梅干し
増田朋美
梅干し
6月になった。6月といえば雨が降ってどうしようもない季節であるのだが、同時にジューンブライドという言葉もあり、この時期に結婚すると、縁起がいいと言われている。日本で作られた制度では無いけれど、今ではすっかりおなじみの言葉として定着している制度になっている。
その日、蘭は、いつもどおり朝食を食べ終えて、そろそろ下絵を描こうかなと仕事場へ向かおうとしたちょうどその時。インターホンが鳴った。
「あれ、今日は予約は誰も入れてないはずだが、、、?」
とりあえず蘭は、玄関先に行ってみる。
「こんにちは。彫たつ先生のお宅でいらっしゃいますね。先生、私ですよ。梅島寿美です。」
は?と思われるところがあった。蘭は、思わず、
「梅島さん。えーと梅島さんとは、、、。」
と、考えていると、
「今日は大事な人を連れてまいりました。先生にどうしても話したいことがあって。」
と、梅島さんはそういうのだった。蘭は、とりあえずお入りくださいというと、ガチャンとドアがあいて、梅島寿美さんと名乗った若い女性が入ってきた。梅島さんの右手首に、ボタンが彫ってあったので、蘭は、間違いなく梅島寿美さんであることを思い出したのだが、それにしても印象が違いすぎる。彫ったときの梅島さんは、やたらおどおどしていて、蘭も大丈夫なのかどうか、心配になってしまうほど、緊張しすぎる女性だった。だけど、今いる梅島さんは、ニコニコしていて、蘭は、違う人物ではないかと間違えるほどだった。
「まあとりあえず、こちらにいらしてください。」
蘭は、梅島さんを部屋に入らせると、
「あの、彼も一緒なんですけど、よろしいですか?」
と、梅島さんが言う。彼とはどんな人物なんだと蘭が思っていたら、一人の男性が、車から降りてきた。それも、蘭と同じ様に車椅子に乗っていた。男性はメガネを掛けていて、行動派というより書斎派というような感じの、優しそうな人物だった。
「紹介しますね。私のフィランセの金谷千秋さん。歩けないけど、根はとてもいい人なんです。」
と、梅島さんが紹介すると、金谷さんと言われた男性は、
「金谷千秋と言います。よろしくおねがいします。」
と、にこやかに笑って挨拶した。
「とりあえず、部屋に入ってください。今、妻にお茶を入れさせます。」
蘭は急いで、二人を居間に通した。ちょうど、寝坊をして起きてきたアリスが、
「あらどうしたの?今日はカップル二人揃って、一体なんですか?」
と、急いで言った。蘭は、
「お前なあ。いくら家の中でも、いい年した中年のおばさんが、パジャマのままで降りてくるというのは、ちょっとはしたないじゃないか。」
と注意するが、
「日本人は、そういうところは細かすぎるのねえ。」
とアリスは言った。
「で、どうしたの?お二人さんは、もしかしたら、結婚するとか?もちろん、蘭のお客さんであることは間違いないわよね。」
「ええ、実は、そうなんです。」
と、梅島寿美さんが言った。
「あら、いいじゃない。6月の花嫁、ジューンブライドかあ、いいなあ。それで、今日は、なんの相談?記念に刺青でも彫ってもらうとか?」
「お前、人の相談になんでも口を出すな。」
にこやかに笑って話すアリスに、蘭はそう注意したが、アリスは、ごめんなさいと言って笑っているだけだった。
「で、その結婚を控えたカップルさんが、蘭になんのようなのよ。なにか、用事があるんでしょ?」
「ええ、そうなんですよ。実は、その、とても恥ずかしいというか、ちょっとお願いなんですが、彫たつ先生と、奥様に仲人をやってもらいたいんですよ。先日、寿美さんの家に行かせて頂いたときに、彼女のお父様から、言われたんです。仲人を立てて、ちゃんとした結婚式をしろと。」
「ちゃんとした結婚式ね。そんなものしなくていいと思いますが、どうしても式をあげなければだめなんですか?」
蘭が聞くと、千秋さんはハイと言った。
「いや、あたしは、式をあげたらいいと思うわ。式は一生心に残るものだし。日本人で離婚が多いのはちゃんと式をあげてない人が多すぎるからだと思うのよね。」
アリスはいかにも外国人らしく言った。
「あ、ちなみに私の国ではつい最近まで戦争をしていたんだけど、それでも式はちゃんとやってたわよ。いくら不安定な世の中だったと言っても、夫婦の誓いというのは破れるものじゃないじゃない。」
「そうだけど、お前の国と、日本は違うよ。」
