第12話 意気消沈の帰り道


 レイノルト様から逃げるように馬車へ飛び乗ると、御者に帰宅を告げた。とにかく一刻も早く家に着いて、ラナに嘆きを伝えたくて仕方なかった。その嘆きさえしている暇はないかもしれない。取り付けられた観光案内のための準備をしなくてはならないからだ。


「最悪だ……」


 放心状態になりかける意識を引き止めて、自身の無警戒な行いを改めて反省する。


「もっと用心するべきだったわよね……」

 

 馬車の中では靴を投げ捨てて体育座りをしながら一人反省会を開いた。


「うう……」


 交わした取り引きを信じれば口外することはないとは思うが、不安は拭いきれない。


 悶々と考え込む内に、馬車はエルノーチェ家の門をくぐり抜けた。到着したことは御者から声をかけられるまでわからなかった。


「…………」


 どんよりとした暗い雰囲気で歩いていると、目の前からは誰かがずかずかと足音を立ててやって来た。


「レティシア!!」

「…………」


 今朝も聞いた甲高い声の持ち主、ベアトリスの登場である。彼女は私を視界に捉えると、少し興奮気味に文句を投げつけてきた。


「エドモンド殿下に何かしたんじゃないでしょうね?!」

「…………」

「不本意ながら向かわせましたけれど、余計なことをしていたらレティシアでも許さなくってよ!」

「…………」


 ギロりと睨まれるが、そんなことなど気にせずに無感情で答え始めた。


「フィアス様にお祝いと挨拶そして謝罪を行った後は何もせずに直行して家にたどり着きました。とんぼ返りのような早さで往復をしたのです。そのどこに殿下と話す時間があるでしょうか。そもそもお会いすらしていませんし」


 一気に言いきるとベアトリスの瞳に問いかける。まだ何か言う気かと。


「そ、そうなのね」

「はい」


 ほんの少しだけ後退りをするものの、変わらぬ態度で納得を見せた。


「ですからパーティーでは何も」


 そう言いかけると小さな負の感情が過った。自業自得ではあるだろうが、原因の一部にはベアトリスがいる。疲労に疲労を重ねた上に苦しい事態に陥ったのはベアトリスが非常識なパーティーの招待をさせたせいでもある。

 

 いつもなら割り切れたのだが不運に不運が重なり、落ち込んだ気持ちが元に戻らなかった私は後先考えずに口を出してしまった。


「お姉様……二度と尻拭いはしませんからね」

「し、尻拭いですって!?」

「いえ、言葉を間違えました。今回のものはそれよりもたちが悪いです」

「なっ」

「言葉の意味がわからないならばご自分でお考えください」


 初めてに言い返されたことに衝撃を受けるベアトリス。そんなことはお構いなしに、私は恨ましい視線を向けた。


「(自立計画に)問題が起きたらお姉様のせいですからね……!!」


 八つ当たりだとわかっていながらも小声で言い捨てると、自室へと早歩きで戻り始めた。


「な、何なの……」


 後ろではベアトリスの呆然とした独り言が響いていた。


◆◆◆


「おかえりなさいませお嬢」

「ラナぁぁぁあ!」

「わっ!どうしたんですか」


 ラナの出迎えを遮りながら抱きつく。


「終わったわ。本当に終わったわ」

「はい、お疲れ様でした」

「違うわ、人生が終わったの」

「えっ?どういうことです、それは」


 ラナにレイノルト様との間に起きた出来事を一から説明した。


「終わってないじゃありませんか。取り引きなんですよね?案内をすれば黙って自分の国に帰ってくださるという」

「…………万が一が」

「ではお聞きしますけれど、そのお貴族様がお嬢様の労働を言い触らして何か得がありますか?」

「……何もない、と思う」

「そういうことですよ」

 

 筋の通ったラナの話に段々と落ち着きを取り戻していった。今度はベッドの上で体育座りをする。


「それに一度案内をするだけで口止めになるのですから、とても良心的ではありませんか」

「た、確かに……」

「ちなみにお名前は何と言うのですか」

「え…………」

「まさかお嬢様。無関心が度を越しすぎてお名前を覚えなかったとかですか」

「か、家名を忘れて」

「まぁ」


 思えばレイノルト様と話す時はいつもどこかで冷静でいられなくなる。


(もしや……天敵なのかしら)


「お名前はレイノルトと名乗っていたわ」

「レイノルト……どこかて聞いた気がします」

「まさか有名人?」

「さすがに隣国の貴族までは把握していないのですけれど、どこかで聞いたんです。思い出したら言いますね」

「わかったわ」


 観光案内といっても貴族のお忍びのようなものなので、名前や家名で呼び合うことはないと思う。それに最悪先手必勝で呼び方を聞けば良い。


 そうは思うものの、やはり行くのは億劫で。


「ねぇラナ。代わりに行ってくれない?」

「その気持ちは山々ですけれど、お嬢様の顔をバッチリ覚えられているみたいですから不可能かと」


 無理に近い提案を正論で返される。


「……今からベアトリスお姉様に熱を貰ってこようかしら」

「そんな幼い子どもみたいなことしないでください」

「わかった……」


 短い沈黙の後に、無謀な事ばかり考えてないでいい加減向き合おうと思い直す。


「ちなみにいつなのですか?案内とやらは」 

「明日」

「え」


 唐突すぎる話にさすがのラナも手を止めてしまった。


「滞在日が長いとは言え、いつ急な用事が発生して帰ることになるかわからないから早い内にって言われたの。食堂の仕事の日程と校正の仕事の納期を考えたら、明日しかなかった」  

「明日は食堂の仕事では?」

「ううん。働きすぎを心配されて、二日連続で強制的に休暇をもらったの」

「グッジョブです、店主さん」


 日頃休息を訴えてくるラナからすれば嬉しい話だろう。


「でも結局休めませんね」

「そこは仕方ないと割り切れるけれど。ここまできたら、明日は口止めをするのに十分で満足する完璧な案内をこなしてみせるわ」

「その意気ですよ」


 ラナの言う通り、レイノルト様の良心的な提案を精一杯行うことを心に決めると、観光予定地に関する予習を始めるのであった。

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