第41話 次女の睨み方講座


 レイノルト様の言う通り、オペラ等の舞台や演技者から教わることはもちろん重要だ。だが、そこには限界があり、独自の解釈や不確かなやり方となり完璧に身に付けられるものではない。ならば、それを極めた人間から教わる方が最善ではという考えが浮かんだ。


(私とは比べ物にならないほど、別人を演じていたと言えるリリアンヌお姉様なら。きっと睨み方から言い回しまで、令嬢としての戦い方を知り尽くしているはず)


 唐突な私の発言に、さすがのリリアンヌも固まってしまった。おかしな頼みだと思われても仕方がない。私が逆の立場でも必ず動揺する。


「…………睨み方、睨み方?」

「はい。技術を教えていただきたくて」


 誤認していないか聞き返す様子から、困惑が感じ取れる。手を頬に当てながら考え込む。申し訳ないと感じながらも、どんな無茶振りでもリリアンヌなら受け入れてくれる気がして視線を向ける。それが叶わない場合、話だけでも聞いてくれるという不思議な確信があった。


「別に良いけれど……」

「ほ、本当ですか!?」

「えぇ。暇だし、面白そうだから」

「…………」

「どうしたの、そんな驚いた顔して。断られると思ってた?」

「半分くらい思ってました。それ以上に……こんなに早く話が進むと思っていなくて」

「意外だった、ということね」

「はい」


 どう説得するか、どんな言葉ならリリアンヌに響くか等と考えていたが、全て必要なくなった。予想外の反応に拍子抜けしていると、面白そうにリリアンヌが笑った。


「レティシアもそんな表情するのね」

「へ、変でしたか」

「ううん、それこそ意外だっただけよ」


 そう言うと、リリアンヌは緑茶に手を伸ばす。


「そろそろ冷めたかしらね。レティシア、いただくわ」

「どうぞ」

(と言っても貰い物だけれど)


 リリアンヌが飲む様子を見て、自分も緑茶を口へと運ぶ。


(緑茶だ……冷めても美味しい)


「あら……美味しいわね、りょくちゃ」

「お口に合いましたか?」

「えぇ、とても」


 上機嫌で緑茶を飲むリリアンヌを見て安堵していると、早速本題について尋ねてきた。


「それにしても睨む、ね。嫌いな人でもできたの? それともいよいよキャサリンにやり返すとかかしら」

「嫌いな人かはわかりませんが、後者であっています」

「…………」


 冗談のつもりで聞いたのか、口を少し開けながら再び固まってしまう。


「無感情で無反応な生き方が賢いものではないと、最近考えるようになって」

「…………」

「最低限の反応を身に付けたいんです。それが自分を守ることに繋がると信じて、技術を使いこなせるようになりたいというのが本音です」

(やり返すというよりも、己を守るという表現の方がしっくりくる)


 茶器をテーブルに置くと、手を重ねて背を伸ばした。視線だけではなく姿勢からも真剣さが伝われば良いと思いながら。


「……驚いたわ」

「……」

「正直ね、レティシアは良くも悪くもこのままなんだと思っていたの。特に社交に関することはね。この家を出ることが目的なら、確かに社交界での評判なんて不必要ですもの。だからそれで良いと考えるレティシアの生き方に納得していたの。今更だなんて思わないけれど、それでも急に考えが変わったのは何かあったのかしら」