「いいえ、結婚はどこの国でも同じこと。人間にとって大事な式です。省略したら、あたしたちみたいに、いつも喧嘩ばかりの夫婦になっちゃうわよ。そうならないためにもぜひ、結婚式をあげましょう。で、式場の方は決まったの?」
「それが、決まらないんですよ。」
アリスがそうきくと、千秋さんは言った。確かにそうかも知れない。車椅子の花婿を扱ってくれる結婚式場なんて、なかなか無いなと思われる。それでは、本当はいけないんだけど、車椅子の人間で式をあげたいと言っても、なかなか通用しないのが、日本の現状である。
「高砂殿とか、富士市のグランドホテルなどに行きましたが、どうしても車椅子の人間はだめだって。それで、彫たつ先生であれば、もしかしたらなにか知っているのではないかと、寿美さんがいいますので、それで、ここにこさせてもらったんですよ。」
千秋さんは、蘭の顔を眺めていった。
「そうですか、、、。僕達も、残念ながら、結婚式をあげたわけでは無いので、お力になれませんね。」
蘭がそう言うと、二人はすぐに落胆の表情をした。
「でも仲人として、式に立ち会ってくれますよね。先生。」
と、寿美さんが言うが、
「そうですね。まずはじめに、金谷千秋さんといいましたよね。お仕事は一体何をしているんですか?」
と蘭は聞いた。
「はい、自宅で、梅干しを作る工場をやっています。」
「梅干し!」
蘭は思わず言った。
「はい。最近は、個人的に梅干しを買いに来てくれるだけではなく、ホテルや旅館などが、家の梅干しを買ってくれて。それで、結構売上があるんです。」
と、千秋さんが言った。
「じゃあ寿美さんも、梅干しを作る手伝いをするわけですか?」
蘭が聞くと、
「いえ、あたしは、今までの通り、フリーのライターを続けるつもりです。今は、日本の歴史とか、文化とかそういうものにまつわる記事を描いています。今は便利ですよね。クラウドソーシングサイトみたいな物があって、会社に行かなくても、原稿を納品できるんですから。」
と、寿美さんは言った。
「つまり会社に勤めていないということですか。それではちょっと、、、。」
「何よ。蘭は、認めてあげないの?いい夫婦になれそうじゃない。そういうときはさ、ちゃんと、車椅子でも入れる結婚式場を調べるとか、そういうことを言って上げるのが、一番じゃないの?」
アリスはそう言うが、蘭はどうしても二人の結婚を認める気になれなかった。
「そうはいっても、彼は、歩けないわけだし、とても幸せになれるとは思えないんですよ。毎日が楽しくて、穏やかな日々が送れるのが、幸せというものですからね。それが実現できそうになければ、結婚は見送ったほうがいいのではないかと思うんですが、、、。」
「何よ蘭。ほんとにあんたって人は、慎重すぎるというか、そういうところがあるわねえ。幸せになるなんて、年上の人間が上から目線で言うもんじゃないわよ。何よりも、愛する人がそばいてくれることが一番じゃない。そうでしょう?あなた達二人もそう思うでしょ?そうよねえ?」
アリスは欧米人らしく、しっかりと言った。
「いやあ、そうかも知れないけどさあ、結婚というのは愛し合うばっかりじゃないんだよ。」
「じゃ何よ!その一言で全部片付くと思うけど?何があっても二人で愛し合って、生き抜いていく。これにまさる幸せなんてどこにもないわよ。それを蘭は止めようとしちゃうなんて、ちょっとさ、そういうところ、なんかへんよ。」
アリスが言うのは、欧米人ならではの結婚観であった。欧米では、二人で愛し合っていれば大丈夫と言うことで、片付いてしまう。いくら誰かが反対したとしても、駆け落ちのような形で、平気で貫いてしまう。だけど日本では、どうしても、世間の人にどうのという感じがあり、そこで結婚を躊躇してしまう例はよくある。
「お前が持ち出しているのは、ヨーロッパにいたときのことだ。日本とはわけが違う。それに、梅島さんも、金谷さんも、障害というものを持っている。梅島さんは、僕が施術をしているときにいいましたよね。確か、精神障害者手帳をとったとか。それを支えるのだって、本当に大変なのに、ましてや車椅子に乗っている人に、それができるかどうか。」
「何を言ってるの。全く、ごめんなさいねえ。あなた達はすでに愛し合っていると思うのに、蘭ときたらそれを濁すようなこと平気で言って。後で言い聞かせておくから、今日はごめんなさいね。蘭がいくらだめって言っても、あたしは賛成よ。あなた達二人で、ぜひ幸せになってほしいわ。まあ蘭が、変なこと言うようであっても、あたしは、結婚式場のこととか、相談に乗ってあげるから、いつでも遊びに来てよ。」
