第8話 訪れた視察者
「お嬢様、朝です!」
「はい!」
ラナの呼び掛ける声に飛び起きると、急いで支度に取り掛かった。
「今日は朝が早い代わりに、帰りもいつもより早いんですよね」
「そうなの」
7時を過ぎた時計を横目に着替えを済ませる。
「もうでられますか」
「そうね、できればすぐ出たい」
「朝食は必ず食べてくださいね」
「うん」
思えばこんなに早起きするのは公爵令嬢に転生してから初めてな気がする。
ラナによって朝食が運ばれてくると、眠気と闘いながら食事を始める。
「よく噛んでくださいね~」
「はぁい」
余程眠そうなのか、普段は決して言われないような言葉が飛び交う。それに気を取られることなく食べ進めていく。
「ごちそうさまでした。ごめんラナ、もう行くわ!」
「わかりました。お気をつけて!」
「うん」
昨日と同様、ラナに見送られながら出勤をする。ただゆっくりしてはいられないので裏道を駆け抜けていく。賑やかな屋台通りを走りながら通り過ぎると、サーシェの姿が見えた。
「サーシェ」
「あ、シア!おはよう」
「おはよう。早いね」
「今来たところだからシアと変わらないよ」
「そうなの」
急ぎ足で食堂に着くと、ロドムさんとマーサさんは既に準備に取り掛かっていた。
「「おはようございます!」」
「おはよう二人とも!朝から悪いね、取り敢えず準備をしてきてくれ」
「わかりました」
「はーい」
とにかく時間がないという様子が二人からひしひしと伝わってくるため、無駄口は叩かずにテキパキと動いていく。マーサさんの元に指示を受けに行った。
「サーシェ、あんたはとにかく掃除を頼むよ。昨日の夜にかなりやったつもりなんだけど、見落としってもんがあるだろう?」
「ピッかピかにしますね!」
「頼んだよ!」
「シア、すまねぇが下準備を手伝ってくれ」
「わかりました」
食堂では基本給仕が仕事のメインになるが、忙しい時は料理の手伝いを任されることがある。
一定以上料理の技能を身に付けていれば厨房に立つことは許されるのだが、悲しいことに料理のセンスがないサーシェと苦手なマーサさんはロドムさんから声がかかることがない。
「何をすれば良いですか」
「そのボウルに入った野菜を洗ってくれ」
「わかりました」
黙々と作業を進め始めるとマーサさんから更なる指示が入った。
「この後来るのは客ではなく取引相手になると思う。だから対応はあたしとロドムが中心にやるよ。サーシェとシアはすまないが雑務をこなしてくれ」
「わかりました」
「任せてくださいっ」
それぞれが準備を進めながら、視察者の訪問に待機した。
数時間後、食事の支度は完了し店内は十分すぎるほど清潔な状態へ変貌を遂げた。
あとは待つだけ、少しできた余裕に浸ろうとした瞬間食堂の門は叩かれた。
「……来たか」
ロドムさんの呟きが小さく響く。マーサさんは入り口へ向かって相手を迎えた。
「わぁぁあ。いよいよだね」
「そうだね」
「緊張してる?」
「私は────」
小声での会話を始まる間もなく、視察者と思われし人影は食堂に足を踏み入れた。
身なりが良い男性三人が視界に映る。
決して派手ではない服装だが、平民というには少し育ちのよさがにじみ出てしまっている。
サーシェと二人遠目でマーサさん達の様子を伺いながら、失礼に当たらない程度に男性達を眺めていた。
サーシェにとって貴族に会うことは珍しい体験だからか、隣で少し興奮している。
「本物だよ……!」
「うん」
会話を始めたマーサさん達に視点を戻すと、再び観察をし始めた。
「…………?」
「わぁ…………」
ふと、見覚えのあるような、ないような姿が見えた。すぐに隣国に知り合いなどいないはずなので、見間違いだと思考を片づける。
「それでは早速取り引きを始めたいのですが」
「も、もうですか?」
「はい」
まずは食事から入ると思い、準備体勢でいたマーサさんは拍子抜けをしてしまう。ロドムさんも同じで、少し困惑を見せながら席に座っていた。
「取り引きしたい品物なのですが、実は」
男性の一人が中身の入った瓶をバックから取り出してテーブルに乗せる。
「ねぇねぇ、あれ何かな」
「ん?」
サーシェの言うあれを探しに目を細める。
「どれ?」
「あの緑の液体。調味料かなにかかな」
「あーあれは……」
言いかけて思考が停止する。
緑の液体。その正体がわかったことと同時に、見つけてはいけないものを見つけてしまったのだ。
「シア、もしかして知ってるの」
「いや…………」
(知ってる。あれは緑茶……それに)
セシティスタでは珍しいとされる緑色の飲み物。それは緑茶で間違いない。そして先日の夜会で、その緑茶を自国の特産品と述べた男性と言葉を交わした。
もう会うことはないと高を括っていた。
会う理由がないために、確定事項で会わないと決めつけていたのだ。
今なら言える、その考えは愚かであったと。
(どうしてここに……)
目の前に男性を見つけながら、一人絶望を感じていた。
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