四月 雨の降る始業式

 二週間ぶりに鳴った目覚まし時計の音に、鈴原海音すずはらかいねは叩き起こされた。


 久しぶりに早く起きたのもあるが、決して目覚めがよいものとは言えないようだ。


 海音は手探りで鳴り続ける目覚まし時計を探し出すと、この瞬間の不快感を込め、勢いよく止めた。


 海音は眠そうに目をこすりベッドから出ると、おぼつかない足取りで自分の部屋からリビングへと向かうため階段をおりていった。


 リビングに入り、母親がキッチンで朝ごはんを作ってくれているのを横目に、海音は壁に掛けられたカレンダーから今日の日付を探し始めた。


 左角から右に視線を向けてゆき、すぐに止まる。


 海音の視点の先、今日の日付には「始業式」と書かれており、それを見た海音は大きくため息をついた。


 今日は四月九日。海音が通っている高校ではこの日から新学期ということだ。


 朝早くまだ暗い窓の外では雨が降っていた。


 気分が上がらない天気だ、と海音は考えたが、気分が上がらない原因はそれ以外にあるのだった。


 しばらく海音は窓の外をぼんやりと見てると、母親に語気強く「遅れるわよ」と言われ、海音は渋々と朝ごはんを食べ始めた。


 朝ごはんを食べながら海音は学校の事ばかり考えている。


 今日、学年が上がり新しいクラスになることは海音にとってあまりに重要で、考えるべきことが多かったのだ。


 学年が上がれば当然クラス替えが行われるが、海音の通う高校は二年次から文理で分かれ、そしてそのクラスは三年まで継続となる。


 海音はガツガツしたタイプの人間ではなく、友達は必要最低限で十分だと考えていた。


 そのため、高校一年で作った友達など数えられる程度しかいなかったことで海音は窮地に陥っていた。


 事前に海音が聞いた話では、一年時に仲の良かったその数少ない友達はほとんど理系クラスに行ってしまうのだ。


 海音は数学が苦手で国語が得意という、文系の海音にとって非情な事実であった。


 二年ではまた新しく友達を作る。それは海音にとってあまりにハードルの高い挑戦なのだ。


 いくら新しい環境でも二年となれば、それまでの友達のグループで十分となり、新しくその輪に入るのは難しいことである。


 海音は高校二年の初日にして、今までに経験のない壁にぶつかっているのだ。


 そんなこんな海音は考えているうちに朝ごはんを食べ終え、ようやく覚悟を決めると、顔を洗い、慣れた手つきで身支度を済ませた。


 そして、今日の持ち物を確認するため、自分部屋に置かれた学校指定のカバンの中身を開いた。


 持ち物確認は重要であった。初日の忘れ物は周りに悪い印象を与えてしまうと海音は考えていたからだ。


 しかし、すでに昨日の内に二回はしていたため、それは無駄な時間を使うだけであった。


 カバンを閉じ、時計を見るといつも家を出る時間になっていた。


 海音はカバンを持ち、家を出る前に玄関に置かれた姿見で身だしなみを確認した。


 髪は余すことなくしっかりと一つにまとめ、薄い色の学校で注意されない程度のピンクのリップを塗り直す。


 胸元についた制服のリボンは左右均等で、スカートの丈も怒られないぎりぎりを攻めてきれいに整えていた。


 一年の夏の時にこんがりと日焼けをした肌は半年がたっても白くはならず、健康的な色をしている。


 一通り服装を確認し、もう一度自身の顔を見て海音は驚いた。


 無意識のうちに口角が上がっていたのだ。


 あれこれと考えてはいたが、制服姿になれば気が引き締まり、久しぶりの学校でわくわくしていたようだ。


 靴を履き、そういえば雨だったと玄関でカッパを着ると、海音は、いってきますと玄関で言った。


 両親のいってらっしゃいの声がリビングから聞こえると海音は家を出た。


 学校に着き、自転車を置く場所が今年から変わっていることに戸惑いながらも自転車を止め、カッパを脱いでいると、突然後ろから声をかけられた。