蘭がそう言うと、アリスは呆れた顔をして、急いで言った。
「ありがとうございます。奥さんは優しいですね。どこか車椅子でも入れるような式場を教えてくれたらと思います。あたしたち、特に宗教に入っているとか、そういうことは詳しくないんですけど、もし、可能であれば、神様の前で結婚式をあげたい気持ちは持っています。」
寿美さんがそう言うと、アリスは、
「任せておいて。気軽に結婚式をしてくれる式場調べて見るから。もう蘭の言うことなんか気にしないでちょうだいね。あたしは、あなた達二人が気に入ったから、ちゃんと、やってあげます。蘭みたいに、くだらないことにこだわることは、しませんから。まあ、仲人は二人揃ってないとだめで、片方だけっていうのは、ちょっと悲しいところだけどさあ。」
と、にこやかに笑っていった。
「お前なあ。そんなこと言って、二人は、日本の社会の中ではマイノリティに当たる人たちなんだぞ。」
蘭はそう言うが、
「はいはい。バスク人とか、そういう人と同じっていえばいいでしょう。大丈夫、日本人は、日本が単一民族の国家でボケているだけ。世界の国を見れば、少数民族同士の結婚は、星の数ほどある。それを踏みにじるような真似はしませんから!」
アリスは、蘭の言うことを、無視してそういうことを言った。
「きっとね。そういう夫婦は、多数派の夫婦より、うんと濃い顔の夫婦になれるわよ。それはあたしが保証する。そして、その間に子供ができたら、その子は間違いなく強い子になる。」
「あのねえ。」
蘭は大きなため息を着いた。
「じゃあ、あたしが式場を調べてあげるから、あなた達の電話番号か、ラインのIDかなんか教えてもらえるかしら?結果を報告しなきゃいけないから。」
と、アリスに言われて、千秋さんが、スマートフォンを取り出してラインのQRコードを見せた。アリスはすぐにそれを繋いでしまった。
「結果がわかったら報告するわ。頑張ってジューンブライドになれるように、一生懸命やるからよろしくね。えいえいおー!」
「お前なあ、そういうときにえいえいおーなんて言うもんじゃないよ。」
蘭は思わず言うが、アリスは、蘭の言うことを無視して、
「じゃあ、楽しみに待ってて。」
とにこやかに笑っていった。
「ありがとうございます。奥さんがとても親切にやっていただけるなんて、とても嬉しかったです。彫たつ先生には合意してもらえないのは、残念でしたが、、、。じゃあ、僕達はこれで帰ります。ちょっと用事がありますので。」
と、千秋さんがそう言うと、寿美さんが、彼の車椅子に手をかけた。
「じゃあ先生。よろしくおねがいしますね。これで失礼します。」
寿美さんは、千秋さんの車椅子を押しながら蘭の家を出ていった。蘭が玄関先を見てみると一台の軽自動車が止まっていた。寿美さんが、後部ドアを開けて、千秋さんを乗せている。確かに、介護タクシーの運転手の様になれているわけではなさそうだが、寿美さんは、一生懸命やっている様子が見て取れた。蘭は、こんなようで本当に夫婦になれるのか、心配で仕方なかったのであるが、寿美さんは、なんとかして、千秋さんを乗せ、そして、自分は運転席に乗って、車を動かし始めた。
「あーあ、まだ、福祉車両も、使いこなせていないのか。」
と蘭は、大きなため息を着いた。
「大丈夫、これからよ。これから。」
アリスは外国人らしくそういうのである。
「蘭はもう買い物に行く時間でしょ。あたしは、善は急げで、すぐに式場を調べなくちゃね。」
と言ってどんどん部屋に入ってしまうアリスを、蘭はさすが欧米人だけあるなと思いながらじっと見た。
「おーい蘭。買い物に行こうぜ。今日は、大売り出しだ。大量に買っていこう。」
杉ちゃんがそう言いながらやってきた。蘭はわかったよと言って、介護タクシーを呼び出し、自分たちを乗せてもらって、ショッピングモールに向かった。介護タクシーの運転手はやっぱり手際が良く、上手に二人を乗せてくれた。それは、先程、千秋さんを乗せている、梅島寿美さんとは偉い違いだった。
「はい、お客さん着きましたよ。」
と、運転手は二人をショッピングモールの正面玄関の入り口で、おろしてくれた。二人は、食品売り場に行って、野菜や果物などを買い始めた。
「おい、ちょっとすみませんがね!」
と、杉ちゃんが近くにいる中年の女性に言った。
「あのさあ、魚を一切れ買いたいんだ。それで悪いんだけど、ビニール袋に手が届かないから、一枚とってくれるか?」
