第39話 人形の表情筋


 反射的に返すことはできなかったが、少し考えると自然に言葉が出てきた。


「…………難しいことや具体的なことを抜きにするならば」

「はい」

「私は……少なくとも、自分を蔑ろにせずに尊厳を守れる人間になりたいです」


 それはラナの想いを受けてのものだった。


「……とても良い考えですね」

「侍女に……親しい仲の専属侍女に言われたんです。自分を大切にすることだけは忘れないで欲しいと」

「私もそう思います」

(……なんだか安心する)


 力強く頷くレイノルト様を見ると、不思議と変わろうとしている自分は間違っていないと思えるようになる。その感情が表情に影響を与えると、知らないうちに純粋な安堵の笑みが浮かぶ。


「よろしければ、その手伝いをさせていただけませんか」

「手伝いを、ですか?」


 変わった申し出に首を傾げるものの、レイノルト様の瞳はいたって真剣なものであった。


「はい。せっかく異国の土地でできたです。貴女が変わりたいと願うのですから、私にできることを何でもしたいのです」

「そんな……」

(これ以上お世話になったら不敬になるんじゃ。いや、申し出を断る方が不敬に……?)


 通常運転の思考回路に戻ると、レイノルト様にどう答えるべきか悩み出す。


「そう難しく考えないで下さい。最後まで見届けたい、という私のわがままだと思っていただければ」

「…………」

(確かに……ここまで面倒を見てもらったのだから、しっかりと変わる姿を見せるのが筋よね)


「お願いします、レイノルト様」

「喜んで、レティシア嬢。私にできることは些細なことまで申し付けてくださいね」

「ありがとうございます」

「そうと決まれば……これからについて考えましょうか」


 そこまでしてもらうわけにはと、一瞬動揺が走る。その一瞬の内に私は一人、脳内会議をし始めた。


(でもきっと、断ろうとすれば上手くかわされるしな……)


 私がレイノルト様への対応に迷いを見せると、何故かいつも決まった方向へ持っていかれる。それは数回のことではなく、毎回なのだ。それだけ心配させているからだろうかと申し訳なさを感じる。だが、それならば選択肢はあるようでないようなものだ。


(みっともない姿まで見せたんですもの。今更よね!)


 不敬だなんだと気にする方なら、ここまで他人の面倒をまずみないだろう。差し伸べてくれる厚意を無駄にせずに頼ることこそが、彼に対して正しい行動だと直感的に感じた。


 結論が出ると、レイノルト様に向き合って頷いた。


「お願いします」

「……ではまず、約束事を決めませんか?」

「約束事、ですか?」

「はい。いきなり自分を大切にしようとしても、漠然としすぎて手がつけられないでしょう。ですから、指針を定めるように約束事を決めれば迷うことはなくなります」

「なるほど……」

(まずは小さなことからコツコツと……うん、大切なことだよね)


 わかりやすい説明に感心しながら、その約束事をどうするか思考し始める。


「……いざ考えると難しいです」

「すぐには浮かびませんよね。そうですね……まずは本当に簡単なことからで良いと思うんです。例えば、嫌なことは流さずに嫌だと言う、とか怒るべき時はしっかりと怒るとかはどうでしょうか」

「…………できてないですね」

(いつも心の中で済ませてるから……)

「できていないわけでは無いと思います。ただ言葉に出していないだけで、レティシア嬢の表情筋はしっかりと機能していますから」


 そう言いながら、自身の両手の人差し指で口角を上げて補足する。つられて私も人差し指を頬に持っていく。


「できてますよ」

「レイノルト様もお上手で」

(いつみても笑顔が上手。しかも種類も豊富だから、表情は中々の猛者ね)


「ふふ」

「変でしたか?」

「いえ、相変わらず可愛らしい笑顔かと」

「……ありがとうございます」

(相変わらずお世辞も上手)


 手を膝の上に戻すと、レイノルト様からある心配をされる。


「レティシア嬢がとても素敵な笑顔の持ち主であることは存じていますが、その他の表情はあまり見たことがありません。失礼ながらお聞きしますが……怒りの表情や相手を制する威嚇に近い視線はしたことはありますか」

「……あまり、ないかと」

(いつも毒を吐いているとは言え、顔に出さないよう気を付けてきたからな……)


 無感情な人形のような表情づくりならしてきたが、その真逆はしたことがない。うんざりすることや呆れることがあって、それが自然と顔に出た経験はある。だけどそれだけだ。思えば誰かに本気で怒ったことはないし、視線を上手く使ったこともない。


(視線はよくわからないけど……怒ろうと思えば怒れるはず。)

「……と言っても、この年齢になれば感情的になるよりは視線や言い回しで相手を制するのが一番かと思います」

「視線…………こうですか?」


 遠くにある屋敷の玄関を思い切って睨む。


「…………今のは、どういう」

「睨んだつもりなのですが」

「あ」

「どうでしょう」

「そう、ですね」

 

 歯切れの悪くなるレイノルト様から、今度は不要な配慮を感じ取る。


「レイノルト様、思ったことをそのまま教えてください。変に気を遣ってはいけませんよ」

「……正直に言うと、睨んでるようには見えませんね。それよりも目の悪い人に見えます」

「目の悪い人……全然怖くないですか」

「……全く」


 申し訳なさそうに頷く姿を見て、自分の現状に納得する。


(睨むこともできないなんて本当に人形みたい。演じてたつもりが、そのものになってしまったようね)


 自分を皮肉りながら改善策を考えると、落ち込んだと勘違いしたレイノルト様から励ましの言葉を貰う。


「レティシア嬢。すぐに必要にはなりませんし、方法は他にもあります」

「身に付けれるようにしたいです。変わるためにも、こういう技術が必要だと思うんです」

「……確かにそうですね」


 私の意思を告げると不安そうな表情から一変し、応援する雰囲気へと戻った。


「習得するためには学ぶことが必須ですが、正直こういう技術は目で見て盗むものですから……オペラ等の鑑賞が有効ですかね」

「オペラ……」


 レイノルト様の言う通り、これは見て盗む技術で間違いない。だが早く身に付けられることに越したことはない。


「ですが演劇となると少し過度な表現も入りますから、手放しでおすすめは」

「演劇………………は!」

(もしかしたらその手が最善かもしれない!)

「レティシア嬢?」


 未確定の方法ではあるものの取り敢えず最も価値のあるやり方を思い付く横で、レイノルト様は心配そうな視線を向けていた。

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