 振り返るとそこには、海音が気兼ねなく話すことのできる同級生の篠本弥生しのもとやよいがニマニマとしながら立っていた。


「あれあれ、雨なのに自転車できたの。そりゃまったく大変だねぇ」

「ああ。誰かと思ったらあんたか。って、えっ。まさかとは思うけど弥生、車なの?」

「あったりまえでしょ。雨降ってんだから。海音も車で来れば良かったじゃん」

「お前みたいに頼めば送ってくれるほど私の親は暇じゃないんだよ」

「お前て……相変わらず口が悪いよ、海音。女の子らしくないよ。それにあたしは、お兄ちゃんに送ってもらったんだから親じゃないしー」

「うっざいなあ……」


 海音と同じ部活に所属している篠本弥生は、部活が同じというのもあり、海音でも簡単に仲良くなれたのだ。


 ちなみに彼女たちの部活は水泳部。どちらも選手であり、同学年で選手はこの二人のみであった。


 海音がカッパを脱ぎ大雑把に自転車のかごに詰め込むと、見計らったかのように弥生は話し出した。


「そういえば海音は文系のクラスだったよね。知ってる子、クラスにいるの?」

「いや、わかんない。それが一番心配なんだよ。新しく友達作んないといけないし」

「まあ、海音はコミュ障でシャイだからなあ。あ、ちなみにあたしは理系クラスなんだよね」

「しらんよそんなこと……知りたくもない」

「仲の良かったのがほとんど理系のクラスに流れたんでしょ? そりゃあ残念でございますねえ」

「その憎たらしい顔に手が出そうになるからその顔をやめろ」


「ほんとにはやめてよ?」と、笑いながら言った。


 弥生は向かってくる海音から回れ右をして歩き出し、すぐに振り返り話し出した。


「あ、そうだ。ねえ海音、もう来週から部活はじまるんだっけ?」

「多分始まるんじゃない? でもさすがにいきなり泳いだりはしないでしょ。まだ四月だし」

「じゃあまだ、水着持ってきてないよね、よかった~」

「……当たり前でしょ。ちょ、入れてっ」


 朝も確認した荷物の中に傘はなかったのだった。先に行く弥生の傘に海音は飛び込み、下駄箱まで歩いて行った。


 弥生とはクラスが違い、階も違ったのですぐに別れ、海音は一人で自分のクラスに向かった。


 そして結果として朝のあれだけの苦悩はまったくの杞憂に終わったのだった。


 新しいクラスに行くとそこには去年は別クラスであったが、体育などの授業で一緒によく二人組で活動した、古宮悠良こみやゆうらがいたため彼女と初日を乗り切ることができたのであった。


 始業式は午前中で終わり、クラスで提出物などを一通り出すと、昼過ぎには家に帰った。


 家に着くと海音は吸い込まれるように自分の部屋に入り、髪をほどくと、着替えもせずそのまま海音はベットに飛び込んだ。


 うつぶせになり海音は目を閉じ、朝から今の時間までの今日一日の出来事を振り返っていた。


 そして、海音はふと気づいた。あの子が学校にいなかった。と。


 海音は今日とある生徒を探していたのだ。何の脈絡もなく、海音の頭から離れない女の子のことであった。


 一年の頃、クラスメートではあったがほとんど話したことがない女の子。そんな子をなぜ探していたかを海音自身も分からなかった。


 彼女はなにかの病気であったらしく、大きな手術をしてからはあまり学校に来ていなかった。


 疑問は残っていたが、ほとんど赤の他人のクラスメートの事を無駄に踏み込んで考えるのもおかしな話だとそれっきり、海音は頭を切り替えてしまった。


 しかし、海音は後にひどく後悔をする。なぜ関係がほとんどない彼女の事のことを、このとき考えていたのかを、気づけなかったことに。


 ふと海音は自分がまだ帰ってきてから制服を着たままだったことを思い出し、ベットから起き上がり自分の部屋から出ていった。


『この時からもう、間違ってたのかな……』





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