第3話 クレール

「とりあえず、自己紹介だな。俺は天玄坂泰之てんげんざかやすゆき

「えっ、あ、はい。あの、お助けいただきありがとうございました」

従者はそう言って頭を下げた。

細いが柔らかい眼差し。

後ろにでつけたブラウンブラックの髪が少し乱れている。

コールマンに整えられた口髭くちひげが喋る度に揺れる。

子供は従者の影から泰之に警戒の眼差しを向けている。

中性的な美少年と言える子供の金髪の下から、意志の強そうな青い瞳が覗いている。

「いいんだよ、やりたくてやったんだ。で、あんたは?」

「申し訳ありません、わたくしはトマス・リッカー。お坊ちゃまの従者を務めさせていただいております。……この者たちは、殺されてしまいましたか?」

トマスは倒れている連中に目線を向けながら言う。

泰之は答える。

「ん?いや、一応手加減したから皆生きてるよ。まぁしばらく動くことはないだろうが」

当たり所も問題無いはず……。

うん、無い。

そう信じたい。

流石に人を易々やすやすと殺せる精神構造はしていない。

喧嘩は大量にしてきたし、そのせいで少年院に送られそうになったこともあったけれど。

従者の表情は少し和らぐ。

「そうですか、それは――」

「何故殺さぬ!」

子供の怒声が響いた。

「あ?」

泰之が子供の方に目線をやる。

目線だけ送ったせいでにらまれたと勘違いした子供は一瞬すくんだが、毅然きぜんと睨み返して、

「不敬にも私の命を狙ってきたやから!そこの者、テンゲンザカヤスウキとか言ったか」

「ヤスユキな」

「ええい!どちらでもよい!全員打ち殺してこい!」

子供は泰之に命令する。

泰之は別に殺す気は無いので、

「やだ」

一蹴した。

「な……!貴様!不敬であるぞ!」

「不敬って言われても、どんな身分か知らんし」

「……!ふんっ!聞いて驚け!我が名はアル――もがっ」

「なりませぬ、お坊ちゃま」

トマスが子供の口を塞ぐ。

子供は暴れるがトマスは気にしていない様子で、

「泰之殿、お坊ちゃまの名はアルベルト。……家名はまだ明かせません。それ相応の身分、ということです。助けていただいた身で失礼とは存じますが……」

「いや、いいっすよ、気にしてないんで。じゃあ言葉遣いは改めたほうがいいんすかね」

「わたくしには結構です」

「ぷはっ!……平服しろ!下民が!ちゃんと敬え!」

「お坊ちゃま!」

泰之に命令するアルベルトをいさめる様に言うトマス。

泰之はあごに手を当てて答える。

「なるほど、どっちも気にしなくていいと」

アルベルトは自分を押さえるトマスの腕から可能な限り身を乗り出して言う。

「なっ!ちゃんと聞いておるのか!」

「うるせぇなぁ、敬われる側として正しい態度を示してからにしろ」

泰之は頭をきながら言う。

「不敬であるぞ!」

「気のせいだ」

「気のせいなわけがあるか!」

「まぁそこはどうでもいい」

「よくないわ!」

泰之は文句を言うアルベルトを無視してトマスに向き直ると、

「トマスさん、何があったんだ?」

「どう説明致せばよいやら……」


トマスはここに至るまでの事情を説明した。

家を賊に襲撃され、ここまで逃げてきたこと。

襲ってきた賊には心当たりが無いこと。

死を覚悟したところで泰之に助けられたこと。

「で、今に至ると」

「えぇ」

トマスはうなずく。

「これからどうするつもりなんだ?」

「ひとまずはメニエール伯爵領のクレールに向かい、そこで情報を集めようかと。ある程度情報が集まりましたらより安全なリヒテラーデ子爵領へ」

なるほど。

地理感覚も何もわからん。

リヒテラーデ子爵領とやらの方が安全なのか。

その理由もわからん。

顎に手を当てて考えるふりをし、泰之は素直に答えた。

「そうか、聞いといてなんだが判断の是非はさっぱりだ。クレールって町が近いなら、俺もそこへ行くとするか」

「クレールへ向かわれるのでしたら、宜しければ一緒に向かいませんか?」

「トマス!何を勝手に決めておるか!」

トマスの提案にアルベルトの方が先に文句を言った。

トマスは続ける。

「泰之殿、わたくし、菲才ひさいの身故戦闘には向いておらず、また襲われた場合にお坊ちゃまを守れるか不安なのです。伏してお願いしたく存じます」

「トマス!勝手に話を進めるでない!」

頭を下げたトマスに泰之は話しかける。

「トマスさん、顔を上げてくれ。案内してもらえるならこちらとしても助かるよ」

「ありがとうございます。泰之殿の様な手練てだれに護衛していただけるなら幸いです」

「こら!二人とも私を無視するな!認めぬぞ!この様な粗野そやな男が私の護衛など!」

「アル、粗野と言った方が粗野なんだ。分かるか?」

「分かってたまるか!それと勝手にアルと呼ぶな!」

泰之に不満をぶつけるアルベルト。

泰之は意に介さず笑っている。

トマスは本来言葉遣いを改める様言い含める立場だったが、泰之とアルベルトの言い合いが、まるで歳の離れた兄弟と口喧嘩でもしている様に見えて、何も言えなかったのだった。