杉ちゃんが言うと、中年女性は、なんで私がという顔をした。
「理由なんて簡単なことだ。ただ僕が、魚を一切れ買いたい。僕みたいな人間が、買い物してはいけないっていう法律はどこにもない。だからビニール袋をとって。」
「それは店員に頼めばいいでしょ。店員に。」
中年おばさんは、そう言って、ヤイほいと逃げてしまった。杉ちゃんは仕方なく別の人に同じことを頼んでみたが、結果は同じだった。仕方なく、近くを通りかかったおじいさんに、
「すみませんが、魚を買いたいので、ビニール袋を一枚とっておくれよ。」
と、杉ちゃんは言った。
「はいはい、いいですよ。」
と、おじいさんは、にこやかに笑って、ビニール袋をとってくれた。
「どうもありがとう!」
杉ちゃんがにこやかに笑ってそう言うと、
「いえいえ、大丈夫ですよ。」
と言って、軽く一礼し、おじいさんは、杉ちゃんたちの前を歩いていった。
「悪いねえ。誰もかれも、皆親切だなあ。」
杉ちゃんは、魚を取りながら、そう言っている。蘭は、たしかに、ビニール袋をとってくれたおじいさんのようなことができる人は、本当に少ないんだなと言うことに気がついた。そして、そういうことができる人は、先程のおじいさんのような、人生の苦労をある程度知っている人ではないとできないんだと言うことも悟った。きっと何も苦労してこなかった人は、なんでもプロに任せるというかっこいい言葉を使って、逃げてしまうことができるのだろう。世間ではそれをただしいことだと思っている。そうなると、先程のおじいさんのような人は、もしかしたら少数民族になってしまうかもしれない。
「おい、どうしたんだよ、蘭。買い物が済んだら、レジを済ませて帰ろうぜ。」
と、杉ちゃんに言われて蘭は、すぐにレジへ向かった。お金の識別ができない杉ちゃんでも最近は、Suicaカードのようなもので、支払いができるようになっている。それはある意味合理的で便利なのかもしれないが、何よりも、人間不在になることをはっきり示しており、あのおじいさんのような親切な人を、より減少させてしまう一員ではないかと蘭は思った。
「あーあ、今日も大量だ。大量に買い物すると、気持ちいいや。この気持だけは、忘れないようにしないとな。楽しい気持ちを忘れちまうと、みんなおかしくなっちまうからな。」
杉ちゃんは、カラカラと笑って、買った食料品を台に並べ、風呂敷で包んだ。一方蘭は食料品を買い物バッグに入れた。二人はまたタクシーを呼んで、家に帰ったのであるが、蘭はずっとなにか考えていた。家に着いて、杉ちゃんとわかれ、タクシーからおろしてもらって、家の中に入っていくと、
「えーと、東上寺か。」
と、アリスが、パソコンに向かってそう言っている。多分式場探しをしているのだろう。蘭が只今というと、
「ああおかえり。今ね、庵主さまに電話してみたの。仏前結婚をやってくれるお寺で、車椅子でもオッケーなお寺はないかって。そしたら、東上寺というお寺がそういうのに力をいれているんですって。いいわねえ。今は、こうして、障害があっても結婚式ができるようになってるんだから。」
アリスは、パソコンに向かったままそういうことを言った。蘭は、梅島寿美さんが、先程ショッピングモールであったおじいさんと同じような少数民族になろうとしているのか、と言おうと思ったが、その時おじいさんの顔を思い出した。あのときの顔は、決して嫌そうとか、怒っているとか、そういう感じではなかった。それよりも、にこやかで優しそうな顔だった。そうなると、少数民族のままでいるのは、結構素敵な事かもしれない、と、蘭はちょっと考え直した。そして、そうなっていくのは、苦労ではなく喜びなのだと言うことを伝えていくことも必要なのだ。
「ねえ、蘭。蘭がなんで、そんなに彼女たちの結婚を反対しているか知らないけどさ。」
アリスは蘭の方を見て言った。
「せっかくのことだもん、祝ってあげましょうよ。そういう多数派になれない悲しみは、蘭は知り尽くしているでしょうけど、彼女だからこそしてあげられることだって、きっとあるわ。まだ具体的に見つかっていないだけ。蘭が、結婚をやめさせたら、彼女の成長のきっかけも奪うことになるのよ。」
「そうだねえ。」
蘭は、ふっとため息をついた。
梅干し 増田朋美 @masubuchi4996
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