第5話 緑茶と出会い

 レディ。そのような言葉をかけてもらったことなどない私は、当然自分のことだと思わずに立ち去ろうとした。


「おや、お気に召しませんでしたか」

(……これが家でも飲めたらなぁ)


「レディ?」

(茶葉は探せば売ってるんだろうけど、買う余裕がないから……我慢だな)


「…………」

(いくらするんだろう。落ち着いた頃には平民でも買える価格になってるといいな)


「失礼しますレディ」

(…………?)

 

 先程から誰かに話しかけているであろう男性は、いつの間にか背後から私の目の前に移動をしていた。


「……私のこと、ですか?」

「はい。周囲に他に人はいないので気付かれると思ったのですが」

「あ…………」


 言われるがまま見渡せば、夜会はホールに人が溢れかえっていた。飲み物はホール内を歩く王宮の給仕から貰っている人がほとんどで、わざわざ設置された場所に来る者はいない。


「これは……失礼いたしました」

「いえ、私の方こそ配慮が足りませんでした」


 キャサリン関係で話しかけられることしかなかった為に、目の前の男性を不思議そうに見た。一体何の用だろうと。


「えっと……私になにか」

「いえ。我が国の特産品である緑茶を手にしていらしたので、つい声をかけてしまいました」

「あ……」


 なるほど、緑茶の生産地の方か。ということは他国の人であるため、私の悪評は知らないという所だろうか。さすがに他国にまで響いていたら驚くが、そうでない可能性にどことなく安堵する。


「セシティスタ王国の方々にとっては目新しいものでしょうから。好みはわかれるでしょうし、そもそも手にとって貰えないと思っていたので」

「とても……美味しいですよ」

「そうですか、それはよかった」


 爽やかな笑みを向ける男性。

 悪意も侮蔑もない、純粋な笑みに少し新鮮味を感じてしまう。夜会やパーティーでは特段人と関わることを避けるため、こうした何気ない会話さえも不思議なものに思う。


「ホールには行かれないのですか」

「あぁ……少し疲れてしまいまして」

(茶番劇に面倒事のダブルコンボはさすがに疲れた)

「……なるほど」


 慣れない会話に試みる気はなく、早々にもと居た場所へ戻ろうとした。


「……では」


 会釈をして立ち去ろうとすると、何故か引き留められる。


「お待ちをレディ。よろしければ少し話し相手になっていただけませんか?」

「…………え」

「実は私もダンスは苦手でして。せっかくの夜会にここに一人でいるのもなんですから。……よろしければ」

「…………」


 予想外の誘いに固まってしまうものの、周囲に人がいない様子を確認する。後で姉に絡まれることもないだろうと思いながら了承した。


「私で……よければ」

「よかった」


 安堵の笑みに眩しさを感じながら、足をとどめた。改めて男性に向き合うと、思いの外美丈夫だということに気づいた。

 私の髪色とは対照的に黒の髪の毛は夜空に溶け込むほど暗いのに、何故か輝きを放っていた。属にいうこれがオーラなのだろうか。


「レディは……ダンスはされましたか?」

「……私も苦手なもので」

「では婚約者とのみでしょうか」

「まだ婚約者はいないので、踊らずに済んでいます」

 

 教養として社交界のマナーや作法はもちろん、ダンスも身に付けてはいる。学べるというありがたい環境は利用しないと勿体ないというのが私のスタンスだ。


「おや。婚約するご予定はないのですか」

「……姉がおりまして。差し置いてするわけにもいかないので、今は特に何も考えていません」

(それに悪評のせいで貰い手はいないから、婚約の話が降ってきたこともないな)


「初対面でする話ではありませんでしたね。失礼しました」

「いえ……」

(初対面でする話がわかりませんのでご安心を)


「それにしても緑茶は何故手に取られたのですか? セシティスタの方々には、普段飲まれる紅茶からかけ離れているので……好まれないと思っていたのですが」

「……珍しいものに目がないので」

「なるほど。用意した甲斐が少しはあったようでよかったです」

「お陰さまで、とても美味しいお茶に出会えました。ありがとうございます」

「気に入っていただけたなら何よりです」


 恐らく社交辞令の範囲内で、当たり障りのない会話を目指しながら言葉を交わした。最近の天気から始まり、お茶の好みなどが話題に上がった。


 会話に集中していると、いつの間にか時間が経っていたことに気が付かなかった。

 夜会も帰る人が現れ始めた。


「我が国には緑茶以外にも珍しい茶葉があるのですよ」

「そうなのですか」

(なんだろう、飲んでみたいな)


 もしかしたら緑茶以外にも懐かしい味に会えるのではという淡い期待が浮かぶ。


「……レディ、私の名前はレイノルト・リーンベルクです。最後にお名前を聞いてもよろしいですか」

「失礼しました、名前も名乗らずに……」

(そう言えば名乗ってなかった……!)

「いえ、それはお互い様ですから」

「レティシア・エルノーチェです、お見知りおきを」


 この時私は名乗っていないという事実に気を取られて、深く男性の名前を聞いていなかった。具体的にいうと家名を聞き逃したのだが、もう関わることはないだろうと思い確認することをしなかった。


 その考えが大きく外れることを、私はまだ知らない。

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