「アルベルトはどうなった?」

ウェルディン王国第二王子、リヒト・テレサミード・シュバルツマイヤーは側近のヨゼフ・ベルフォースに尋ねた。

金色のコップをあおると中の赤ワインが肥え太ったリヒトの体に入っていく。

コップを置く太い指には華美かびな装飾が施された指輪がめられ、緑のジュストコールには袖と襟口えりぐちに金色のレースがあしらわれている。

黄色のブリーチズの上に乗った贅肉ぜいにくはリヒトの強欲さを表している様だった。

「今頃は賊どもの襲撃を受けているところでしょうな。……しかし、よかったので?このことが露見ろけんすればお立場が危うくなるのでは?」

ヨゼフのひたいにコップが投げつけられ、ぶつかる。

ヨゼフの額から血が流れる。

ヨゼフは一瞬眉をひそめたがすぐに表情を戻す。

リヒトが暴力的な行動をとるのは日常茶飯事なのだ。

ダークグレーのストライプが入った燕尾服に血が落ちない様にポケットチーフで額を押さえる。

リヒトはまるい目でヨゼフを睨みつける。

「ふんっ!心配されるまでもない!あの耄碌爺もうろくじじいにわかるものか!」

「でもぉ。敵はお父さんだけじゃない、でしょう?」

いつの間にか部屋に居た女がリヒトに話しかける。

青くつやめく黒髪は額の中央で分かれている。

脚の付け根までスリットの入った紫のカフタン。

黒い線で縁取られた紺のケープの下から、胸元に施された白い月桂樹の刺繍が顔を覗かせていた。

女は煙管きせるを吸い、煙を吐く。

「……紺碧こんぺきの」

ヨゼフは鋭い目つきで女をめつける。

左眉の眉尻まゆじりを顔の中心から外へはすに裂く傷跡がより威圧感を与える。

女は意に介せず不敵な笑みを浮かべて言う。

「で?どうするんですぅ?お兄ちゃんから怒られちゃいますよ?」

「ユリウスか……やはりあれが邪魔だな」

リヒトは忌々しそうに言い、クッキーを乱暴につかんで口に運ぶ。

「早く潰す必要があるな」

「無理だと思うけどなぁ」

「不敬だぞ、紺碧の」

「んー、そうかしら。妥当な判断だと思うけど」

女は無邪気そうにほほに手を当てて考える。

リヒトは机に手を打ち付け、

「まず!その話し方が不敬なのだ!」

「殿下、落ち着いてください。紺碧の、その不遜な態度を改めよ」

「ム、リ。疲れちゃうんだもん」

女はにっこりと笑って言う。

「……その態度が出世に響いているとわからんのか?」

「響いても色付きカラーズの私天才ってこと?ありがとぉ」

女はころころと笑う。

リヒトは顔をしかめ、ヨゼフはこめかみに手を当てる。

「そ、れ、にぃ。まだ弟くんもどうなったかわからないし」

「アルベルトはもう死んだに決まってる。あんなガキにつく馬鹿もおらんしな」

「いずれにせよ報告待ちでございますな」

「ふーん」

女は窓に煙管の煙を吹き付ける。

「つまんないの」


「ここがクレールか」

泰之達が着いたのは、長閑のどかな町だった。

中世的な町並みだが、それにしては清潔な様に見えた。

目抜き通りの市場は賑わっている。

薄暗い路地に目をやっても目につく範囲では犯罪行為は無さそうだった。

領主の統治がよく行き届いた、平和そうな町だ。

「いい町じゃないか」

「ただの田舎ではないか。何がいいものか」

「坊ちゃま。……ここクレールは十三爵家じゅうさんしゃっけの一つ、メニエール伯爵家の領地。メニエール伯は間違っても悪政をく様なお方ではございません」

トマスはアルベルトの悪態をさとすように一言言うと、泰之に向けてクレールについて至極しごく簡単に説明した。

……が、泰之には正直よくわからなかった。

「十三爵家とやらは知らんが由緒正しいんだろうことは何となく分かった」

「……それにしても驚くほど何も知らんな貴様」

