第9話 困惑と油断

 レティシア・エルノーチェ、18歳。またの名をシアと名乗っています。自立のための資金集めを実家に黙って行っていたのですが、只今危機に直面しております。


(これは不味いことになった…………!)


 緑茶を見ながら血の気が引いていくのを感じる。隣国であろうと、貴族に知られるのは面倒なことになりかねない。

 この食堂の方々に貴族だとバレたくはないし、実家に労働が知られればお咎めなしではすまされないのは確実だ。


 先日夜会で初めて会った人なのだから、身構える必要はないかもしれない。けれども貴族の中には顔を覚えることに長けている人もいる。

 彼の中で私は“緑茶を飲む珍しいセシティスタの貴族”と認識されていてもおかしくない。


 つまり、備えるに越したことはないということ。


「……シア、もしかして」

「……?」


 一人で頭を回転させていると、サーシェが深刻そうに見つめてきた。


(もしかして……挙動不審すぎて関わりがあるとバレたかな)

「緊張してる?」

(んっ?)


 意外な一言に言葉が詰まってしまった。


「シア、顔色悪いよ。無理はよくないから体調悪いなら言ってね」

「あ…………」


 本当はそうではない。青ざめている理由は別にあるのだけれど、ここはその理由にすがらせてもらおうと瞬時に頭が働いた。


「そ、そうなの。何だかいざ目の前にすると緊張してしまって」

「そうだよねぇ」

「だ、だからその。雑務は裏方に回っても良いかな」

「もちろんだよ。本当に辛かったら休むなり帰宅するなりして良いんだからね?」

「う、うん」

(それは流石に心が痛む……!)


 向こうに聞こえないように耳元で了承を得た。


 既に嘘をついているのだから仕事はできる範囲で完璧にこなさなくては。そう決意しながら静かに厨房へ回った。


 髪色は違う。服装だってとても貴族に見えるものではない。サーシェとさほど変わらないものだから、傍からみれば私もただの従業員にしか見えない。

 

 それなのに不安はどんどん沸き起こる。恐らく慎重に動けと本能が告げているだけだと自分を言い聞かせるが、何故か嫌な予感がしてならない。


(……心臓が痛いなぁ)


 心の中で溜め息をつく。暗い気分を抱えながらも仕事に集中した。


◆◆◆


 裏方に徹したことが功を成したのか、席に着いた三人の貴族と関わることは一切なかった。


 料理の手伝いはするものの、その際会話は基本マーサさんが行い料理を運ぶのはサーシェが担当した。そのお陰で厨房に引きこもることができた。


 視察と称した取り引きもいよいよ終わりを迎え、お開きの様子を肌で感じ取ると思わず安堵の溜め息がこぼれた。


「シア、大丈夫?」

「うん。裏方で休んだら大分ましになったよ」

「それならよかった」


 食器を二人で片付けながら、サーシェに取り引き内容を尋ねる。


「それでどういう用件だったの」

「なんかね、さっきの緑の液体をうちで出して欲しいみたい。セシティスタで普及させて欲しいって」

「なるほど……」


 もちろん貴族での普及はするが、国全体での需要が高まればセシティスタへの輸出は確約で量は必ず増える。そうすることが目的だろう。緑茶を食堂での提供という案はそのための一歩みたいだ。



「マーサさんとロドムさんは飲んでたけど、あれ美味しいのかな」

「あとで飲めるんじゃないかな」

「確かに!」

 (緑茶がこの食堂で飲めるようになるのか……!)


 先程までの胸の痛みは消え去り、吉報が舞い込んできたことに喜びを隠せない。


 サーシェの洗う食器を拭いていると、厨房の入り口付近に人影が見えた。マーサさんかロドムさんから新たな指示だろうか、そう片隅で考えながら向かう。


「どうされました………!」


 現れたのはマーサさんでもロドムさんでもなく、貴族の男性。しかも最悪なことに唯一顔を会わせたくない相手であった。


「失礼します。少し手を洗いたいのですが、手洗い場まで案内を頼めないでしょうか」

「わ、わかりました」


 完全に油断した。そう反省しながらも不意打ちで現れた彼、レイノルト様を手洗い場まで連れていく。

 

「ここの食堂の食事はとても美味しかったです。足を運ぶ常連さんの気持ちがわかります」

「そ、それは何よりです」

(お願いだから二度とこないでください)


「店主さん達には伝えたのですが、よろしければ我が国特産品の緑茶を飲んでみてください」

「……よろこんで」

(それは本当に感謝です、


「噂でも何でも、緑茶の存在を広めていただければありがたいです」

「頑張りますね……」

(手洗い場ってこんなに遠かったっけ?!)


 終始愛想笑いを浮かばせながら話を聞いている。キャサリン対応の癖で焦りが内心であらわになって毒と化していることに気がつかない。


「こちらです!」

「…………ありがとうございます」


 ようやくたどり着いた手洗い場に手を向けて案内をする。手を洗う間、謎の間に不手際があったかと不安を感じ始める。だが深く考え込む間もなく、洗い終えたレイノルト様を元居た場所へと送り届けた。


 今考えれば場所だけ教えれば良かったのだが、相手からを頼まれたためについていかざるを得なかった。


「シア! 大丈夫だった? それで、何話してたの?」

「え……っと」

 

 厨房に戻ると、興奮した様子のサーシェが目を輝かせながら聞いてきた。

 

「特に何もないよ」

「嘘だぁ。何か話してる声が聞こえたもの」

「本当だって。あ、後で緑茶飲んでみてくださいって」

「飲んでいいんだあれ!」


 無難に質問をかわしながら、食器を拭くのに専念する。


(バレてないよね?大丈夫よね?)


 思うことはただ一つで、不安に刈られながらも手を動かした。


「あ、マーサさん」

「お帰りになられるから、一応見送りに来てくれ」

「わかりました! シア、行こう」

「え?……あ、うん」


 食器と不安に気を取られていた私は反応が遅れてしまう。一足遅く厨房を出ると、レイノルト様からの視線を感じた気がした。

 

 いや、過敏になっているだけだと自分を落ち着かせながらサーシェの隣に立つ。


「本日はありがとうございました」

「こちらこそありがとうございました。とても有意義な話ができて何よりです」

「是非また伺わせてください」


 社交辞令を混ぜながら、挨拶をかわしている。


「またいくらか時間が経った頃に、緑茶の評判を伺いに来ます」

「お待ちしております」

「今後もよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いいたします」


 そう互いに深く一礼すると、こちらに目線が向けられた気がした。


「本日はありがとうございました」


 意味深な笑みを感じ取りながら、気付かなかったフリで直ぐ様一礼をした。


「またのお越しを」


 帰り際にお客様にむけるこの言葉を、言いたくないと思ったのは初めてである。


 何はともあれ、三人の貴族は食堂を後にした。


 珍しく濃い時間を過ごした三人が緊張したと疲れを見せる横で、別の意味で疲れた私は一人脱力していた。


 不安は払拭され、これで終わりだと自分を言い聞かせながら残りの業務に取り組んだ。

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