「…………実は」


 ラナの尊厳を守ってほしいという強き願いと、レイノルト様の変化を期待する想い。それを言葉で表すと、リリアンヌは数度頷いた。


「なるほどね。……少し安心したわ」

「安心ですか?」

「えぇ。貴女にも、貴女のことを考えてくれる人がしっかりと傍にいたことに」

「……はい」

「良かった。私達はお互いに離れすぎて、そんなこと考える余裕も無かったでしょう?」

「正直、自分の事ばかりで」


 申し訳なさそうに視線を下げると、リリアンヌも同じ状況であることを告げる。


「私もよ。……今までできなかったのなら、これからやれば良いと思うの」

「……そう思います」

「だから、姉としての役目と言っては少し大袈裟だけれど、私ができることとして教えるわ。睨み方をね」

「お願いします」


 実際に不敵な笑みと睨みを添えて教える気が充分にある様子を見せたリリアンヌに対して、強い意思を胸に頭を下げた。


 関係の構築を誓った私達は、お互いに歩み寄りながら姉妹として改めて生きていくことを決めた。


「では、早速始めましょ」

「はい」

「まず見せてくれる? 大抵の人は睨めば形になるのだけれど。レティシアも、自分でできていないと思っているだけかもしれないわ」

「……ではあちらに向けて。いきますね」

「えぇ」


 さすがにリリアンヌに向けて睨むことはできないので、体を少し動かして壁の方を見ると早速睨んでみる。


「ど、どうですか、お姉様」

「…………もう少し細められる?」

「……あ」

「瞑っちゃったわね。……うん、確かに睨めてなかったわ。目が悪いのかしらと感じるだけで、全然怖くなかったわね」

「…………」

(まさかレイノルト様と同じことを言われるとは。そんなに睨み方下手なのかな。そもそも……睨むに下手とかあるものなの?)


 不出来さに少し落ち込んでいると、リリアンヌは次は自分の方を向いて睨むように指示をする。一瞬戸惑うものの察したリリアンヌが直ぐ様口を開く。


「これは言わばお勉強だから、無礼だとかは考えないで。さ、やってみて」

「どうですか……!」

「……なるほどねぇ」


 どうやら何かがわかったような様子のリリアンヌに、今度はいつも通りの眼差しを向ける。


「レティシアは眉毛が動いてないんだわ」

「眉毛?」

「そう。眉毛が動かないまま目を細めているから、睨みにはならないのよ。眉毛をちょっと中心によせるようにして、怒りを少し表せば睨みになるはずよ」

「こ、こうですか」

「できてるんだけど、変なところに力が入って睨めてないわ。目の下には力を入れなくて良いの」

「眉毛……目の下……あ」

「もう一回やってみましょ」


 上手く調節をしようとすると、睨む前に目を瞑ってしまう。何度か繰り返してもたどり着くのはそこだった。


「……レティシアは、あれね」

「あれ、ですか」

「うん。眉毛だけを動かす力が極端に無いわね。目の動きが優先されてしまう感じ」

「繊細さが足りてない、ですよね」

「言い方を考えなければね。でも落ち込むことないわよ。教わって数分でできるようになるだなんて、元々思ってないでしょう?」

「もちろんです。何回でも練習します!」

「その心意気はとても良いわ。でも、無理に睨むことを身に付けなくてもいいの」

「……」


 やはり不向きすぎただろうかと感じ始める。


(人形であった期間が長すぎたわ……)


 過去の失態を悔やみ始めたとき、リリアンヌは腰から何かを取り出した。

 

「眉毛が動かせなくても雰囲気というものは作れるの。これ、なんだかわかる?」

「せ、扇子……?」

「正解。私の以前のキャラはこれを必要としなかったけれど、レティシアなら似合うんじゃないかしら。こうしてね」


 腰から取り出したのは一つの扇子。そう言うと、リリアンヌは扇子を広げて口元へ持っていった。


「こうやって口元を隠すでしょ。そしたらほんの少しだけ目を細める。それだけで不機嫌な雰囲気の出来上がりよ」

「わぁ……!」

「これならレティシアにも手軽にできるでしょう? もちろん、身に付けたいのならば睨むことは練習して身に付けて。ただ、それまでの繋ぎとしてこの扇子を使えば良いわ。だから無理しすぎて皺をよせないことよ?」

「は、はい、お姉様!」

「よし」


 リリアンヌの思わぬ提案に感動して胸を高鳴らせる。その提案は私のことを最大限に考えてくれた結論だった。その事にも胸が暖かくなっていく。感じている想いは見て伝わったのか、嬉しそうにリリアンヌは笑みを深めていた。



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