「何も知らなくないさ、知らないことだけ」

「……何だその伝わるようで伝わらん気持ち悪い言葉は」

アルベルトは泰之に呆れた様な視線を向ける。

おかしいな、似たようなフレーズをオタクの友人が発していたんだが。

「泰之殿、道中の護衛ありがとうございました」

トマスが頭を下げる。

「ん?いや、結局何も無かったしな。この後はどうするんだ?」

「わたくし達は領主のもとへ向かいます」

「そうか、じゃあ俺はお役御免ごめんかな?」

名残なごり惜しいですが、これ以上ご迷惑はおかけできませんからね。少ないですが報酬です。受け取ってください」

袋の中には金貨が二枚と銀貨が五枚入っていた。

「おぉ、どうも。……見た感じ、少なくは無さそうだけど……」

「泰之殿には、坊ちゃまのお命を救っていただきました。それを考えれば足りないくらいでございます」

「そうか。主人思いな、いい従者だな。アル、大事にしろよ」

泰之はアルベルトに向き直って言った。

ちなみにアルと呼ぶことについてアルベルトの了承は得ていない。

「アルと呼ぶでない!……まぁ、だが、その。なんだ?泰之、た、大儀であったぞ」

「坊ちゃまが素直に謝意を……!このトマス、涙を禁じ得ません」

トマスがポケットチーフで涙を拭う。

アルベルトはトマスに向き直って、

揶揄からかうな!……え?ほんとに泣いて、え?そんなか?泣くほどなのか!?」

「……後でトマスさんにも感謝してやれよ……?」

「感謝したことくらい……!……あれ?言われてみれば無いかもしれぬ……」

アルベルトは顎に手を当てて考え始める。

泰之は吐き捨てる様に

「クソ主人が」

「なっ!?貴様!何度言わせるのだ!不敬であるぞ!」

トマスの涙、アルベルトの怒り、そして泰之の笑いが収まった後、泰之はアルベルト達と別れた。

泰之は、何となくまた二人に会える様な予感がしていた。

領主の館へ歩き出してから、アルベルトは一度だけ泰之の方を振り返ったが、雑踏に紛れ、泰之の姿は見つからなかった。


「さて。どうしたもんかな」

泰之は考える。

当面の金はトマスから貰った分でいいだろう。

とりあえず宿と飯が欲しい。

それと、この世界で過ごすなら仕事も。

日本に帰れるかもわからないしな。

とりあえずいてみるしかないだろう。

近くにいた住民に声をかけてみる。

「あ、すいません」

「はい、なんで――ひぃっ!?」

「訊きたいことが――あ、行っちゃった。うーむ、こっちでもか」

日本でも誰かに道を訊くとか出来なかったな、と泰之は思い出す。

しかしそんな暢気のんきしてもいられない。

自分で探すしかないかと思ったが、言葉は分かっても、流石に文字は読めないらしい。

「中途半端なもの食わせやがって」

悪態をつきながら、門の方へ向かう。

宿屋は門の近くにあるだろう、という予測を立てたのだ。

歩きながら泰之に怯えなさそうな人は居ないかと探すが、やはり中々見つからない。

そうだ、門番はどうだろう。

仮にも兵士だろうし。

そう思って門番に話しかける。

「あの、すいません」

「ん?なん――っ!な、なんだ?」

ビビるなよ兵士だろ仮にも。

まぁ話を聞いてくれるだけマシか。

「旅の者なんですが、この町の宿屋を教えてほしいんです」

「あ、あぁ。そうか。宿屋はすぐそこだ。ほら、あれだよ。あの青い屋根の建物だ」

「なるほど、ありがとうございます」

頭を下げて教えられた建物へ向かった。


「おう、いらっしゃい」

「暫く泊まりたいんですが、部屋は空いてますか?」

「おう、空いてるよ。どれくらい滞在する予定で?」

宿屋の親父は泰之に向き直って話しかける。

何故この町は門番より宿屋の親父の方が肝がわっているんだ。

いかつい冒険者達を見慣れているからなのか?

