わる機会があったと断言できるわ」
あの人。ベアトリスは母のことをそう呼称した。ただならぬ想いを感じながら、真剣に耳を傾ける。ベアトリスは自身の幼少期と母について語り始めた。
「私が生まれても、まだあの人は一部の人にしか本性が知られていなかった。聖女の皮を被った悪魔という言葉を聞いたことはある?」
「はい」
「まさにその通りの存在だったと聞くわ。ただ問題だったのが、大勢があの人を聖女だと認識していたこと。どんなに悪事を働いても、その出来事自体を握り潰してきた為に、本性が明るみに出ることはまず無かった」
母の一般的な評価は悪女。だがそれが多くの人に知られたのは、もっと先の話だという。
「これは推測だけど……あの人は結局化けの皮を被ったまま婚約までありつけて、結婚後も父の前では被り続けたと思うわ」
「ですが……さすがにお父様も違和感というか、何かしらに気付くのでは」
「その頃は既に宰相だったのよ。だから家にいる時間は、普通の旦那様よりも極端に少なかったんじゃないかしら? ……もしかしたら、それさえも考えていたかも知れないわね」
リリアンヌが私の疑問に対して答えてくれる。どうやら母が父と過ごした時間は少なかったようだ。そのおかげで、母は聖女を負担なく家でも演じ続けられることができたのではないかとされる。
「正直、お父様が何を考えているのかなんてわからないし、どんな人かも知らない」
「私もよ。お兄様と違って関わる機会は少なかったから」
「私も知りません」
誰も言葉には出さなかったが、特段父に関しては知りたいと思ったことはない。その思いは姉達も同じだろう。
「私の幼少期は一言でいうと、あの人に利用され続ける日々だった」
「利用……子どもがですか?」
「えぇ。あの人にとって社交界での名声は命と同じくらい大切なもの。それはもちろん娘よりもね。当時一般的に聖女と呼ばれたあの人は、出産によって自分への関心が薄まっていくのを恐れたの。ただでさえ結婚で人気が下がったでしょうから」
誰よりも高く良い評価をされたい人間、それが母だという。
「だからあの人は、私を傲慢で自分勝手な子どもとして振る舞うように洗脳した」
「洗脳……?」
「えぇ」
「で、でも。それでは評価は下がりませんか。普通なら、ベアトリスお姉様を立派に育てた上で、親として素晴らしいと評価される方が」
「普通じゃないの、あの人は」
(どういうこと……?)
洗脳という衝撃的な言葉に動揺することに加えて、母の行動を改めて考えても何一つ理解できそうになかった。
「レティシアの言う通り、素晴らしい親だと評価されることを目指すのが普通のこと。でもそうしたら一番になれないというのはわかる?」
「……?」
「優秀な子どもに育てば、親は当然評価される。貴女達の教育の賜物だと。でも一番褒められるのは、親よりも当人である子どもよ」
「…………」
「あの人はそれを望まなかった。自分以外に注目が集まることが我慢できなかったのよ。それがたとえ自身の子どもだとしてもね。だから、私を悪いように利用した」
「でも一体どうやって……」
ここまで聞いてもまるで理解できない。母という人の思考は、私では到底真似できない異次元とも呼べるものだ。
「あの人は、自分の美貌に絶対的な自信を持った上に聖女と呼ばれることに誇りがあった。だから、それを上手く使って注目を集めたかった。そこで私を利用して新たな自分を作り上げた。娘にまで嫉妬される完璧すぎる女性としてね」
「…………」
自身の評価のためならば娘であろうと利用する。そうベアトリスは断言した。
「それが果たして成功したかは知らないけれどね。少なくとも、娘にまで嫉妬される状況を作ることで、自分の魅力は衰えることなく存在し続けていることを主張したかったんでしょうね。今考えても馬鹿らしい見栄だわ」
皮肉るベアトリスは、今度は壮絶な幼少期を語り始める。
ベアトリスは、自分は傲慢になるように母に育てられたという。
「今でもこの言葉は忘れない。……貴女は公爵令嬢で、この国で一番偉いお姫様。だから何をしても許されるの。貴族との交流の場は貴女のためにあるもの。だから好き勝手にしていいのよ……ってね。私はこの言葉を三歳頃から永遠に聞かされた」
曰く、それを馬鹿みたいに信じて子ども達で交流をする際はあり得ないほど傲慢に過ごしたと言う。良し悪しがわからない状態で成長していたと述べた。
「それでも段々とわかってくるものでしょう?そんな態度ではいけないって」
「…………」
私は無言で頷いた。
「だから何度も普通の人になろうとした。傲慢でもなく、自分勝手でもない。分別をわきまえた人間に」
「…………なれなかったんですか」
「えぇ。あの人は決して普通になることを許さなかった」
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