門番も見ていると思うんだが。

「そうっすね……とりあえず二週間くらい」

「二週間ね。前金として銅貨十五枚になりやす」

クレールへの道中、トマスさんから貨幣価値などの基本的な常識を教えてもらっていた。

銅貨百枚で銀貨一枚。

銀貨百枚で金貨一枚の価値があるらしい。

とても分かりやすくて助かる。

「銅貨、銅貨……銀貨でも大丈夫っすか?」

「……あまりよくないが、まぁ、構わんよ」

客に対して正直だな、と泰之は思う。

「じゃあ、銀貨一枚で」

「あい、銅貨八十五枚お返しです。そいじゃあ部屋にご案内します。おいリィナ!」

「はーい、お客さん?」

リィナが階段を降りてくる。

緑色の服に白いエプロン、朱色の髪をポニーテールに結ぶ、目のくりくりとした少女だった。

「あぁ、部屋に案内してくれ」

「はーい、どうもお客さん、リィナです。うわー、おっきいねぇ、お兄さん」

何故この町は門番より宿屋の娘の方が肝が据わっているんだ。

「はぁ。泰之です」

「泰之さんね。お部屋はこちらでーす」

泰之はリィナの案内に従った。


泰之にあてがわれたのは二階の階段の近くの部屋だった。

「この部屋でどうでしょう?」

六畳ほどの広さで、簡素な机とベッドが置いてある。

窓にはレモンイエローのカーテンがかかっている。

「ありがとうございます、リィナさん。問題ないです」

「はーい。ってか、泰之さん固い固い。もっと砕けた態度でいいよ」

リィナは部屋にあった丸椅子に腰かけて言う。

「そうですかね?」

「そうだよ。暫く居るの?」

「とりあえず二週間くらいかな。もっと居るかもだけど」

「二週間かぁ。泰之さんは冒険者?強そうだけど」

「冒険者って職業か?」

「人気の職業じゃない。男の子がなりたい職業三年連続一位よ」

「そんなランキングあるのか……平和な国だな……」

「泰之さんも興味あるなら冒険者ギルドに行ってみるといいよ」

「冒険者ギルドか、どこにあるんだ?」

「窓から見えるよ。ほら、あの通りの向かい側」

リィナが窓から見える建物を指さす。

「あれか、あの黄色い屋根の」

「違う、赤い屋根のとこ」

リィナが訂正する。

「あっちか」

「うん。今日はもう遅いし明日辺り行ってみる?」

「そうだな、そうするよ」

「はーい。じゃあ、夕飯出来たら呼ぶからそれまでゆっくりしてて」

「うん、よろしく」

リィナが笑顔で部屋から出ていった後、泰之はベッドに仰向けに倒れ込んだ。

ここに至るまでの疲労から、リィナが呼びに来るまですっかり寝入ってしまったのだった。


「よし、ご飯も食べたし行こっか!」

朝食をった後、リィナは泰之に言った。

泰之は何を言っているのかわからずきょとんとしている。

「ギルド行くんでしょ?あたしも用事あるからさ。一緒に行こ―よ」

「そういうことか。うん、よろしく」

「この荷物持ってかなきゃでさ。重いんだこれが」

リィナはわざとらしく腰を叩いた。

リィナの前にはももの半ば程度の高さの木箱が三つ置かれている。

「手伝うよ」

泰之はそう言うと木箱を三つ重ねる。

「泰之さん、それはさすがに無理だって……。お父さんだってそんなの――」

「よっと」

泰之は軽々と重ねた木箱を持ち上げる。

「え!?」

リィナがあんぐりと口を開ける。

「それ、一つ三十フェルムあるんだけど……」

知らない単位だ。

持った感じだと三十キログラムくらいだから、日本だと三つで九十キログラムくらいか。

……それは確かに驚くな、まぁ一応持てなくはないが……。

「うん、まぁなんとかなるさ。さぁ行こう」

驚くリィナを連れ立って、泰之はギルドへ向かったのだった。


「ここがギルドか」

ウェスタンドアを抜けてギルドの建物に入ると、泰之は木箱を脇に置いて言う。

中では冒険者たちが酒を飲んだり話をしたりして盛り上がっている。

「賑やかだな」

「良くも悪くも、だけどね。あっちに仕事の依頼があるから見てきなよ。あたしは荷物渡しちゃうから」

そう言うとリィナは奥へ行った。

ギルドの人間を呼びに行ったのだろう。

泰之は依頼書の掲示板を見に行った。

「……読めねぇや」

一文字も読めなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る